横須賀美術館で、青山義雄の回顧展がはじまるのか。横浜から京急線浦賀、そしてバス、というのはかなり遠い感じだけど。今、関東地方では、熊谷守一と青山義雄の両者の絵が、どちらもまとまって観られるというのは、すごいことだ。
https://bijutsutecho.com/news/11630/
http://www.yokosuka-moa.jp/index.html
●2016年に茅ヶ崎市美術館であった青山義雄展について書いたレビューを、ここに再録しておきます。初出は、2016年4月22日の東京新聞、夕刊です。

 油絵の古典技法を完成させたフランドル派の画家は、白く明るい下地の上に半透明の絵具の層を計画的に塗り重ねて描いた。後のベネチア派になると反対に、暗い下地の上に不透明な絵具を使って即興的に描いた。印象派以降のマネ、セザンヌマティスなどは、即興的という意味ではベネチア派に近いが、明るい下地の上に半透明の層や筆触を重ねるという意味ではフランドル派に近い。
 キャンバスの地が白いということは、絵画の奥の面が明るいということであり、半透明な絵具の層の背後から明るい光が滲み出してくることを意味する。ニース時代のマティスを連想させる初期の作「ニース風景」(一九二五年)では、薄塗りの絵具の背後からちらちら覗くクリーム色のキャンバス地によって、空から降り注ぎ大気中に散らばる光を捉えることに成功している。青山は、この時期に既に西洋絵画における光や色彩の表現の勘所を掴んでいる。
 一般に、油絵の独特な深みをもった色彩は、複雑な半透明の層のなかでの光の屈折に依るところが大きい。混ぜられ過ぎた絵具は鮮やかさを失うが、塗り重ねるならば色を濁らせないことが可能だ。暗くても澄んだ、光を感じさせる色を出すこともできる。本展は主に、一九五二年の二度目の渡仏以降の作品で構成されている。半透明な筆触の集積によって深く澄んだ光と色彩を画面じゅうに充満させ、影の部分すら光に満ちているような独自の表現を深化させる過程を観ることができる。「ルノアールの庭」(一九九〇年)や「ヴェニス夕景」(一九九二年)で光の密度は頂点に達する。
 屋外の光と色彩を描きつづけた画家は最晩年に花瓶の花の連作を描いた。光や色が大気中で開放的に跳ね回るような作品が、物の内側からじわりと光が放出されている印象に変わる。色彩の豊かさは変わらないものの、ぞくっとする妖しさや内省性が感じられるようになる。「ルノアールの庭」や「花」の連作が描かれた百歳前後の時期が、画家のキャリアを通じて最も脂がのっていると感じるのだが、これは驚嘆すべきことではないか。
 青山は、朋友の梅原龍三郎、同時期に在仏した藤田嗣治らに比べ知名度が高いとは言えないが、日本近代美術史の再考を促すほどに充実した作品群であると思われた。