2003-01-01から1年間の記事一覧

03/12/31

橋本治の『宗教なんかこわくない!』はとても良い本だと思う。(書かれていること全てをすんなり受け入れられるかと言われれば、ちょっと、という部分もあるけど。)こういう本は手元に置いておいて、折りに触れて読み返してはいろいろと考えたいと思うのだが、…

03/12/30

ビデオで澤井信一郎の『仔犬ダンの物語』。これは大変素晴らしいものだった。昔、「リュミエール」に載っていた蓮實重彦の澤井信一郎論では、澤井氏の映画は、説得(演出)することと祈願することという、相容れない2つの要素の緊張関係によって成り立ってい…

03/12/29

●繰り返しになるが、確信を与える形式とは、目にみえないところで作動しているものであって、それは自分の手で自由に選択できるものではない。しかしそれは完全に決定的なものではなく、個人的な来歴や状況に変化に応じた可変的な部分も多く、常に移ろう不安…

03/12/28

●岡崎乾二郎は中井正一をひきつつ、確信と主張の乖離について語る。(「國文学」2004・1)人は、外で雨が降っていると知ったとしても、わざわざそれを発語しないで、ただそうだと確信する。人が「雨が降っている」と発語する時、それはたんに確信を口にしてい…

03/12/27

●「よりぬき偽日記」に『TIMEQUAKE(映画・読書・その他、31)』と『TRANSITION DREAM (映画・読書・その他、32)』を追加しました。今年の8月から10月くらいの時期の日記を編集したものです。 ●絵を描いている。冷たい風の吹き荒れるなか、一駅ほどの距離を自…

03/12/26

入沢康夫の詩の良い読者では全くないのだけど、『詩の構造についての覚え書』を少しづつ読んでいる。この60年代を代表するような名高い本が面白いのは、言葉は常に「発話者との関係」「受け手との関係」においてあるしかなく、だから言葉を使って詩をつくる…

03/12/25

●東大の教養学部美術博物館でロラン・バルトのデッサン展をやっていたのだけど、観に行けなかった。バルトは『彼自身によるロラン・バルト』の「色彩」という項目で、世間は常に性欲が攻撃的であることを望んでいるが、絵画のなか、色彩のなかにのみ、しあわ…

03/12/24

●アウトレットモールの真ん中を突っ切る煉瓦敷きの歩道に生える街路樹(ナンキンハゼ)の葉はあらかた落ちていて、黒に近い濃い紫だったパチンコ玉くらいの実は白い色にかわっていた。低い位置からぽかぽかと暖かい光を射してくる太陽が、煉瓦敷きの地面に眩し…

03/12/23

今日も、制作のため一日籠もっていた。今日は、多少は進展があったように思う。ぼくは、全く素朴な意味で絵描きであって、とにかく手を動かすのが楽しい。作品をつくるとか、そういうレヴェルでなくても、ただ線をひいたり色を塗ったり、何かを描いたりする…

03/12/22

一日中、制作。制作が微妙なところに差し掛かっている時は、自分の作品について言葉では何も言えない。微妙と言うのは、今つくっている作品がこのまま完成すれば、今やっていることが作品の最も重要な部分を形づくることになる筈なのだが、上手くゆかずに、…

03/12/21

フィリップ・ガレルの『白と黒の恋人たち』をDVDで観たのだけど、この映画の良さは何といってもガレルっぽくない軽さというか「ぼーっとした」感じにあると思う。主役の映画監督は(いつものとおり)明らかにガレル本人を思わせる役柄ではあるのだけど、実存の…

03/12/20

アルノー・デプレシャンの『そして僕は恋をする』には、主人公が自動ドアのセンサーに認知されず、後ろから来た3人くらいの女の子たちのグループによってドアが開くというシーンがあった。確かこのシーンは、そのあと、昔仲が良かったが今は反目している人物…

03/12/19

最近あまり余裕がないのは、時間的なこともあるけど精神的なものもあって、今日も、来年展覧会をする画廊と意志疎通が出来ているとばかり思っていた点が全く通じていなかったことが判明して愕然とする。なにしろ、展覧会のためのDMが出来上がってこちらへ届…

03/12/18

●まる一日かけて、ペドロ・コスタ『ヴァンダの部屋』についての原稿を書いていた。ぼくは職業的なライターとかではないので、自分が書こうと考えている内容がどれくらいの分量になるのかが、実際に書いてみるまで全く分からない。だから枚数が決まっている原…

03/12/17

寒い朝、大きくて重たい鞄を肩から掛けて、足を出すたびに揺れるその鞄の揺れにもてあそばれるように、早足で駅へと向かう。少し先の信号が青になったのが見えたので、両手で鞄をがっしりと抱えて走り出そうとしたその瞬間に、近くの家から味噌汁(多分わかめ…

03/12/16

●画材を買いに出掛けたついでに本屋をのぞいたら、ロラン・バルトの『新しい生のほうへ』という本が出ていて、パラパラと立ち読みして、迷ったあげく結局購入しなかった(画材を買い込んだ後だったので、何冊かの文庫本しか買えなかった)のだが、バルトのきわ…

03/12/15

アテネ・フランセ文化センターでペドロ・コスタ『骨』。上映後のトークショーで青山真治が使った言葉を青山氏とはやや違った意味合いで使えば、ペドロ・コスタという監督がヨーロッパのプロレタリアート系の映画(初期のカウリスマキのような)の系譜の人なの…

03/12/14

フセインが見つかったと言っても、大量破壊兵器が見つかったわけではない。イラクがどうなってしまうのかということに関心がないわけでは勿論ないが、ぼく(という限定された個人)はどうしても、今自分が住んでいる場所、日本がどうなってしまうかが気になる…

03/12/13

●展覧会まで、あと一ヶ月半を切った。だからと言って別に特別なことは何もなくて、搬入の前日まで普段通りに制作を続け、その時点で納得のいく作品を選んで画廊へ持ってゆき、展示の仕方などは作品を見てその場で考えるというのがいつものやり方で、前もって…

03/12/12

●青山真治が日記で「あるサイト」と書いているのが「このサイト」であると考えるのは、もしかしたらたんなる自意識過剰か関係妄想に過ぎないのかもしれないが、とりあえずそうであると仮定して書いてみる。ぼくが12/09に書いたのは、『ヴァンダの部屋』の「…

03/12/11

雪でも降ってきそうな分厚い雲が空にのしかかる。早足で歩いているので身体のなかはあたたかいが、直接空気に触れている顔の肌はこわばる程冷たい。(鼻の辺りが真っ赤になっているのだろう。)しかしそれでもまだ、耳の奥がキンキンと痛くなる程に空気は冷え…

03/12/10

●自衛隊のイラク「派兵」が正式に閣議決定された。このことについてどう考えればよいのだろうか。前の選挙で小泉政権が潰れなかった以上、こうなることは既に分かっていた、とも言える。僅かな望みは公明党の存在で、あれだけ「良い位置」にいるのだから、連…

03/12/09

昨日のことになるけど、映画美学校の試写室でペドロ・コスタの『ヴァンダの部屋』を観た。この映画については、多分「映画芸術」にレビューを書くことになると思うので、あまり突っ込んでは書かないけど、ペドロ・コスタという監督が大変な映画作家であり、…

03/12/08

(昨日からのつづき、樫村晴香『ストア派とアリストテレス・連続性の時代』から、アメリカと世界についての部分の引用。) ●怪物とは、相手(敵)が怪物であってほしいという欲望によって表象される。つまり怪物は、自らが「想像的に虜になっている敵」の姿であ…

03/12/07

●『しあわせの理由』(グレッグ・イーガン)とストア派との関連を示唆されたこともあって、ストア派についての参考として樫村晴香の『ストア派とアリストテレス・連続性の時代』(「批評空間」2002・3-2)を読み返した。この文章は9・11についてのものでもあり、…

03/12/06

ジャ・ジャンクーの『青の稲妻』がビデオで出ていたので観直した。ぼくはジャ・ジャンクーの映画がとても好きなのだけど、それは多分にノスタルジーのような感情と結びついていると思う。ジャ・ジャンクーの映画は、スタイルとかそこから受ける感触としては…

03/12/05

阪本順治『ぼくんち』をDVDで。映画の冒頭の部分を観た時には少し嫌な予感がした。原作についてはほとんど知らないのだけど、ちょっとブラックな捻りが入っているとはいえ、どこか牧歌的でノスタルジックでユートピア的な感じのするファンタジーを映画でやっ…

03/12/04

巨大なアウトレットモールを真ん中で二つに割るようにして通る駅から大学まで伸びる道幅の広い歩道には、その道幅を三つに仕切るように二列に街路樹が植えられている。丸みを帯びたハート型の葉が果実が生るようにだらんと垂れる感じで密についているこの木…

03/12/03

市内にある、数年前に温泉を掘り当てた業者のつくった施設の風呂場は、いわゆる「健康ランド」のような施設の風呂場よりはずっと狭くて、扉を開くともうもうと立ち上る湯気で、平日の昼前でまばらにしかいない客の姿が、ごそごそと動くおぼろげな影のように…

03/12/03

市内にある、数年前に温泉を掘り当てた業者のつくった施設の風呂場は、いわゆる「健康ランド」のような施設の風呂場よりはずっと狭くて、扉を開くともうもうと立ち上る湯気で、平日の昼前でまばらにしかいない客の姿が、ごそごそと動くおぼろげな影のように…