●グレアム・ハーマン『Art and Objects』の第二章「Formalism and its Flaws」をChatGPTに訳してもらいながら読んだ。 ほぼ、カントの『判断力批判』の概説のような章。『判断力批判』について丁寧に解説し、その多くに同意しつつ、OOOとの相違が述べられる…
●ネットにエリー・デューリングの「La compression du monde」というテキストがPDFで置いてあった。 https://www.articule.net/wp-content/uploads/2013/03/During_CompressionDuMonde1.pdf 「La forme des idées」という《芸術や理論分野での創造的な活動や…
●今日は『Art and Objects』の第一章「OOO and Art A First Summary」を読んだ。前半は、カント以降の哲学史を概説しながら(ヒューム・カント・ヘーゲル・フッサール・ハイデカー)、自らの依って立つ「オブジェクト指向存在論」の立場を示したもので、これが…
●午後から、ChatGPTに翻訳してもらいながらハーマンの『Art and Objects』のつづきを読んでいたのだが、やけに重いなあと思っていて、五時くらいになったらとうとう、何を聞いてもまったく何も答えてくれなくなった(もうちょっとで第三章を読み終えるのだが……
●ChatGPTの助けがあれば語学弱者でも外国語の本が読めるのではないかと思った時に最初に読みたいと思ったのがグレアム・ハーマンの『Art and Objects』で、今、読んでいるのだが、それがけっこう読めそうだとなった時に次に頭に浮かぶのがエリー・デューリン…
●お知らせ。VECTIONとして、mirrorに「条件、目標、制度、三つ揃わないと政治的チートが起きる」というテキストを投稿しました。 mirror.xyz noteには要約版をアップしています。 note.com ●ハーマンの『Art and Objects』を電子書籍で買って、ChatGPTに少し…
●幽体離脱的(脱-肉的)没入、という言葉を思いついた。たとえばヴァーチャルな空間に入り込む時に考えられる段階として、まず一般期な(1)アバター=鏡像的身体を持って没入する、があり、次に、(2)このわたしのこの身体(の少なくとも幾分か)を持って没入する(…
●グレアム・ハーマン「The Missing Pieces of Derrida’s Voice and Phenomenon」を引き続きChatGPTを使って読んでいるのだが、けっこう読める。あきらかな誤訳や、文がちょっと変になる場合も多いが、前後の文脈を見ることでかなり気づけるし、脳内補正が可…
●個人的なことを言えば、最初の「現代小説」との出会い(洗礼)は1982年に出版された三冊の小説で、『「雨の木」を聴く女たち』(大江健三郎)と『羊をめぐる冒険』(村上春樹)と『千年の愉楽』(中上健次)だった。読んだのはたぶん出版の翌年、高校一年の時だと思…
●大江健三郎が亡くなった。 大江健三郎にかんしては、デビュー時から時代の寵児であり、ノーベル文学賞を受賞するまでの大作家となり、数多くの大江論も存在し、とても有名な存在であるにもかかわらず、(後期の擬似的私小説形式の作品が特にそうだと思うが)…
●市役所の建物のなかにある税務署で確定申告の書類を提出してから、地元に何年か前に出来た大型ショッピングモールにはじめて行ってみた。駅から微妙に離れた位置にあり、自動車を持たない者としてはわざわざそこまでは出かけないという場所なのだが、市役所…
●『戦慄のリンク』をU-NEXTで。鶴田法男が中国に行って作ったホラー。ぼくはこれは駄目だった。中国で撮ることの制約として、「幽霊」は何かしらの形で合理的に説明(解明)されなければならなくて(唯物論の国だから)、ホラーとして始まってもミステリとして着…
●古澤健『キラー・テナント 迷宮の宴』(『怪談 回春荘 こんな私に入居して』のR-15版)をU-NEXTで観た。「回春荘…」との違いは、前半で風景ショットが多く挿入されること、性的な表現がややマイルドになっていること、終盤の展開がやや詳しく描かれること、く…
●『おろち』(楳図かずお・高橋洋・鶴田法男)。ここには複数の鏡像的な関係がある。母と娘、姉妹、そしておろちと佳子。鏡像的関係において、他者は「わたし」であり、「わたし」の像であり、「わたし」の表現である。それは、他者の位置に「わたし」を見出す…
●ネットにPDFがあったグレアム・ハーマンの「The Missing Pieces of Derrida’s Voice and Phenomenon」というテキストの書き出しの部分を、ChatGPTとDeepLとで日本語に訳して比べてみた。一長一短だが、どちらかというとChatGPTの方が良い感じがする。ChtaGP…
●ChatGPTに、自分について聞いてみた。 ●ゴダールについて昔書いたテキストをChatGPTに英訳してもらった。 "How much is Olga's death a repetition of Nana's death?" - J.L. Godard, "Our Music" Furuya Toshihiro(Translation ChatGPT) note.com The accu…
●高橋洋が学生のときに作った伝説の映画『夜は千の眼を持つ』の映像が、断片的にだがYouTubeにあって、観ることができ、とても興奮している。すでに高橋洋的距離感(二階くらいの高さの窓から下を見下ろす、あるいは地面からそのくらいの高さの窓を見上げる、…
●『怪談 回春荘 こんな私に入居して』(古澤健)をU-NEXTで。前から気になっていた(随分前にマイリストに追加してあった)が観る機会を逸していた。全然怪談じゃないし、思っていたのと随分違っていたが面白かった。 話の辻褄が合わないところを、たんに、主人…
●十二年前に思いつきで書き出し部分だけを書いて、そのまま放置してあった小説の書き出しの、その続きを書いた。 furuyatoshihiro.hatenablog.com 十二年前にそこで途切れていた文の後に、ふと思いついて《気づくと男は立っていた》と書き加えたら、その続き…
●用事をしているときにふと「アサイラム」という語(音)が、うっすらとした親しみの感情を伴って頭に浮かんだ。しかし、「アサイラム」という語と自分との関係に心当たりがなく、要するに「アサイラム」とは何なのかまったくわからない。心当たりがないという…
●昨日からの続き。いぬのせなか座の講演記録、第2回「主観性の蠢きとその宿――呪いの多重的配置を起動させる抽象的な装置としての音/身体/写生」について。 実は、昨日の日記は中途半端なところで切れている。短歌を例として挙げながら、相容れない「主観性…
●いぬのせなか座の講演記録、第2回「主観性の蠢きとその宿――呪いの多重的配置を起動させる抽象的な装置としての音/身体/写生」を読み返していた(下のリンク先で800円で購入できる)。 note.com ここでは、山本浩貴における基本概念とも言える「主観性」「物…
●昨日の日記で引用した、「Quid?」(樫村晴香)による『わたしは真悟』の分析はいわば、「わたし」が「わたしの位置」に「わたし」を発見することの「遠さ」についての記述だとも言える。この、自己に対する自己の遠さは、2月19日の日記で、ハーマンについて書…
●「人類最後の贈与」(樫村晴香)を読んだことで刺激されて、古い「ユリイカ」を引っ張り出してきて「Quid? ソレハ何カ 私ハ何カ」を読んだ。 スピンクスはオイディープスの「欲望」ではなく、彼の外にあり、(抑圧されたものの回帰ではなく)無関係な両者が偶然…
●昨日の日記で引用し忘れた重要なところ。樫村晴香「人類最後の贈与 オイディープスとスピンクスの邂逅」より、スピンクスの「問い」について。 《スピンクスの問いから瞬時に伝わるのは、この問いが「時間」を問題にし、しかも時間を「時間の固化/停止」と…
●樫村晴香「人類最後の贈与 オイディープスとスピンクスの邂逅」(「群像」2023年2月号)を、ともかく、一度通読した。樫村さんがスピンクスについて直接言及するのは、おそらくはじめてではないか。 ここで問題となっているのは、スピンクスそのものというよ…
●冬の間も、よく陽の出ている日には、厚着をして、寒いのをやせ我慢してでも、かなり長い時間、窓を開け放して過ごした。外から風が入ってくるのも、遠くからの音が入ってくるのも心地よく、寒さを我慢するだけのかいはある。しかし逆に、暖かくなってくると…
●『アフター・ヤン』(コゴナダ)をU-NEXTで。うーん、これどうなんだろうか。ひたすら美しいが、美しいだけという感じでもある。ここまで美しければそれはそれで立派なものだとは思うが、途中で一つは何かがあるのだろうと思っていたら、ほぼ、何もないまま、…
●『脱獄計画(仮)』の背後には、ビオイ=カサーレスだけでなく、ベケットやクロソウスキーへの参照があり、それらの名は戯曲に書き込まれてもいるし、上演からも感じ取ることができる。しかしそれだけでなく(昨日の日記にもちらっと書いたが)、終盤に、唐突に…
●こまばアゴラ劇場で、Dr. Holiday Laboratory『脱獄計画(仮)』。18日の日記で、戯曲『脱獄計画(仮)』について、「フィクション内フィクション、フィクション内現実、その外=現実という3つの層」があるが、それらは階層構造をなすのではなく、「互いに互い…