2011-08-01から1ヶ月間の記事一覧
●つづき、「黒つぐみ」について、六回目。 A2は三十余年前に子供部屋だった部屋で、《ほんとうにもう机の下に足が届かなかったのだよ》と言うような、《両端とも完全に固定してはいない》宙吊りの状態となる。A2はこれより前に、母の発病を知った時に《わが…
●つづき、「黒つぐみ」について五回目。 A2は母のことを《獅子の性》であると言う。この部分がぼくにはどうもよく分からない。なんとなくは分かるような気もするのだが、そのなんとなくは、まだ理解には遠いけど手掛かりがある、あるいは、感じは分かるけど…
●つづき、「黒つぐみ」についての四回目。 みっつめの物語は母にまつわる話だ。その話を語りはじめると《彼は一段と自信がなくなったようにみえた》。実際、ひとつめの話とふたつめの話の間に何かしらの共通性があるということは、直感的には誰にも納得でき…
●つづき、三回目。「黒つぐみ」(ムージル)について。 25日に引用した、小説がはじまってすぐの部分を、もう一度、もう少し長くみてみたい。 《ふたりの男というのは幼なじみだった。名前は、A1、A2としておこう。わざわざこんなことをいうわけは、実のところ…
●一昨日からつづく「黒つぐみ」についての話はちょっとお休み。 ●『輪るピングドラム』7話。ぐいぐい来てる。「生存戦略」はとうとう生殖から産卵(出産)というところにまで達した。荻野目苹果はアニメ史上かつてないヒロインへと成長しつづける。かつて、ペ…
●(つづき)「黒つぐみ」の難しさは、一見すると分かり易いようにも感じられるところからもきている。前に、岩波文庫の『三人の女・黒つぐみ』を読んだ時、「三人の女」にとても強い印象を受けたのだけど、それと同じモードでは「黒つぐみ」は読めなかった。同…
●お知らせ。明日(26日)の東京新聞夕刊に、栃木県立美術館でやっている「画像進化論」のレビューが載る予定です。 ●ムージルの「黒つぐみ」は、文としては例えば初期作品の「静かなヴェロニカの誘惑」よりはずっと読みやすいが、作品としてはかわらず難解だ。…
●午後、というか、夕方に近い時間に外に出たのだが、今日はやけに光が澄んでいた。視力がよくない僕にも、メガネなしで、木の葉の一枚一枚がクリアーに見えるくらいに。こういう光の日は、おそらく年に何度もない。 ●夢。バスに乗る。ぼく以外の客は、小さな…
●なぜかいきなり『魔の山』を読みだしてしまい、他に何もせずに一日ずっと読んでいた。一日で読み切れるものではないし、日がかわっても読み続けるかどうか分からない(たぶん読み続けないんじゃないだろうか…)けど、とにかく、一日は『魔の山』のなかにいた…
●最近観たアニメでは、あらゆる意味で凡庸であった『フラクタル』も、それよりはずっと質の高い「まどか☆マギカ」(9話と10話はまだ観てないけど)も、どちらも想像力のあり様としては類似していた。つまりどちらも、超越性や世界への「信」が、少女という形象…
●中倉智徳が描き出すタルドの「発明と模倣」、ラトゥールの言う「代理派遣」、清水高志が描き出すライプニッツやセールの「媒介」や「ネットワーク」等が、いわゆる表象代表(リプレゼンテーション)的な思考の枠組みと根本的に異なるところは、「代理」はする…
●『輪るピングドラム』六話。双子の兄弟、冠葉の描く線と晶馬の描く線とがますます分離する。苹果の日記の秘密が明かされる。 ●水没する女、苹果の寝室にあるぬいぐるみは水棲動物(カッパとラッコ)だった(カッパの名前が「カータン」だ、ピンポンパン!)。 寝…
●引用、メモ。『ガブリエル・タルド』(中倉智徳)、第一章「夢見る個人と社会の法則」より。 タルドにおいて「個人」は、(ベンサムが想定するように)合理的、功利的に行動するのではなく、欲望を大前提に、信念を小前提にして導出される実践的三段論法に従っ…
●栃木県立美術館の「画像進化論」は、企画者の意図がどうあれ(図録に掲載されている山本和弘によるテキストにぼくはほとんど同意できないし、つっこみたいところも多々あるのだが、それでも)、いろんな作品が観られて楽しかった。やっぱホックニーのジョイナ…
●好き/嫌いというのは、少なからず「わたし」を表現するものとなる。○○が好きなわたし、××が嫌いなわたし、という時、○○や××が、「わたし」にかわって「わたし」を(他者に対しても、わたしに対しても)表現し、指示し、意味する、代替物として機能する。それ…
●ラトゥールをもうちょっと読みたいと思って『科学論の実在---パンドラの希望』を買い、タルドも読もうと思ったのだが、パラパラみてみたら、いきなりだとちょっときつそうなので、日和って、『ガブリエル・タルド---贈与とアソシアシオンの体制へ』(中倉智…
●祖母はあと二年生きれば百歳になる。しかし、一年半くらい前に倒れてからずっと入院している。左半身が麻痺して動かないことと、記憶がかなり混濁しているからだ。しかしそれ以外はきわめて元気であり、顔色や肌艶の良さは驚くほどだ。病院は実家から近くに…
●実家で、バベルの図書館の『塩の像』(L・ルゴーネス)をたらたら読んでいた。最初の短編「イスール」は、カフカを連想させる(ルゴーネスはカフカより九年はやく生まれた)けど、全体としては、ビオイ=カサーレスに近い感じ。ビオイ=カサーレスよりも線が太く…
●頭を洗っていると、自分の頭蓋骨を意識する。両方の手の十本の指の腹で頭をぎゅっきゅっと押すように地肌を洗うと、指に感じるその抵抗から、写真や模型で見た頭蓋骨のイメージが頭に浮かび、それに今、自分は触れているのだと感じ、そして今触れているその…
●最近撮った写真。ようやく、イメージしている感じに少し近づけた感じ。でもこれは、おそらく真夏の午前中の光のおかげだ(はてなフォトライフの今月分の容量が、もう一杯になってしまったので、今月はこれ以上写真がアップできない)。 ●(昨日からのつづき)例…
●晴れたまま、すごく近くで雷が派手に轟き、落雷で五分くらい停電した。復旧した後も、バリバリいって落ちまくっていた。雷と争うようにセミが鳴いた。ずいぶん遅れて、台風のような豪雨が…。玄関のドアから外を覗くと、雨雲はそんなに厚くなくて、それどこ…
●夜中に暑さで目が覚めると、玄関のドアを開けて、その外のコンクリートにペタッと横になるとひやっと冷たくて気持ちがいい。人に見られるととてもあやしい人となってしまうのだが、あまりに気持ちがいいのでそのままそこで眠ってしまいたくなる。虫の声も聞…
●『虚構の「近代」』(ラトゥール)第二章の空気ポンプについて。これはどうも、準モノの具体例というより、近代初期(17世紀)において、そもそもハイブリッドなものとしてある「空気ポンプ」をめぐって、政治(人間、社会、主体)的な言説と科学(非人間、自然、…
●「VOL 05」でタルドについて書いていた(http://d.hatena.ne.jp/furuyatoshihiro/20110704)ブルーノ・ラトゥールの『虚構の「近代」』という本を半分くらい(「第三章 革命」まで)読んだ。でも、第二章のホップスとボイルの空気ポンプの話は、もう一度、丁寧…
●午前中、何をするでもなくぼーっと過ごしてしまったので、午後からはがっつり本を読むことにしようと思い、頭をすっきりさせるために少しだけ昼寝をしようと眠ったら、夜まで寝てしまった。寝つきはとても悪いのだが、どこかで眠りのスイッチがはいってしま…
●『輪るピングドラム』五話目。すばらしい。毎回、こちらの予測を裏切るというか上回る展開。前回がわりと緩めの荻野目苹果ショー的な感じだったのと打って変わって物語が急展開する。そして、詰め込み過ぎくらいに、いろんなものが詰め込まれている。 ●五話…
●フレーミングとは、物と物とを関係づけることだ。物と物、その距離、形態、色彩、表情、テクスチャー等を、フレームのなかに配置し、フレームによって再配置する。既にそこにある関係が、フレーミングによって配置し直される。あるいは、そこにある潜在的関…
●朝はやく目覚めて、ちかくの自販機まで飲み物を買いにゆく。その時撮った写真。
●今年はじめて、ヒグラシの声を聴いた。最近撮った写真。 ●アニメについて。 『魔法少女まどか☆マギカ』七話、八話。うーん、やっぱりぼくは、これは好きになれない。世界の「重さ」を少女という形象に負わせて、その上で、それに「萌える」というのがどうも…
●最近撮った写真。夜。