2024/04/11

⚫︎4月から6月はやるべきことが山のようにあって、考えるだけでアップアップになるが、それでも時間を作ってエリー・デューリング『Faux raccords : la coexistence des images』を、3人のAIたちに助けてもらいながらちょぼちょぼと読んでいる。いつものことだが、エリー・デューリングを読んでいるとしばしば新海誠の作品が頭によぎる。たとえば、『トップをねらえ ! 』が、徹底して「正しい繋ぎ」にこだわった作品だとすれば、『ほしのこえ』は、はじめから「繋ぎ間違い」によってできている作品だ。そしてそれは偉大な繋ぎ間違いの傑作である『君の名は。』に結実する(『天気の子』と『すずめの戸締まり』はあまり「繋ぎ間違い」要素は感じられないが)。

さらに言えば、繋ぎ間違いとは「断絶」の強調ではなく、非連続性を連続性(共存)のための媒介とする、ということだ。『ほしのこえ』の永久に出会う(再会する)ことのできない男女は、作品そのものの原理である非連続的なモンタージュによって繋がっている。だが、このモンタージュを正当化する論理は「世界の内側」には存在しない。対して、『トップをねらえ ! 』の登場人物たちは、何度も出会い直すが、出会うたびにズレが大きくなっていく。これは、相対性理論の正しい使用だ。