)国立国際美術館で「もの派-再考」展

●(つづき、)国立国際美術館で、「もの派-再考」展。美術館に着いたのが4時を少しまわってしまっていたので、そんなにじっくり観るというわけにはいかなかった。会場には、ぼくが学生時代に大学の図書館で「お勉強」のために借り出した古い「美術手帖」や「みずえ」に不鮮明な写真図版として載っていたような、歴史的作品(の再制作)がいくつもみられたのだが、それらからはかつて「不鮮明な写真図版」で観た時ほどのリアリティを感じることはできなかった。
●「もの派」という括りはあまり厳密なものではないが、いわゆる「もの派」的な作品に共通した特徴として「知覚の複雑さを縮減することで、ある観念を露呈させる」ということが挙げられると思う。もの派の作家たちの言い分としてはおそらく逆で、「表象的な現象ではなく、実在としての物質を顕」わす、ということで、そのための「反造形」(つくることの否定)ということになるのだろうが、しかし、何のために作品という複雑に組織化された構造を「つくる」必要があるのかと言えば、「表象」しか捉える事の出来ない人間の知覚に、表象を越えたリアルな何かを感じさせるためにこそ、作品は複雑に「つくり込まれる」必要があるのであって、それを放棄したら、「物質的実在」という「観念」が残るだけだろう。もの派の作品を実際に観ると、その多くがあまりに単純な「対比」によって出来ていることに驚かされる。堅くて重たい鉄のまわりに軽くてふわふわした綿がくっついていたり、重たい石の下のガラスが割れていたり、大きな紙袋のなかに石が入っていたり、といった具合なのだ。これは何か、言葉を習得する途上の子供が好む言語遊戯(大きな小人、とか、丸い四角、とかいったもの)に近い感じがする、あまりに「単純な」仕掛けである。そのような意味で、この展覧会で、もの派の起源として「トリックス・アンド・ビジョン」を挙げているのは鋭いと思われる。関根伸夫によるトリッキーな作品(「位相-大地」)を、リー・ウーファンが(「在る」ことを認識させるための)「物の状態の一時的な変化」だという風に「存在論的に読んだ(読み替えた)」ことから始まったという説は、説得力がある。(カタログの中井康之のテキストより。)関根氏にとって「位相-大地」で問題だったのは、一方にある容量の空虚(穴)があり、もう一方にそれと同じ要領の充実した物質(土)がある、ということで、その作品の素材となる土や大地は、そのコンセプトを示すために用いられる代替可能な物でしかない。(関根氏にとって重要なのはあくまで「位相」というコンセプトであることは、他の作品をみれば明らかだろう。)それを、リー氏は逆転させて、「位相」というトリックを使って、「土」の存在を顕わにした作品だと「読んだ」のだ。つまり「もの派」とは、トリッキーな仕掛けを用いて(「手」で「つくる」ことなく)「物の存在」をあらわにしようとした、という傾向をもつ一群の作品たちのことだ、といえる。しかし今日から見るとそのトリックはあまりに安易なものに見えてしまう。少なくとも、関根氏の作品には「位相」というコンセプトがあるのだが、もの派の作品の多くは、単純な「対比」という次元に留まって(退行して)しまっているように思う。
●現在から見て、「もの派」を批判することは、誰にとってもそう難しい事ではない。しかしそれは、後から来た者が気安く悪口を言って済むようなことではない、ということくらいはぼくにでも分かる。その時、その場所にいた者たちにとって、それは、そうする他どうしようもないぎりぎりのやり方だったのだろうということくらいは、想像できる。(ちなみに、ぼくの大学時代の師匠の一人は、もの派の成田克彦氏であった。)そして、そのような貧しさは現在でもちっとも変わっていないし、ぼく自身、その貧しさのなかに縛られているしかない。今回の「もの派-再考」展で、現在の目からみても「作品」として面白くみられるものは、野村仁の段ボール箱の作品と、狗巻堅二の針金の作品くらいだと思う。(どちらも「もの派」を代表するような作家ではないが。)それはおそらく、これらの作品が、どちらも知覚の不安定さや不純さを手放して(放棄して)いないからだと思われる。知覚の不確かさとはつまり、コンセプトでは制御出来ない、つくることの不確かさ、つくる過程でどうしても入り込んでしまう不確かさのことだ。野村氏の作品も狗巻氏の作品も、「つくる」という過程抜きにはあり得ない作品なのだ。ぼくには、このことにこそ、貧しさを脱するヒントがあるように思う。
●ぼくには、もの派(の時代)の作品から、作品に自分(作家)の身体の痕跡を残してしまうことに対する嫌悪(あるいは「恐れ」)のような「気分」が強く貼り付いているように感じられる。反造形、つまり素材にほとんど手を加えない(それは「手」の否定ということだ)、ということは、主義とかコンセプトとかいう以前に、(時代によって規定された)非常に強い「気分」としてあったように思える。それがつまり、知覚の不確かさ(=身体)を作品のなかに招き入れてしまうことへの嫌悪=恐怖なのではないだろうか。例えば関根伸夫の「位相-大地」では、土を掘るという身体を使った作業(重労働)が必要となる。しかし、土を掘っている身体が感じている感覚の揺らぎのようなものは、出来上がった作品には全く反映されない。(作品は設計図=コンセプト通りに揺るぎなく仕上げられる。)それは作業であって制作ではない。つまり「もの派」の作品からは、身体の「運動」が抜け落ちてしまっている。ぼくには、(もの派に限らず)70年前後の日本の美術作品の多くから(作家の言葉や主張とはうらはらに)、知覚の不確かさや揺らぎを排除して、観念やコンセプトに限定することによって「意味」をなんとか(性急に)「確定」(固定化、一元化)したい、という強い希求が聴こえてくるように思えるのだ。(つまりそれは自分=作家の身体を棚上げしたい、自分の身体を意識したくない。という希求だと言い換えてもいい。)「もの派」の作品は、現在の目から見ると「知覚」としてものすごく「貧しい」のだが、その貧しさの理由は、ここにあるように思えてならない。
●今年の夏に、大阪にゴッホを観に行った時にも、兵庫県立美術館にまでは行けなかったので、今回の京都行きでもまた、兵庫にまで至ることが出来なかったことが悔やまれる。