●美術史的なセザンヌの専門家ではなく、レゾネをみたことがあるわけではないが、ぼくが知っているだけで最晩年のセザンヌが「庭師ヴァリエ」を描いた油絵は少なくとも六点ある。
今、国立新美術館のビュールレ・コレクション展で展示されている「庭師ヴァリエ」はそのうちの一点で、日本初公開なのだけど、2012年に国立新美術館であったセザンヌ展に出品されていた、テート・ギャラリー所蔵の「庭師ヴァリエ」にそっくりなので、え、初公開じゃないんじゃないの、と思う人もいるだろう。
(それにしても、ビュールレ・コレクション展のショップで売っている「庭師ヴァリエ」のポストカードが、ポストカードの縦横比に合わせてトリミングされているということが、ちょっと信じ難い事だと思う。なんでわざわざそんなことをするのか意図が分からない。もしかすると、ポストカードをつくった人にはフレームという意識がそもそもないのかもしれない。)
そして、この六点(もっとあるのかもしれないけど)の「ヴァリエ」には、薄塗り傾向と厚塗り傾向というように、はっきりと異なる二つの傾向が別れてある。この点について、2012年のセザンヌ展を観たぼくは、次のように書いている(「偽日記」2012年6月2日より)。
《このセザンヌ展の最後の方の構成は面白い。同じ年に描かれた二枚の「庭師ヴァリエ」がなぜ離して展示されているのかと疑問をもつ人もいるかもしれないけど。しかし、厚塗りの方の「ヴァリエ」が「アンブロワーズ・ヴォラールの肖像」の近くに展示され、薄塗りの方の「ヴァリエ」が「サント・ヴィクトワール」の近くに展示され、そしてその中間辺りに「りんごとオレンジ」があるというのは、晩年へと至るセザンヌの三つの方向性を正確に反映しているように思われる。セザンヌと言えばまず「サント・ヴィクトワール」に結実してゆくような達成が想起されるけど、厚塗りの「ヴァリエ」や「アンブロワーズ・ヴォラールの肖像」ではそれとはやや異なった調子がみられる。いや、おそらく「成分」は同じなのだろうが、その「配合割合」が違うのだと思う(だから三つの「方向性」という言い方は正確ではない)。視線が次々と異なるレベルの循環へのずれ込みに巻き込まれてゆくようなサント・ヴィクトワール系の作品とは違って、それらの人物は重たく漂うような固着状態を示している。しかしその、自分自身へと深く重たく沈殿するような人体(塊り)は、ある距離よりも近づくと内実が消えて空虚のような広がりになってしまう(そのような意味ではサント・ヴィクトワールとのつながりはある)。》
《この違いは、風景と人物という主題の違いとして中期くらいからずっとあったとも言えるが、前にも書いたけど、1899年頃からようやく「成果」がみられるようになる油絵具の半透明の層の使い方の習得によってより一層違いが(というより「振れ幅」が)大きくなったと思う。一方に、めくるめくように明滅し循環するサント・ヴィクトワール系の作品があり、もう一方に、重たく沈殿する人物画があるとすると、その中間辺りに位置するのが「りんごとオレンジ」のような静物の「時空構造と質料の絡まり合い」のような状態のではないだろうか(つまり両極に二つの「ヴァリエ」があり、その中間に「りんごとオレンジ」がある)。ただ、今回の展示では「水浴図」が(習作的なもの以外は)なかったので、「水浴図」がこの三つのどのあたりに位置するのか、それとも、三つのどれをも等しく含むようなものなのか、それがとても気になる。
そして、薄塗りの「ヴァリエ」がサント・ヴィクトワール系の近傍にあるということは、それまで分離していた風景と人物という二つの系列がここで合流しているとも言えるのではないか。》
●晩年のセザンヌは、「ローヴの庭」に代表されるように、どんどん薄塗りになっていき、塗り残しというか、空隙の割合もおおくなっていくというイメージがあると思うけど、その一方で、人物を描く時にはどんどん厚塗りになり、それも、「ロザリオを持った老女」や厚塗り傾向の「庭師ヴァリエ」に代表されるように、初期作品みたいな絵の具を盛って厚くする感じではなく、半透明な層を何層も何層も塗り重ねて、絵の具の塊はよりいっそう重たい感じになり(しかし、半透明な層の重なりなので、見方によっては突然「空虚」に見えたりするのだが)、人物の動きも存在も固着したような感じになっていく。そんななかで、(ぼくの知る限りでは)ただ「ヴァリエ」をモデルとした時だけが、薄塗りで拡散的な人物画が成立しているのが興味深い(まあ、最晩年は、人物はほぼヴァリエしか描いていないということもあるが…)。おそらく薄塗り傾向の「ヴァリエ」は、「水浴図」に描かれる群像(モデルなし)と、「肖像画」との中間くらいのところにあると思われる。
とはいえ、薄塗り傾向の「ヴァリエ」も、「水浴図」の群像たちのように半ば森の木々と一体となって溶け込んでいるという風にはなっていなくて、個として存在し、背景から強く浮かび上がってはいるのだが。
次に引用するのは、「偽日記」2012年4月10日から。これも、セザンヌ展について書いたもの。
《一つ、ぼくにとって今までもっていたセザンヌに対するイメージが修正されるような発見があった。それは1899年の重要性。この展覧会で観られる作品だけから判断すると、セザンヌはこの年に油絵の具の半透明性を生かす技術を身につけた。そしてそれによって、作品の複雑性の度合いが飛躍的に増すとともに、色彩の使われ方が大きく変化する。》
《1898年以前のセザンヌのタッチは基本的に不透明な絵の具による。つまり、上から塗られる絵の具は下の層を遮蔽する。あるいは、半透明な絵の具のタッチが使用される時は、タッチとタッチがエッジで重なるところはあっても、上の層から下の層が透けて見えるようには層としては重ねられない(例えば1888-90年の「水の反映」)。あるいは、重ねられたとしても、くすんでしまう(1893年頃の「フォンテーヌ・ブローの岩)。だから、タッチの平面的な分布が主な問題となる。勿論、油絵の具の性質上、厚く塗られた絵の具は下の層を完全に隠すのではなく、滲み出すような重層的な効果は生む。しかし、厚塗り的な色彩の重層性とは別の出来事が、1899年以降の作品にはみられるようになる。》
《一番分かりやすいのは、1893年頃に制作された「フォンテーヌ・ブローの岩」と1900-4年に制作された「ビベミュスの岩と枝」が並んで展示されているところ。「フォンテーヌ…」の木の葉の部分は、薄塗りの暗い半透明の緑と茶色が重ねられている。つまりここでは半透明の多層的なタッチが試みられてはいる。しかしこの絵では暗い部分はたんに暗く、くすんでいる。対して、隣にある「ビベミュス…」は、全体として暗い茶色と暗い緑が支配的だが、にも関わらず全体が輝くようで、しかも澄んで見える。上に塗られた暗くくすんだ半透明の色の層の下に、明るく澄んだ層が隠されている。おそらく、この澄んだ調子を支えているのは潜在的な青なのだと思う(これはあくまで色彩の半透明性についての話で、必ずしも「ビべミュス…」に比べ「フォンテーヌ…」が作品として劣っていると言っているわけではない)。》
《正確ではないかもしれないけど、1899年という年を変化の年として挙げたのは、その年に「りんごとオレンジ」と「アンブロワーズ・ヴォラールの肖像」が描かれているから。例えば、同じ静物画であっても、「りんごとナプキン」(1879-80年)ならば図版で観ても(完璧とは言えないにしても)、それがどういう絵だか勘違いすることはあまりないと思うけど、「りんごとオレンジ」は、図版だけで理解しようとすると勘違いしてしまう。この絵全体を支配する暗くて澄んだ茶系の透明感から鮮やかな赤やオレンジが浮かび上がってくる様を、図版は決してとらえられない。だから勘違いして、この絵の構図や構成にばかり目がいってしまう(勿論、この絵の空間の構成はすごく過激で、「アヴィニョンの娘たち」よりずって大胆だとさえ思うけど)。それに、これ以前のセザンヌに、こんなに鮮やかな赤はおそらく存在しない(この赤は半透明な茶色があってはじめて出現する)。だから、1899年以前のセザンヌの実物だけを観て知っていて、その経験から、「りんごとオレンジ」の図版を観て「こんな感じだろう」と予測すると、必ず間違うと思う。ここで色彩の質が激変している。》