2006-10-01から1ヶ月間の記事一覧

●ロッセリーニの『ストロンボリ』などをDVDで観ながら、リアリズムと一神教との関係について、とりとめなく思いを巡らせていた。以下の引用は、そのための参考。樫村晴香「Quid?」。 ●《(...)「人間とは何なのか、私はどこからやって来たのか」という問いも…

小島信夫『寓話』

●キャリアも長く多作で、その上作品の多くが入手困難であるため、その全作品のうちのほんの僅かしか読んでいないのだけど、ぼくが読んだ小島信夫のなかで圧倒的に好きなのは『寓話』で、特にそのなかでも茂子さんという女性が書いた手紙の部分がとても好きだ…

小島信夫、ロッセリーニ、ブレッソン

●小島信夫『寓話』の終盤の三分の一くらいを読み返す。DVDで、ロッセリーニ『イタリア旅行』と、ブレッソン『パルタザールどこへ行く』を観る。 ●『寓話』の登場人物たちは、他人のことをいろいろと考える。ほとんど空想すると言ってよいくらい、その考えは…

富樫森の『ごめん』と「日本映画」

●富樫森の『ごめん』をDVDで観ていた。『天使の卵』を富樫森が監督しているらしいと知ったからだ。小説は読んでないけど、あらすじだけをみる限りではぼくには『天使の卵』ような話はただ「きもちわるい」としか思えないのだけど、でも、『鉄人28号』よりは…

●小島信夫の訃報に突き当たったのは、昨日、博物館から返った後、深夜にネットを徘徊している時だった。26日の午前3時58分に亡くなられたそうで、その時間、自分は一体何をしていただろうか、と、まず考えた。(カネフスキーの『動くな、死ね、甦れ』をビデオ…

東京国立博物館で「仏像--一木にこめられた祈り」

●上野の東京国立博物館で「仏像--一木にこめられた祈り」。期待していたほど凄いということはなかったけど、面白かった。それが、千年以上前につくられた、ということと、今、目の前にある、ということ。それを歴史的な資料や文化財としてみるならば、千年以…

●別の目的でヨドバシカメラに行ったついでに覗いたDVDソフト売り場で『ゴダールの探偵』が出ているのを見つけて溜まっていたポイントで購入した。『勝手に逃げろ/人生』あたりからはじまった「八十年代のゴダール」の技術的な集大成みたいな作品で、その画面…

クロソウスキーとさんま御殿

●引用、メモ。クロソフスキー「バルチュスの絵画における「活人画」について」(「ユリイカ」94年7月号)から。 《非=言語によって成り立っている芸術について語ろうとすることは、何やらパラドクサルなところがある。実際、眼差しを通して思考に伝えられるも…

小さな幽霊/イメージの大きさ

●芸能人がテレビで、地方のホテルに泊まった時などに見た幽霊の話をする時にしばしば、親指くらいの小さな幽霊の話が出てくる。ぼくはこの幽霊の小ささに、不思議なリアリティを感じてひっかかっている。ちょっと前に、ジャコメッティの展覧会に展示されてい…

風邪ひいた/海へ

●風邪ひいた。用事があって出かけ、発車間近の電車に飛び乗った時は、喉がちょっといがいがするから何か飲み物を買っておけばよかったと思った程度だったけど、電車に揺られているうちに次第に喉の違和感は大きくなり、もしかしたら風邪っぽいかもと気付き、…

ビデオでフェリーニの『カサノバ』

●ビデオでフェリーニの『カサノバ』。この映画が日本で公開されたのは八十年代にはいってすぐで、ぼくが観たのはロードショーの時ではなくその少し後で、名画座で確か『女の都』と二本立てでだったと思うけど、どちらにしても八十年代の初頭で、ぼくは中学生…

メルロ=ポンティとラカン

●最晩年のメルロ=ポンティとラカンは、とても近いことを考えている。例えば、メルロ=ポンティの言う、「事実としての身体にも事実としての世界にもそれ固有なものとしては属さないような唯一の〈可視性〉、〈触れられうるものそれ自体〉としての〈肉〉」とい…

加藤陽子「ただひとつ」展

●神保町の言水制作室(http://www.kotomizpress.jp/)で、加藤陽子「ただひとつ」展。比較するとこには何の意味もないが、例えば大竹伸朗の作品が、雑誌のページをパラパラとめくるように、ある作品から次の作品へと視線を「はやく」移動させ、その移動のある…

風景

●おそらく、ぼくにとって「風景」というのは感情のことなのだと思う。感情というほどに強くはない、ある種の感触というべきか。それは、自分の感情を風景に投影するというよりも、風景によってある種の感情が生起するという度合いの方が高い。感情が外側から…

シネマアートン下北沢で、『カメラになった男 写真家 中平卓馬』(

●シネマアートン下北沢で、『カメラになった男 写真家 中平卓馬』(小原真史)。この映画を観ることが出来てよかった。というか、観逃さなくてよかった。もし、これを観ていなかったら、この映画を観損なったことがどれだけ大きな損失であったかに気付くことも…

●引用、メモ。樫村晴香「新しい時代」より 《言語を(あるいは宗教を、セックスを、芸術を、そして政治を)通じてなされる、間主観的な交通において、真にかけられているものは、時間のなかを展開することばの意識などでなく、限りない密度をもったことばや…

東京都現代美術館で、大竹伸朗「全景」

●東京都現代美術館で、大竹伸朗「全景」。本当に美術館が作品で埋め尽くされている感じで、三時間くらいかけて観て、ぐったり疲れた。でも、いくらじっくり観ようとしても、こういう展示だとどうしても、電車の窓から外の風景の流れを眺めるような観方になっ…

国立西洋美術館でベルギー王立美術館展

●国立西洋美術館でベルギー王立美術館展。ピーテル・ブリューゲルも面白いし、ルーベンスも確かに凄いのだけど、なんといっても、アンソールの初期の傑作「ロシア音楽」が観られたのがよかった。いわゆる「アンソール風の絵」になる前のアンソールの作品がぼ…

風景とか

●午後になってから起きだし、頭がぼーっとして何もする気が起きず、ぼんやりテレビを眺めているうちに時間が過ぎてゆく。このままだと一日こんなだろうと思って、とりあえず外に出る。近所をしばらくぶらぶらと散歩して、喫茶店に入ってホットココアを頼んで…

●出かけようと思っていたところに、ネットの古本屋で買った『ペドロ・パラモ』(フアン・ルルフォ)が届いたのでそれを持って出て、電車のなかや喫茶店などで読んだのだけど、メチャクチャ面白い。あまりに面白いので、今読んだところを二度、三度と読み返して…

●『快適生活研究』(金井美恵子)の最初の方を読んだ。短編連作になっているらしい。ふたつめの(短編というのか章というのか)「そんとく問答」を読んでいて、なんとも言えない感情に襲われる。初老の一人暮らしの女性が書く、脱線ばかりの手紙から浮かび上がっ…

綿矢りさ『夢を与える』

●綿矢りさ『夢を与える』(「文藝」2006・冬)。おそらく小説家にとって、長く書くということのプレッシャーというか、ある長さをもたせられるかどうかという不安は相当なものがあるのだろうなあと思った。この小説は、その、長さをもたせるために採用された様…

●新宿へビデオを返しに行ったついでに久しぶりに本屋に寄ったら、金井美恵子の新しい小説(ぼくは最近の金井美恵子のエッセイは全く「読めない」のだが小説は気になる)と、綿矢りさの新作の載っている「文藝」が出ていたので買った。あと、『アンチ・オイディ…

米澤穂信『さよなら妖精』

●米澤穂信『さよなら妖精』。米澤穂信をはじめて読んだのは『氷菓』で、本屋で買ってそのまま喫茶店に入って読んだのだけど、前半、イマイチな印象だったのにもかかわらず、終盤で思わず泣いてしまった。『さよなら妖精』も、後半の部分は喫茶店で読んでいて…

●引用、メモ。ジル・ドゥルーズ「彼は群groupeの中のひとつの星だった」(『狂人の二つの体制』)より。(ここで「彼」とは、ドゥルーズの友人であったフランソワ・シャトレのこと。) 《私は彼のある言葉、彼が入院する前に言った、まさに最後の言葉にたちどま…

飽きっぽさというのは...,

●飽きっぽさというのは、貴重な能力だと思う。飽きることが出来ることとはおそらく、今、自分がしていることの下らなさに気付くことが出来る、あるいは、それが硬直したものになってしまっていることに気付くことが出来るということだろう。みんな当然のよう…

●なんとかして、11月中頃くらい(海外旅行が一番安い時期)に、イタリアへ行けないだろうかと、いろいろ画策している。忙しい生活をしているわけではまったくないので、日程はなんとでもなるだろうが、一番の問題はお金がない、ということだろう。お金と時間と…

●昨日の日記で、保坂和志『小説の誕生』について、《はじめから順番に通して読む》のが良いと思うと書いたのだけど、ぼくは実際にはそのようには読んでいなかった。小説などを読む時は別だけど、ぼくは、「難しそうな」本を読む時は、パラパラと眺めてみて、…

●二、三日前から保坂和志『小説の誕生』を読んでいる。この本のもとになっている「小説をめぐって」はずっと連載の段階で欠かさず読んでいるのだけど、例えば、この本に引用されたり触れられたりしている本と、自分の読書の傾向とを比べて考えてみるだけで、…

ギャラリー・テラシタで、今澤正・展

●京橋のギャラリー・テラシタ(http://www.gallery-terashita.com/)で、今澤正・展。最初の、パッと見の印象は、エッジの堅い、ちょっと古い感じのカラーフィールド・ペインティングのような作品に見える。しかも、画面に配置されている形態のバランスが、妙…