2005-01-01から1年間の記事一覧

●来年に向けたお知らせ(予定)を一つ。吉祥寺にあるA−thingsという、アーティストブックなどを扱っているショップでもあるギャラリーで、3月の終わり頃から一ヶ月間、ぼくの作品が展示されることになりました。(3月22日〜4月23日、月火休廊。)こ…

「図」と「地」と、ヴァ−ジニア・ウルフ

●「図」と「地」というのが問題とされる時、「地」というのは、見えるもの(図)を見えるようにしている「見えないもの」のことだ。我々が見ることのできるもの、感じることのできるものは全て「図」であり、それは見ることも示すことも出来ない「地」によって…

●冬至が過ぎたばかりの今頃が、一年で一番日が短い時期なのだが、しかし冬至は過ぎたのでこれ以上日が短くなることはなく、毎日ほんの僅かずつではあっても日が伸びていくるはずで、それはとても気分が軽くなることなのだった。寒さはまだこれからが本番で、…

「この私」、歴史、一神教

●柄谷行人の言う「この私」の「この性」、一般性/特殊性という対立の外にある固有性(単独性)、確定記述の束に回収されない固有性とは、つまり、とりたてて飛び抜けたところのないありふれた「私」の交換不可能性ということで、この「この性」を保証するのは…

神林長平『プリズム』

●神林長平の『プリズム』という小説を読んでいた。このSF小説は、浮遊都市制御体と呼ばれる空に浮かぶ999機のスーパーコンピューターが人間の生活全般を管理し、制御している時代の都市で、しかし何故かそのコンピューターに感知されない、居るのに居ないこ…

夢をみた

●夢をみた。オペラシティとかガーデンプレイスとか、あんな感じの場所で、何か用事を済ませて帰ろうとしている時、ぼくのことを知っているらしい中年の男性から声をかけられ、挨拶された。どこかで見覚えがあるような気がするけど、誰だったっけ、と思いなが…

絲山秋子『ニート』

●絲山秋子『ニート』。『逃亡くそたわけ』はとても面白かったけど、『ニート』は、『逃亡くそたわけ』で上手くいっていたことのいちいちが「技巧的」に浮いているように感じられてしまった。(例えば、方言や地名の使い方とか。)この作家が、とても上手な作家…

●住んでいるアパートは、三本の道が矢印のように交わる三叉路の、矢の先の場所にあって、アパートから出て、三つに分かれる道の真ん中の道はゆるい上り坂で、右の道は下り坂、左の道は平坦につづく。駅に行くには、右の道を下ってゆくのだが、駅のすぐ先にあ…

スティーヴ・ジェイムス『スティーヴィー』

●京橋の映画美学校第二試写室で、スティーヴ・ジェイムス『スティーヴィー』。映画として、あるいは、ドキュメンタリーを撮る態度として、素材を編集するやり方として、この映画には文句をつけたいところが山ほどある。観ている間、この監督の映画作家として…

●ぼくが、一昨日、昨日、と書いてきたことを、もっと的確に、かつ、もっと深くまで届くように、岡崎乾二郎が既に書いていたということを思い出した。それは、2003年に、かわさきIBM市民文化ギャラリーで行われた松浦寿夫・展の図録に書かれた「極薄の深さ」…

●今日発売になる「ホームシアターファイル」(音元出版)という雑誌に、ぼくの書いた、ゴダール『アワーミュージック』のレビュー(「オルガの死は、どの程度ナナの死の反復なのか。」)が載っているはずです。まだ、確認は出来ていませんが。 ●昨日書いた、《作…

待ち合わせの時間

●「美術手帖」12月号より、岡崎乾二郎の発言。「待ち合わせの時間」 《例えば作品が完成するのはどの時点か。ダンスや音楽が始まり終わるのはどこなのか、その時間枠を決めるのがケージの考えた楽譜の役割だった。一言で言えば、それぞれが異なる時間=生活リ…

動物についての、二つのイメージ

●動物についての、二つのイメージ。 (1)《この『反時代的考察』の出発点として、ニーチェは、動物、子供、大人によってそれぞれ異なる瞬間の生き方を選んだ。「すぐさま忘れてしまい、瞬間瞬間にじっさい死んだり、夜や霧のなかに消えたり、永久に消滅したり…

金原ひとみ『蛇にピアス』

●金原ひとみ『蛇にピアス』。この小説は「ある意味」凄い。この徹底した語彙の貧しさというか、紋切り型の独自の使い方は、中原昌也まであと一歩という感じだ。この小説は簡単に(乱暴に)言ってしまえば、ギャングもパンクもギャル系の女の子が好き、という話…

金井美重子、デュシャン、マティス

●本屋で金井美恵子の本を立ち読み(買ってない)していたら、マティスについて書かれた部分で、デュシャンの言葉が引かれていた。デュシャンは、マティスの色彩は「その場」では理解しきれなくて、「絵の前から立ち去った後」にじわじわ効いてきて、いつの間に…

三鷹市美術ギャラリーの「絵画の湯」展の高松次郎

●昨日書いた、三鷹市美術ギャラリーの「絵画の湯」展で嫌でも気になるのは高松次郎という作家だ。それは単純に、生前、三鷹市に住んでいたらしい高松氏の作品を三鷹市が多く収蔵しているということによって、この展覧会でも最も多く作品が展示されているから…

三鷹市美術ギャラリーの「絵画の湯」

●eyck氏の記事(http://d.hatena.ne.jp/eyck/20051212)に誘われて、三鷹市美術ギャラリーの「絵画の湯」展を観に行った。これは本当に良い展覧会だった。「良い」というのは、作品の質は勿論だが、展覧会としての「あり様」として、奇跡的に上手く言っている…

川村記念美術館のゲルハルト・リヒター展(3)

(もうちょっと、リヒター) ●人が、身体的なものから切り離された、機械的、自動的なシステムの作動に惹かれるとき、そこには「非人間的(非感覚的)なものへのあこがれ」というような、人間的な情動が働いているのだし、そのような情動を支える基底的なものと…

川村記念美術館のゲルハルト・リヒター展(2)

(昨日観た、川村記念美術館のゲルハルト・リヒター展について、もう少し) ●リヒターのやっていることはつまり、絵画に「出来ること」の様々なる意匠のリスト(一覧表)を、自らの手でやってみせることで、示し、作り上げるということであり、そのリストによっ…

佐倉の川村記念美術館で、ゲルハルト・リヒター展

●佐倉の川村記念美術館で、ゲルハルト・リヒター展。この展覧会は、是非観たくて、いそいそと出掛けた、というよりも、美術に関わっているなら、最低限これくらいは観ておかなくてはいけないだろう、という、つまらない義務感から観に行ったものだ。ウチから…

クロソウスキー『ディアーナの水浴』

●ドゥルーズや樫村晴香を導きの糸としつつ、クロソウスキーの『ディアーナの水浴』を少しずつ読んでいるのだが、とても難しい。もう少しで「面白く」読めそうな感じはあるのに、なかなかそこまでいかない。シミュラークルという概念の位置づけが鍵になりそう…

ヴェンダース『アメリカ、家族のいる風景』(2)

(昨日のつづき、というか、昨日書き散らかしたことをもうちょっと整理してみる。ヴェンダースの『アメリカ、家族のいる風景』について。) ●この映画が、西部劇のスターで、私生活が荒れている主人公によって、現代のアメリカの「何か」を象徴的に表現しよう…

ヴィム・ヴェンダース『アメリカ、家族のいる風景』

●映画美学校第2試写室で、ヴィム・ヴェンダース『アメリカ、家族のいる風景』。完全に納得させられるというわけではないにしろ、この映画のヴェンダースはかなり復活してきているという感じがした。この映画は結局、だらしない男が、良い母親、良い(昔の)パ…

電車の広告と吉川民仁、そして吉田哲也

●銀座からの帰りの電車は、車両のなかの、普段広告が貼付けてあるスペースの全てに、障害を持った子供が描いた絵(写真ではなくオリジナルだった)が貼ってあった。全く広告がない電車というのに乗ったのははじめてだと思う。(といっても、この企画をしたのは…

●作品を観に、お客さんが二人、アトリエに来た。普段、人の「つくったもの」について好き勝手なことをいろいろと書いているわけだけど、自分の作品を(目の前で)他人に観られるということには、当然だけど、独特の緊張があるのだった。作品についての感想を聞…

小説『三月の5日間』(岡田利規)

●「新潮」の12月号に載っていた『三月の5日間』(岡田利規)を読んでから、白水社から出ている戯曲『三月の5日間』を読み返してみて、改めて戯曲『三月の5日間』がすばらしく面白いと感じた。小説の方も決してつまらなくはないけど、戯曲と比べると、小説とい…

●一日中部屋にいて、夜、買い物のために外に出たら、地面が湿っていて、空気も少しだけしっとりと感じられた。雨が降ったことにまったく気付いてなかった。濡れた地面(といっても舗装されているけど)の上を歩くのは久しぶりな気がする。

)国立国際美術館で「もの派-再考」展

●(つづき、)国立国際美術館で、「もの派-再考」展。美術館に着いたのが4時を少しまわってしまっていたので、そんなにじっくり観るというわけにはいかなかった。会場には、ぼくが学生時代に大学の図書館で「お勉強」のために借り出した古い「美術手帖」や「み…

つづき

(つづき、) ●京都駅では、伊勢丹の、えき美術館で「ベルグラード国立美術館所蔵フランス絵画展」を観た。まあ、よくある「なんとか美術館コレクション展」というやつで、とくにそんな凄い作品があるわけではないけど、意外に見応えがあった。ピサロの風景画…

一昨日からのつづき

(一昨日からのつづき) ●七条の駅から歩いて京都国立博物館へ。博物館の塀沿いに落ちていた落葉を何枚か拾って、文庫本に挟む。 ●京都国立博物館には、有名な狩野元信の四季花鳥図やバルトの本に書かれている(とはいっても『表徴の帝国』は読んでいないのだけ…