2005-11-01から1ヶ月間の記事一覧

●昨日のつづきはちょっとお休み。京都へ行く前々日に、喫茶店で本を読んでいてふと気付いたら急に冷え込んでいて(24日の日記参照)、そのせいか風邪っぽい感じになって、今、風邪をひいたら嫌だなあと思っていたのだけど、一晩寝て翌日にはすっかり症状はなく…

京都で印象的だったのは...

●京都で印象的だったのは、ナンテンの赤い実と、ハッサクとかポンカンみたいな柑橘系の黄色い実をつけた木が目についたことで、京大の近くでも、待ち合わせの時間より少しはやくついたので正門のまわりを歩いていたら、民家の角にナンテンが真っ赤な実を溢れ…

●京大での対談(http://kyoto.cool.ne.jp/enf/nf.html)は無事終了しました。初対面だったのですが、星野さんもあまり口数が多いというような方ではなく、喋っている時間よりも沈黙の方が長いような対談になってしまうのではないかと心配したのですが、しかし…

●明日は、京都大学の11月祭での星野智幸さんとの対談(http://kyoto.cool.ne.jp/enf/nf.html)のだめ、朝から京都へ向かいます。せっかくなので、京都にそのまま宿泊して、京都・大阪周辺の展覧会をいくつか観てまわる予定です。なので、日記の更新は2、3日は…

高橋悠治の文章が衝撃的なくらいに面白かった

●依頼された、短い『アワーミュージック』(ゴダール)のレビューを書きはじめたり(短いレビューというのは結局、長く書いてそれを編集して縮めることになるので結構大変なのだった)、中上健次の小説を読んだりした後、用事で出かけ、用事が終わった後、喫茶店…

どうでもいい言い訳

●どうでもいい言い訳。昨日の日記は、11月22日の日記のはずなのに、11月23日に書かれた平山瑞穂さんの記事にリンクしてあって、時間的に齟齬が生じてしまっているけど、昨日(22日)書こうとして書けなかったことが、平山さんの記事を読んで「書けた」というこ…

●ナショナリズムとはおそらく作法の問題で...(『在日ヲロシヤ人の悲

●ナショナリズムとはおそらく作法の問題で、作法とは無意識に働くものだろう。例えば平山瑞穂は『マイノリティー・リポート』に出てくる「ヤカモト」という名前について書いている(http://d.hatena.ne.jp/hirayama_mizuho/20051123)。日本で育った人ならば、…

「一番はじめの出来事」「補陀落」

●『十九歳の地図』(中上健次)に収録されている「一番はじめの出来事」を読むと、既にここに中上健次の全てが出そろっているという感じがする。中上健次という作家は、ある主題なり何なりを深く追求してゆくというタイプの作家ではなくて、同一の主題をひたす…

●晴れていて風はなく、日光が直接当たる所はぽかぽかと暖かい。ビルの隙間にある小さな公園で、コンビニで買った昼食をとる。公園の前には墓地があり、何本かの巨木が伸びている。それぞれに形も大きさも違う葉が、それぞれに異なった色に色づき、日の光を撥…

『ロンリー・ハーツ・キラー』(星野智幸)と『千年の愉楽』(中上健次)

●『ロンリー・ハーツ・キラー』(星野智幸)という小説は、書評を書いた時に3回は読んでいるので、今回で少なくとも4回は読んだことになるのだが、この小説の素晴らしいところは何と言っても、最終章(昇天峠)にあるように思う。非情に厳しく考え抜かれて書かれ…

プーシキン美術館展

●今日、見たわけじゃないのだけど、上野の東京都美術館でプーシキン美術館展というのをやっている。こういう、特に目玉になるような凄い作品が来ている訳ではない、よほどの絵画マニアでもなければ楽しめないような地味な展覧会が、あんなに混んでいるという…

『アワーミュージック』の「ピクピクッ」

●上映が終わってしまうというので、急いでもう一度『アワーミュージック』を観に行った。便利なもので、パンフレットには採録シナリオがついているので、一度目に観る時でも、字幕は最低限しか追っかけなくて済むし、帰ってから採録シナリオを読んで、その上…

●今時の話題の本(『限界の思考』や『波状言論S改』とか)をパラパラと眺めていて思ったのだが、(数日前の引用した樫村晴香の言い方に従って)「法」や「倫理」が、「この場の感情、今、ここの自分」(宮台氏的に言えば「強度」)に帰属し得ない、何かもっと大き…

●乗っている電車が後からくる電車に追い抜かれるためにホームで待機している時、ずっとドアは開きっぱなしのままなのだった。そんな当たり前のことをあらためて意識させられたのは、開いたドアから外の冷たい空気がスースー入ってきて、足下から冷えがじんじ…

中上健次をつづけて読んでいると

●中上健次をつづけて読んでいると、これって深作欣二みたいだ、と思うところがけっこうしばしばあって、それで、『仁義なき闘い』と『仁義の墓場』のビデオを借りてきて、『仁義なき闘い』を観た。ほとんど内面が感じられない(「内面」はなくても、まるで運…

ゴダールの『勝手に逃げろ/人生』が...

●ゴダールの『勝手に逃げろ/人生』が今月末にDVDで発売されるらしい。確かこの映画は日本では一度もソフト化されていないと思うのだが、ぼくはこれがゴダールの映画のなかで、単純な意味で最も「面白い」映画だと思う。(最も「好きだ」というのとはまた別な…

●黒沢清『蟲たちの家』をDVDで観た。以前、黒沢清が映画にする、ということを聞いた後に、楳図かずおによる原作を読んだのだが、その時、これは楳図かずおの作品としては充分成り立っているけど、これを映画にするとしたら、よほどの「何か」を新たに付け加…

●批評空間のサイトに載っていた、樫村晴香の文章がとても面白い。この文章はそれほど長くはないので、全体の半分以上になってしまうが、引用する。 《彼が正しくも言うように、法とは本質的に、この場の感情、今、ここの自分に直接に帰属しないものを、自分…

ゴダール『アワーミュージック』を日比谷シャンテで観た

●ゴダールの『アワーミュージック』を日比谷シャンテで観て来た。見ている間じゅう頭に浮かんでいたのは(ベタではあるけど)大江健三郎の言うレイターワークというやつで、その(ゴダールの映画としては特異な)静かさと穏やかさ(まろやかさ、とさえ言えるだろ…

中上健次と星野智幸を読み倒す週間

●今、「中上健次と星野智幸を読み倒す週間」にはいっているのだけど、持っているはずの『枯木灘』(中上健次)と『目覚めよと人魚は歌う』(星野智幸)が、なかなか見つからない。そのかわり、それらの本を探してるうちに『千年の愉楽』が3冊も出て来たりした。(…

中上健次『岬』

●中上健次『岬』。この小説を前に読んだのは一体いつだっただろうか。もしかすると、読んだ気になっていただけで、実は読んでいなかったのかもしれない。そう感じられるほどに読んでいて新鮮で、こんなに「いい小説」だったのかと意外にさえ思った。簡潔に短…

●ジャ・ジャンクーの『世界』の上映がはじまっているみたいなので、「映画芸術」の前の号に載った、『世界』についてのレビュー(風景と情との乖離http://www008.upp.so-net.ne.jp/wildlife/sekai.html)を、text(http://www008.upp.so-net.ne.jp/wildlife/tex…

中上健次『地の果て 至上の時』の3章、4章を読んだ

●中上健次『地の果て 至上の時』の3章、4章を読んだ。前半の圧倒的な「大きさ」に対して、後半はテンションが落ちると、どうしても感じられてしまう。特に、3章の終わりころから4章はじめにかけては、かなり「退屈」に感じられて、読むのが滞るくらいだ。そ…

一昨日の日記で、ストローブ=ユイレの...

●一昨日の日記で、ストローブ=ユイレの『セザンヌ』について、絵画と映像の混じり合わなさを露呈させるような映画だ、ということを書いたのだけど、(ルノアールの映画が引用されている部分の前後なんかを)ちょっと見直してみて、そのような言い方は安易だっ…

●ちょっと必要があって、ジョナス・メカスの『リトアニアへの旅の追憶』のビデオを(ラックの奥の方から引っ張り出して)、夜中から明け方にかけて観ていたのだけど、「必要があって」観たことなどすっかり忘れてしまうくらいに激しく揺り動かされてしまって、…

ストローブ=ユイレ『セザンヌ』『ルーブル美術館訪問』を観た

●紀伊国屋書店から出ているDVDで、ストローブ=ユイレの『セザンヌ』『ルーブル美術館訪問』を観た。 ●『セザンヌ』を観ていて感じたのは、絵画と映像(実写)との、とことん混じり合わない(接点のない)様といったものだった。例えば、セザンヌの『ロザリオをも…

●ある雑誌を眺めていて、そこに載っていたある作家のエッセイを読んで驚いた。それは、その筆者がある「抽象画」の「個展」を観に行った顛末が描かれているのだけど、その個展とは、どう読んでも(今年の4月から5月にかけて川崎でやった)ぼくの展覧会のことだ…

●外に出たら、昨日までとは全く違う空気の冷たさで、「寒い」という感覚を久しぶりに思い出した感じだった。昼過ぎになると、太陽が照って、ぽかぽかとしてきたのだが。しかし、「ぽかぽか」という表現をすること自体が、「寒い」ことを無意識の前提としてい…