2009-01-01から1年間の記事一覧

●半年ぶりに髪を切る。今年じゅうになんとかしたいと思っていた(これを書いている今は既に年が明けてしまっているのだが)。二十センチくらい切った。半年前よりも短くなった。しばらくは、帽子なしでも表に出られる。知り合いに会っても、きっと何秒かは気づ…

●午後、書き直した原稿を送信して、散歩に出る。途中、古本屋で、気分をかえる感じでミステリとSFの文庫を何冊か買う。喫茶店に入って、それらの最初の章だけを読んでみるが、どれも面白くなりそうだとは思えず、外れのようだった。帰って、『水死』のつづき…

●ぼくは、前もって構想を立てたり設計図をつくったりは出来なくて、考えながら書き、書きながら考えることして出来ない。同じ事を少しの言い換えで何度も書き込んで、考えをその都度、何度も確認しつつ書き進めてゆくので、例えばこの日記の文章でも、原稿な…

●一人の人間は、複数の異なる文脈の結節点としてある。複数のフレームが重なる時、その間の、ズレや落差や矛盾や抗争が「わたし」の萌芽となり、そして、そのズレや矛盾を調整(吸収)するものとして、一つの主体、一つの身体が要請される。わたしが生きる(発…

●昨日、本屋に行った時に、探していたものとまったく関係なく、たまたま手にとってしまって、『崖の上のポニョ』の絵コンテが印刷されている本を買ってしまった。これはすばらしい。ため息をつきながらページをめくる。DVDを借りて部屋の小さなテレビで観直…

●大江健三郎『水死』を半分くらいまでと、福永信「一一一一」(「すばる」1月号)を読んだ。『水死』は、ぼくにとっての大江健三郎の面白いと思う点と、あまり面白くないと感じる点との、両者の力がどちらに転ぶでもなくずっと拮抗していて、それが今後、どち…

●セザンヌは、故郷の山や森を歩き回るのと同じくらい、ルーブルのなかを歩きまわる。だからセザンヌには当然、広くて深い美術史の教養がある。しかし、セザンヌの絵を観るためには、特に美術史的記憶は必要とされない。セザンヌの筆触は、それを観る者に対し…

●最寄りの駅のひとつ隣の駅の南側に、やたらと背の高いビルが建設されている。日々、背が高くなってゆく。この駅の南側は、いわゆる「ひらけてない方」で、繁華街である北側とはことなり、他に高い建物がないから、そこらあたり一帯を見下すようなその背の高…

●六本木super deluxeで神村恵カンパニー『配置と森』。去年、横浜のSTスポットで観た初演があまりに圧倒的だったので、それに比べるとちょっともやっとした感じ。「もやっとした感じ」というのは、いいとか悪いとかではなく、掴みづらいということなのだが。…

●山崎ナオコーラ「この世は二人組ではできあがらない」(「新潮」12月号)。これはすごく面白かった。センスの良さと、関係における倫理性の追求という主題の骨組みだけで出来ていたような『人のセックスを笑うな』からずっとつづく主題的な一貫性を保ちつつ、…

●ヤマト運輸の人に集配に来てもらって、ブツを着払いで送り返し、長くつづいた用事がようやく完全に終わる。部屋のなかにどかっと居座っていた大きな段ボール箱ふたつがなくなって、少しすっきりした。 ぼくの部屋は、住居である以前にまずアトリエであって…

●長くつづいたハードな用事が、ほぼ終わる。明日、ネットカフェに行ってプリントアウトしたものを添付して送り返せば、それで終わり。ここ数ヶ月つづいた、ぼくとしては異例の忙しい時期も終わる。夕方、散歩に出て、途中にある古本屋で、開放感から久しぶり…

●たんたんと用事を進める。あと一息。用事をいったん中断して、夕方から、ブックファースト新宿店での、青山七恵×磯崎憲一郎のトークイベントへ。会場でぼくの本を売ってくれるというのと、磯崎さんにちょっと個人的な用事があったので。 トークで印象に残っ…

●今日は配本の日だ、と頭の隅で思いながら、いつも通りに喫茶店でたんたんと用事をこなす。しかしこの用事も二、三日ちゅうには終わる。もう残り僅か。 ●とはいえ、ぎりぎりの進行で余裕はないのだが、先が見えてすこし気が緩んで、昨日の夜、『臨床社会学な…

●昨日の日記を間違えて今日の日付でアップして、それに気づいて16日のところにあらためてアップし直したのですが、17日のところに既に☆のマークをいただいていたので、こっちも削除しないでこのまま残し、今日の分の日記は、あとでその下に付け足すことにし…

●編集者と会って、直したゲラを渡した帰り、ホームで電車を待っていた。電車が入ってきて、停まり、目の前のドアが開く。するとそこから、森永卓郎が降りてきた。テレビで観る、(おそらく首に肉がつきすぎているために)顎を軽く上げ、軽く半笑いな表情の、あ…

●今季初の「ああ、冬だ」という寒さ。寒さの質がかわった感じ。 ●今日しか出られる日がなく、いくつか展覧会を観てまわった。それも、移動中の電車のなかでは別の用事をしている感じで。今はバタバタしていて、ちゃんと作品と向き合った感じで感想を書く心の…

●午前中、昨日書いた原稿をもう一度読み直して、少し直してから送信。それから、喫茶店へ行って、ゲラの直し。書いてからまだ二ヶ月経っていない文章だけど、その後バタバタと忙しくて、自分でどんなことを書いたのかいい感じで忘れていたので、自分で書いた…

●つまらないものを指して「つまらない」と言うほどつまらないことはない(よって、この文もつまらない)。 ●きょうのできごと。原稿を最後まで書く。頭を切り換えるために散歩に出る。十二月ってこんなにあたたかかっただろうかと思う。途中の古本屋で文庫本を…

●来月発売の雑誌に載る予定の作品論のゲラが届く。怖い予感は当たり、今書いている原稿の締め切りとゲラの戻しの期限がほぼ重なってしまった。とにかく、まず、原稿をちゃんと書き上げてしまわないと。ある作家の初期の二つの短編小説について書くつもりだっ…

●二万年前に洞窟に描かれたものも、ついさっきキャンバスに描かれたものも、同じように「絵」として観ることができる。マティスによって描かれたドローイングも、テレビで観た、芸能人がフリップにマジックインキで描いた線画も、同じように「絵」として観る…

●観たい展覧会が複数あるのだが、出かけられるかどうかは、15日が締め切りの原稿の進み具合による。うまくいけば、1日くらい休みの日をつくれるかもしれない。15日までは、同時進行している他のことはいったんお休みにして、原稿を書くことに集中する。ここ…

●ずっと部屋で用事をしていて、夕方から喫茶店に出かけて仕事をしようとするその前に、一時間くらい、ちょっと眠ろうと思って横になった。なかなか寝付かれず、目を閉じたまま何度か寝返りを繰り返していた。するととつぜん、キッチンと冷蔵庫の隙間の空間に…

●高尾山に登った。今日も途中の展望台までで、山頂までは行かなかった。それでも、アパートから歩いて行って、歩いて帰ってくると、三時間半くらいかかってしまう。そんなにのんびり散歩している余裕はないので、帰りは電車を使おうと思っていたのだが、登っ…

●どこで飼われているのかは知らないけど、住んでいるアパートのまわりにいつもいる猫がいて、ぼくの部屋のドアの前にもよくいるのだけど、部屋のなかにいて、パソコンに向かって文字を入力している時などでも、その猫が首につけている鈴の音が、チリッ、と鳴…

●お知らせ。「新潮」2010年1月号に、ガルシア=マルケスの自伝『生きて、語り伝える』の書評(「デコボコなエピソードの間を移動する」)を書いています。 ●一方に利部志穂がいて、もう一方に、最近はじめて観た郷正助がいる。利部志穂の作品が、誰にも似ていな…

●国分寺のSwitchpointで、利部志穂展(http://www.switch-point.com/2009/0924kagabu.html)。今年観ることの出来た美術作品のなかで、というか、美術作品に限らず、今年触れることの出来たあらゆる作品のなかで最も刺激的だった。利部志穂という作…

●あまりにも天気が良いので、「お仕事」をうっちゃって散歩に出た。今まで気づかなかった住宅街のなかにある公園を見つけて、通り抜けようとしているとき、斜面になっているところで、足下が昨日の雨でぬかるんでいたせいで、つるっと滑って、思いっきり尻餅…

●利部志穂展がはじまった(http://www.switch-point.com/2009/0924kagabu.html)けど、今日は観に行けなかった。消防設備点検の立ち会いとか、いろいろ細かい用事があった。 ●昨日の夜、本の装丁の画像が届いた。そして今日の昼頃、最終チェックのための念校が…

●何か新しい、あるいは便利な、ひとつの言葉や概念を知って、それによって何かを把握し得た、何かしらの見通しを得られたと感じるとき、それは同時に、知ることによって思考が停止され、固着されてしまうかもしれない危険な瞬間でもある。その見通しの良さ、…