●ビュールレ・コレクション展のマネ「オリエンタル風の衣装をまとった若い女」が面白くて、マネの画集を改めていろいろ観たり、セザンヌについての記事を書くためにたくさんの画集をひっくり返して観たりしていると、やはり「近代絵画」は無茶苦茶面白いなあというところに戻ってしまう。モダンもポストモダンももう終わったと思っているのだけど、近代絵画は(ぼくにとっては)面白いんだ。
セザンヌの描く風景画は、ほとんどが故郷のエクスか、パリ周辺の田舎町に限られている。特に晩年は、ほぼ故郷にひきこもり、故郷の自然や故郷の人ばかりを描いた。セザンヌは、外国に旅行しても、その土地の風景に魅せられたり、外国の風景を描いたりしなかった(というか、できなかった)。セザンヌにとって必要な「旅」は、ただルーブル美術館を逍遥することだけだった。晩年のセザンヌは、パリで若い画家たちから賞賛される一方、地元では画家になりそこなった銀行家の息子としてさげすまれていたが、それでも結局、故郷に留まり、故郷の自然や人や物を、(パリの若い画家たちのためというより)故郷の人たちのために描いた。故郷の人たちにとってそんなものはまったく必要ないとしても、
ゴッホが、オランダから南仏に移って「ヒャッホー」となったり、ゴーギャンがパリからタヒチに移住して画家としての自分を変えたりするようなことは、セザンヌには起こらない。そのような意味で、徹底して地方主義であると同時にナショナリズム的な画家だとも言える(政治的にどうかは別として)。セザンヌは、自分が生まれ育った土地か、それにとても似ている(近い)土地にしか興味がない。というか、故郷の土地を介してしか、それよりも大きなものと繋がることができない。
(とはいえ、同時代のパリ---ヨーロッパ美術の中心地---で何が起きているかについて、多少の感心はあっただろうし---ゴーギャンをディスったりしているし---ベルナールなどを通じて間接的にそれなりの情報もあっただろうが。それにやはり、若い時にルーブルを充分に観たという条件がとても大きいのだろう。)
そのような画家が描いた絵が、世界中の人を驚かせ、近代の美術史に決定的な爪痕を残し、多くの後世の画家たちに決定的な影響を与え、そして今もなお、謎であり、人を驚かせつづけている。こんなことが、どうして起り得るのか。
●いろいろと読みたい本が出ているのだが、四月の末までは新刊などを買う余裕がないくらい貧しい。それでも、読むべきものは既に手元に(あるいはネットに)いくらでもあって追いつかないくらいだが。