2018-03-01から1ヶ月間の記事一覧

●『神々の沈黙』(ジュリアン・ジェインズ)を読んでいて、これは「原生的疎外」と「純粋疎外」の話とつながるのではないかとふと思って、『心的現象論序説』(吉本隆明)をパラパラみてみたのだけど、これは大変な難物なので、とてもパラパラみるようなものでは…

●(ここ数日の日記はゆるやかにつながっている)『ニューロラカン』(久保田泰考)の「もし言語がなければ統合失調症はないのだろうか」という章ではむしろ、「もし言語がなければ統合失調症に接近することはできないであろう」というようなことが書かれている。…

●おしらせ。明日、3月30日(金)の東京新聞の夕刊に、美術評として、ビュールレ・コレクション展に展示されているセザンヌの「庭師ヴァリエ(老庭師)」について書いたものが掲載される予定です。 ●おしらせ。noteに、「スウェットの女/ポン・ジュノにおけるペ・…

●一昨日からつづき。『神々の沈黙』の第二章に先立つ第一章で、ジュリアン・ジェインズは「意識は何であるか」を問う前提として「意識は何ではないのか」を問うている。この部分こそが最も重要かもしれない。 《意識とは何か。こう尋ねられたとき、私たちは…

●つづき。『神々の沈黙』の第二章で、ジュリアン・ジェインズは、意識の特徴として、(1)空間化、(2)抜粋、(3)アナログの〈私〉、(4)比喩の〈自分〉、(5)物語化、(6)整合化(適合化)を挙げる。 (1)空間化 《意識の第一の、そしてもっとも基本的な側面は、すで…

●以前からいろんな人から噂には聞いていた『神々の沈黙』(ジュリアン・ジェインズ)をようやく読み始めた。とても面白い。 メモとして、第二章から引用する。ここでは、「意識」は比喩によって生み出されていると、つまり、言語によって可能になっているのだ…

●ビュールレ・コレクション展のマネ「オリエンタル風の衣装をまとった若い女」が面白くて、マネの画集を改めていろいろ観たり、セザンヌについての記事を書くためにたくさんの画集をひっくり返して観たりしていると、やはり「近代絵画」は無茶苦茶面白いなあ…

●美術史的なセザンヌの専門家ではなく、レゾネをみたことがあるわけではないが、ぼくが知っているだけで最晩年のセザンヌが「庭師ヴァリエ」を描いた油絵は少なくとも六点ある。 今、国立新美術館のビュールレ・コレクション展で展示されている「庭師ヴァリ…

●昨日の日記に書いた、マネの絵の表層性、移ろいやすさ、儚さの感じは、徹底して、ポップやキャッチーという感覚と相反するものなのではないかと思った。マネの絵は、決してキャッチ―になり得ないものこそを表現しようとしているのではないか。ビュールレ・…

●国立新美術館のビュールレ・コレクション展は、気になる作品だけをピックアップして観たという感じ。ぼくにとってはセザンヌの「庭師ヴァリエ」が圧倒的だった。ルノワールの「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」は、そんなに冴えた印象ではなく、この手の…

●関係者の方からブルーレイをお借りすることが出来たので、『やがて水に歸る』(榎戸耕史)を観ることができた。とてもよかったので二度観た。 ●偶然は本当に偶然であるのか。偶然と陰謀の間で宙づりになる、あるいは、陰謀を巡らすものと陰謀に操られるものと…

●最近ちょっとだけ、ピカソのセラミックの作品に興味がある。ピカソの絵画作品を観ても、もはや(特別な傑作や、いくつかの意外な作品以外では)そんなに驚くこともなくなってしまったのだけど(その柔軟なセンスによってその都度新鮮な楽しさをもたらしてくれ…

●「ÉKRITS」に書いた「幽体離脱の芸術論」で引用した『体外への旅』(ロバート・A・モンロー)はオカルト本で、幽体離脱へ至る身体的な感覚を具体的に書いている以外のところは退屈なのだけど(例えば、科学的な実験について書いてある部分の「実験」は、まった…

●キッドフレシノの新しいやつ。MVも含めてかっこいい。雪の新宿。KID FRESINO - Coincidence (Official Music Video) https://www.youtube.com/watch?v=JvOBHAfXX1Y そして、KID FRESINO初のバンドセットのワンマンライブ映像。 https://www.youtube.com/wat…

●昨日から、つづく。「関係-未来/愛について」第二幕「愛について」 二幕もまた、映画上映後のアフタートークという形式。ここで上映された映画は「あたかもスクリーンに何も映っていなかったかのよう」で、それ故に「すばらしい」という形で表現される。実…

●三鷹SCOOLに『関係-未来/愛について』を観に行った。小説家、大鋸一正が自分の小説をもとにつくった演劇。 小説「関係-未来」(『O介』所収)が描こうとしているのは、未来と関係してしまうということよりも、未来との関係をつくろうとする者の未来への無自覚…

●昨日の日記を書いていてなんとなく思ったのだけど(とはいえ、これはやや図式的すぎる考えかもしれないのだが)、ぼくが去年連載していた「虚構世界はなぜ必要か?」で考えていたのが、昨日の日記でいう《人にとっての共同的な「物語(虚構)」の抜き差しならな…

●この本、気になる。『人文死生学宣言 私の死の謎』(渡辺恒夫/三浦俊彦/新山喜嗣・編著 重久俊夫/蛭川立・著)。《死にゆく他者を見守り支援するばかりだったこれまでの死生学を超越し、人間最大の難問たる「私」自身の死を人文学の知によって考究、そこから…

●お知らせ。「ÉKRITS」に、『「幽体離脱の芸術論」への助走/メディウムスペシフィックではないフォーマリズムへ向けて』というテキストがアップされました。 http://ekrits.jp/2018/03/2515/ かなり長いです。内容は、以下の目次の感じです。今、書きたいと…

●ウェブ媒体で発表するテキスト(3万5千字)の最終チェックをし、アンソロジー本に寄稿する原稿(2万字弱)のゲラのチェックと、最終節の大幅な書き直しをし、確定申告の書類を提出できる形に作成し、もう一つくらい何かをする時間はあったが、頭が疲れ切ってし…

●「ハレルヤ」(保坂和志)では、猫の「花ちゃん」に関しては、「私」とその「妻」は「思考体」として一つであるように感じられる。小説は「私」という一人称で語られるし、目の見えなくなった花ちゃんと「私」が二人だけで深夜の路地を散策する場面もある。「…

●昨日、「ハレルヤ」(保坂和志)を読んだので、「生きる歓び」を本棚の奥から引っ張り出して読み直して、そして、出先で用事が済んで喫茶店でもう一度「ハレルヤ」を読んで、うちに帰ってから寝る前にまたもう一度「ハレルヤ」を読んだ。 「ハレルヤ」を読ん…

●保坂さんの「ハレルヤ」(「新潮」4月号)、すばらしかった。一連の「猫小説」の、とりあえず現時点での終着点という感じなのだろうか。「生きる歓び」を読み返してみようと思った。

●忙しいのではなく、一日に出来ることの量が少なすぎるのだ。焦ると何もできなくなってしまうので、このペースでいくしか仕方がない。主観的にはのんびりしているが、やるべきことはたて込んでいる。やるべきことがたて込んでいるのに、忙しくできない(そん…

●若い頃はそうでもなかったのだけど、というか、若い頃は疎遠にさえ感じていたのに、音楽というものがとても「必要なもの」になってきている感じが最近ある。しかし、とはいっても、ぼくは音楽について、音楽を聴くという経験について、そのなにがしかを言語…

●huluをいったん抜けて、NETFLIXに試しに入ってみた(NETFLIXオリジナルの『オルタード・カーボン』が観たかったので)。ただ、ざっとみただけだけどNETFLIXのラインナップはhulu以上に今時っぽくて、古典はもちろん、少しでも古い映画やマイナーな映画になる…

●駅ビルにあるカフェに、座席数としてはごく少数なのだけど、すごく座り心地のいいソファの席があるのを発見した。ウチにあるイスだと、ちょっと長く座っているとすぐに腰や背中が痛くなったり、肩が凝ったりするのだけど、そのソファに座っていれば、一日じ…

●午前二時過ぎに原稿を送信して、少しほっとしたので、何か映画を観てから寝ようと思って、DMMの配信で黒沢清の『ダゲレオタイプの女』を観られることを知って、観ることにした。 ホラーなどではなく、あくまでクラシカルな「怪異譚」とでもいうべきものを、…

●二月の終わりに三日間で集中して書こうと思っていた原稿が、起きている時間のほぼすべてを費やしているのに、六日経っても終わらない。あと、最後の一山を超えれば終わると思うのだが。で、ほぼ確実に三万字を越える。でも、小説だったら三万字なんて「短編…

●原稿、二万字を超えて、ようやく主題である「幽体離脱」の章にまで辿り着いた(まだこれから、もう一押し、二押し…)。ここまでまだ、タイトル以外に「幽体離脱」という語が一度も出てきていなかったが、ようやく「幽体離脱」という文字を打ち込める(三万字は…