●あまりにも天気が良いので、「お仕事」をうっちゃって散歩に出た。今まで気づかなかった住宅街のなかにある公園を見つけて、通り抜けようとしているとき、斜面になっているところで、足下が昨日の雨でぬかるんでいたせいで、つるっと滑って、思いっきり尻餅をついた。これが土の上じゃなかったら、大きな怪我になっていたかもしれないという転び方。ちょうど犬を散歩させているおばさんが通りかかって、大丈夫ですか、このへんの土は滑りやすくて危ないんですよ、と声をかけられた。ズボンの尻のところや、ジャケットや手のひらにべったりとついた泥を払いながら、あ、大丈夫です、と答え、こんなに豪快なこけ方をしたのはいつ以来だろうと思い、つるっと滑って尻餅をつくという運動の感覚がとても新鮮で、むしろうきうきした気持ちになるというか、気分が上がってくるのを感じていた。この年齢になると、全身をこんなに泥だらけにすることもあまりない。土のにおいや触感を感じていた。
天気がよくてあたたかいのと、思いっきりこけたことで、よい気分になり、泥だらけのままで散歩をつづけた。途中でみつけた小さな神社で手を洗って、手のひらの泥は落とした。山の低い場所ではまだ紅葉が盛りで、それが冬の低い位置からの日の光を正面から受けて、「うわっ、山、近っ」という感じで山と紅葉が迫ってくる感じ。歩いているうちにどんどんと高揚してきて、高尾山の登山口まで行ったら引き返そうと思っていたのに、勢いで、中腹の展望台のあるところまで登ってしまった。高尾山の登山口までは、住んでいるところから普通に歩いて一時間二十分くらいで、こんなに近くにあるのに、登ったのは学生のとき以来だった。よく晴れているせいもあって、展望台からは新宿の高層ビルまではっきりと見渡せた。雲の影が地面に落ちている様がくっきりと見えて、つまり、晴れと曇りとの境界線が見えるのだった。山の上の方では、紅葉は完全に盛りを過ぎていた。山を登ってきて暑かったのでソフトクリームを食べた。ソフトクリームを食べるのも学生のとき以来だ。十五年以上食べていないので、ソフトクリームの食べ方を忘れた。ソフトクリームって、こんなに食べにくいものだったのかと思いながら食べた。
山を登っている最中に、編集者から本のゲラのことで電話があった。高尾山の山中でもちゃんと携帯は通じるのかと驚いた。ぼくの住んでいるアパートの部屋では、場所によっては圏外になるのに。その件で、いそいで帰って確認する必要があったので、帰りはリフトに乗った。リフトでは、下から吹き上げてくる風がとても強くて、汗だくになった体が急速に冷やされてゆき、うわっ、リフト、寒っ、と、さっきソフトクリームを食べたことが悔やまれた。これからは、天気の良い日は高尾山を散歩のルートに入れよう、今度は山頂まで行こう、と思いながら帰ってきた。
夜、喫茶店で作業をしている時には、つい数時間前には高尾山の山中にいたのだということが信じられず、とても遠いことのように感じられた。