2001-04-01から1ヶ月間の記事一覧

吉田修一の『最後の息子』(文藝春秋)を読んだ

吉田修一の『最後の息子』(文藝春秋)を読んだ。97年に「文學界」の新人賞をとったデビュー作らしい。この、最近芥川賞をとった作家(訂正、『熱帯魚』で芥川賞もらったとばかり思ってたけど、駄目だったみたいだ。)は、名前だけは知っていたけど、大して興味…

午前中のつよい春の日射し

午前中のつよい春の日射し。近所の、大きな庭のある古い平家建ての家。その庭の真ん中あたりの物干しに布団が干してあって、あたたかい陽を受けて白く眩しい光を放っている。布団の表面には、庭に植えてある木の影が、布団にできた細かいシワにあわせて揺れ…

ジャン・ユスターシュ『ぼくの小さな恋人たち』『アリックスの写真』

澁谷、ユーロスペースで、ジャン・ユスターシュの『わるい仲間』『サンタクロースの眼は青い』『不愉快な話』。ユスターシュと言えば、あの圧倒的な『ママと娼婦』しか知らなかったのだけど、今回の特集でちょっとイメージがかわった。なにしろ『わるい仲間…

01/4/24(火)

国分寺の23GALLERYでやっている「1995-99/加藤泉・展」はとても良かった。ぼくは絵画に関してはすれっからしだし、どうしても難しくコネクリまわすように考えてしまったりしがちなので、絵画を観て素直に「とても良い」なんていう感想が出てくることはめった…

保坂和志『明け方の猫』を読んだ

大きく開いた窓の外で、常緑樹の枝に沢山ついた緑の葉が強く吹き付ける風でうねるように揺れて、よく晴れた陽の光や影がキラキラしているのをのんびりと眺めながら、保坂和志の『明け方の猫』を読み返してみた。ゆっくりと少しづつ文字を追い、ちょっと読ん…

那須博之『ビー・バップ・ハイスクール/高校与太郎音頭』とデパートの屋上

昨日観た、那須博之『ビー・バップ・ハイスクール/高校与太郎音頭』の雑多な出鱈目さを観ながらぼくが思い出していたのは、ちょうど「休日のデパートの屋上」のようなザワザワした感じだった。地方都市にある、中途半端な規模のデパートの、何とも中途半端な…

那須博之『ビー・バップ・ハイスクール/高校与太郎音頭』とデパートの屋上

那須博之『ビー・バップ・ハイスクール/高校与太郎音頭』をビデオで。88年公開のシリーズ5柞目。凄く面白い。素晴らしい。基本的には、それぞれの学校で「番」をはっている実力者たちは皆仲良しで、少々荒っぽいじゃれるような喧嘩をたまにしたりはするが、…

保坂和志『明け方の猫』を読んだ

「群像」5月号に載っている、保坂和志『明け方の猫』を読んだ。保坂氏は、ぼくにとってとても重要な小説家だ。でも、ここ数年ははっきり停滞しているように感じていた。停滞と言うのはつまり、保坂氏の現在の関心や感じているリアリティーが、「小説」として…

近代絵画的なイメージについて(セザンヌ/モネ/マティス)

セザンヌの絵画にあらわれているのは、複数の「視点」などではなくて、もっと直接的に複数の(無数の)筆致であり、その筆致がひとつひとつ画面に置かれてゆく時間の長さであり、あるタッチと別のタッチの間にある時間のズレであり、画面に筆を置いてゆく手の(…

近代絵画的なイメージについて(セザンヌ/モネ/マティス)

カメラによって撮影されたイメージが、必然的にある「視点」を持たざるを得ないのに対して、絵画には、少なくともぼくが良いと考えている絵画のつくるイメージには、「視点」という概念は必要ない。「視点」という考え方から自由であるはずなのだ。と言うか…

近代絵画的なイメージについて(セザンヌ/モネ/マティス)

セザンヌがモネに対して「素晴らしい眼だ。しかし、眼にすぎない。」というようなことを言ったのは、一体、どの時期のモネについてだったのだろうか。一般にモネは、視覚の純粋性に賭けた画家、目の前で刻々と移りゆく光の状態をひたすらに追い掛けた画家、…

清原と「冴え」

ぼくはプロ野球中継を熱心に観るような野球ファンではないのだけど、たまたま観ていた中日-巨人戦で、ちょっと良いシーンを見ることができた。8回表の巨人の攻撃で、ツーアウトで一塁ランナーに高橋が出ていて、打席は清原という場面。中日のピッチャーは紀…

ラウル・ルイスの『見出された時』

日比谷シャンテ・シネ2で、ラウル・ルイスの『見出された時』。この映画は、長いとはいえ3時間に満たない長さしかもっていないはずなのだけど、観ている間は、一度この映画の世界に足を踏み入れたら、もう永遠にこのなかをさ迷っているしかないのではないか…

春の日

ナマリ色の重たく曇った空。そこから染み出てくる光。汗ばむような陽気。いくら眠ってもまだ眠い。重たい目蓋、重ったるい身体。電車に揺られている。低い振動。午後過ぎの空いた電車は、時間調整のためいくつもの駅でしばらくの間留まることになる。うとう…

春の日

近くにある公園で散ったらしい桜の花びらが、ここまで流されてきて舞っている。強いけどどこかとろっとした暖かい風が、黄色味がかった若い葉をつけた木々をざわざわと揺らして吹き抜けている。鈍くぼやけた空の青。滲んだ雲。少し曲がりながら上っている公…

ジャン・ユスターシュ『ぼくの小さな恋人たち』『アリックスの写真』

ユーロスペースで、『ぼくの小さな恋人たち』と同時上映されている『アリックスの写真』は、20分にも満たない短編ながら、とても興味深い。写真家が友人に対して、自分の撮った写真についての説明を語ってゆくのだが、そのコメントの内容と、画面上に示され…

ジャン・ユスターシュ『ぼくの小さな恋人たち』『アリックスの写真』

澁谷ユーロスペースで、ジャン・ユスターシュ『ぼくの小さな恋人たち』『アリックスの写真』。 『ぼくの小さな恋人たち』は、ほんとうに素晴らしい。あの坂道を下る自転車、カフェの前の中途半端に開けた空間、少年の職場の前の、あの狭苦しくてやや上り坂に…

01/4/5(木)

今日から祖師谷大蔵のギャラリーTAGAで始まった加藤陽子・展の作品は、もう鬱陶しいくらいに、超重量級に「本気」なのだった。この「本気」が、一体どのような根拠によって支えられているのか不可解なくらいの、いくらなんでもこんなに本気じゃあヤバい…