2016-01-01から1ヶ月間の記事一覧

●星野源『YELLOW DANCER』を買ってしまった。J-POPのオリジナルアルバムを買うのはいつ以来だろうか。『Sweet』(スガシカオ)とか『Eclectic』(小沢健二)とか、その辺り以来じゃないだろうか。十四、五年ぶりか。いや、違う、『Me-imi』(岡村靖幸)があったか…

●リヴェットが亡くなった。ヌーヴェル・ヴァーグのなかでは、趣味としてダントツに好きな作家だ。とはいえぼくは『パリはわれらのもの』も『アウト・ワン』も『狂気の愛』さえも観ていない。だからきっと、リヴェットの一番濃いところは経験できていない。 …

●『ぼくらのへんたい』(ふみふみこ)1〜4巻まで読んだ。 欲望は人を一人にする。というか、自分の欲望と直面することは、それが「自分だけのもの」であることを思い知ることだ。(1)欲望は外在的である。それは外からやってきて、わたしを強い力で引きずりまわ…

●なにを今更という感じなのだろうけど、普段テレビは観ないし日本のポピュラー音楽に親しい生活でもないので知らなかったのだが、星野源を発見してちょっと動揺している(俳優としての星野源は知っていたけど)。おおっ、こんな人がいるのか、すばらしい、と。…

●フィクションについて考える時、例えば、小説なら小説にしか出来ないこと、絵画なら絵画にしかできないこと、みたいな、メディウムに根拠を置くメディウムスペシフィックな思考(表現論)は成り立たないと思う。いや、メディウムについての思考は依然として重…

●おそらく二十世紀の末においては、原理的に思考することが偉いこととされていた。だが、二十一世紀になって、むしろ、工学的、実践的、あるいは制作的に思考することの力が強く意識されるようになったと思われる。 この違いは、テクノロジーによる認識の解…

●『紅殻のパンドラ』の原作のマンガをツタヤで借りてきた。この作品はそもそも、『攻殻機動隊 ARISE』の一種のスピンオフ物として士郎正宗が構想したもなのだが、企画がポシャッて、その後、六道神士によるマンガ作品として復活したものであると巻末に士郎正…

●深夜アニメ。三話まで観てきて『紅殻のパンドラ』が頭一つ抜けて面白く思われた。一番前面に出ているところだけを見れば、美少女キャラを愛でるのが主の軽めの作品で、物語はシリアスなものではなく、ギャグの連鎖のなかから立ち上がる小さなエピソード集と…

●メモ。ウィニコットからフィクションを考えるための。『集中講義・精神分析(下)』(藤山直樹)から引用。 《ウィニコットは孤立というものの価値を非常に重視した人で、人間というものは最終的にどんなことがあっても一人だということを何度も書いています。…

●分析哲学系のフィクション論を読んでいる時の腑に落ちない感じというか、なぜそれが問題なのか分からないという感じがいつもあったのだが、『論理パラドクス』(三浦俊彦)を読んでいて、ああ、そういうことなのかと腑に落ちたような気がした(この「腑に落ち…

●『論理パラドクス』(三浦俊彦)を読んでいたら、最初のところに、自己言及に関するいわゆる「嘘つきパラドクス」は疑似パラドクスでパラドクスではないと書いてあった。「すべてのクレタ人はウソしか言わない、とクレタ人が言った」という文を仮に「真(ホン…

●お知らせ。昨年の末に永瀬恭一さんがアトリエに来て下さって、そこで話をした録音が永瀬さんのブログにアップされています。主に、去年やった百年での展示についての話です。けっこうだらっとした雑談ですが、そういう形でしか話せないこともあると思います…

●六本木の国立新美術館で、大原美術館のコレクション展の内覧会があった。展覧会としてのコンセプトがどうこうというようなものではないけど、大原美術館のコレクションの充実が感じられる展示で、久しぶりに素朴な絵画マニアになって絵画を堪能した。内覧会…

●東京は雪なのか。八王子はきっとすごいことになっているのだろう。こちらはずっとただの小雨だ。 ●図書館から借りてきた本。『理由と人格』、ヘヴィー過ぎて読めるかどうか……。

●昨年末から近所のツタヤでレンタルできるマンガを読みまくっているのだが(今頃になって『寄生獣』の原作をはじめて読んだりしたし)、そこに置かれたマンガで面白そうなものはそろそろだいたい読んでしまったのか、面白いと思うものに当たる確率がかなり落ち…

●『エピローグ』(円城塔)を読み始めた(4章まで読んだ)のだが、すごいなこれ。こんな小説があり得るんだ。 コンセプト八割、諧謔二割くらいの小説だと思われ、ほぼコンセプト文でできている感じだけど(「読む」ということは「コンセプトを理解する/し損なう」…

●『アトリエ会議』(磯崎憲一郎・保坂和志・横尾忠則)を読んでいた。「文藝」で連載しているやつが、もう本一冊分になったのか、と、思ったけど、半分は「語り下ろし」となっていた。 読んでいて「すばらしき仲間」という昔あったテレビのトーク番組を思い出…

●ネットで予約しておいた本を図書館へ取りに行き、その時に目に付いた『ニコニコ哲学』(川上量生へのインタビュー本)も借りてみた。パラパラみていたら、おもしろかったので一気に読んでだ。おもしろく、味わい深い。 以下に引用する部分では、シンプルに真…

●告別式。火葬場で、骨になった祖母を見た時には、感情的に揺さぶられるものがあった。 ●ヤキバニイタネコ。

●お通夜。斎場の離れで、祖母の遺体と一晩過ごす。遺体と一つ屋根の下にあって真夜中に一人でいるというのはなかなかない経験だろう。さすがに、あまりよく眠れなくて、何度も起きて遺体の顔を見て、お線香をあげた。12時間持続するコイル型のお線香があるの…

●お知らせ。去年の十月に吉祥寺の「百年」で作品展示(「人体/動き/キャラクター」)を行いましたが、その時の柴崎友香さんとのトークイベントの模様が「百年」のホームページにアップされています。ぼくはこれ、かなり面白いと思うのですが。 http://www.100h…

●今年に入ってから、気候があまりにも穏やかであり過ぎて不気味ですらある。

●生物としての人が死ぬということとはまた別の、人々の共同性のなかから人が一人消えることに関する、様々な手続きやことがら。いやむしろ、急に消えてしまわないためのものか。

●祖母が亡くなった。102歳。 祖母はもう何年も入院していて、その間に「今回は覚悟して下さい」と医者から言われるような状態に何度もなり、しかしその度に奇跡的に回復し、しばらく安定するということが繰り返された。言い方は悪いが、家族は、祖母の死を何…

●今日の夕焼け。

●『岡崎に捧ぐ』(山本さほ)1巻を読んだ。 育児放棄されている岡崎家の荒れた家庭のあり様が、主人公の山本にとっては、口うるさい親の干渉のない「自由」を感じられるワンダーな空間にみえるという、幸福でお気楽な子供による残酷な勘違い。しかしその勘違い…

●デランダを読んでいてルーマンが気になった。自己言及(自己記述)がないところには心身問題が発生しない。自己言及がないとすれば、個体を「一つのもの」と認定するのものが「それ自身」以外の別の誰か、ということになる。とはいえ、自己言及というのは、自…

●今日の富士山。

●今日の富士山。

●『社会の新たな哲学』でデランダは、彼が分類学的な本質主義と呼ぶものを批判し、たとえばアリストテレスによる類、種、個という階層構造を解体し、どの階層も等しく歴史的で特異的なものとしての「集合体」という概念として一元的に捉え直そうとする。 分…