2020-01-14

東京ステーションギャラリーの坂田一男展が26日まで、「新人小説月評」の締め切りも26日。「月評」が締め切りよりも一日はやく終われば、最終日に観に行ける。あるいは、途中で一日くらいの余裕がつくれそうだと判断できれば、そこで観に行ける。

(最寄り駅→東京駅は一時間ちょっとくらいで、おそらく座れるので電車のなかで作業できるが、東京駅→最寄り駅は座れないし、かなり混むので作業できない。)

(今月は対象作が多い。毎月こんなに大変ではないはず。)

豊田市美術館の岡﨑乾二郎展は、26日以降、2月7日以前の間に観に行くしかない(7日は文芸誌の発売日)。前乗りで一泊して、一日かけてじっくり観たい。

2020-01-12

●ひたすら「新人小説月評」の対象作品を読んでいる。それが良いものであろうと、悪いものであろうと、それぞれの作品(作家)にはそれぞれに個別性があり、その個別性をちゃんと受け止めようとするのは、思っていたよりも大変なことだということが分かった。誇張した言い方になるが、たとえ字数が少なく、一篇の小説に対してわずかなことしか書けないとしても、十本の小説を評するためには、十冊分の書評を書くのと同じくらいの頭を使う必要があり、その上で、それを凝縮したり、短く切り詰めたり、あるいは(あえて)切り捨てたりするしかないみたいだ。

(いっぺんにたくさん読むと、個々の小説についての記憶の解像度が下がってしまう---細かいところを忘れてしまう---ので、また読み直したりする必要もでてくる。)

小島信夫が、「人は選考委員になると、まるで選考委員のように小説を読むようになるからつまらない」と言っていたと保坂さんから聞いたことがある。選考委員のような権威も権力もないが、「まるで評者であるかのように小説を読む」ことは避けなければならないと思っている。

2020-01-11

テレビ東京の、『コタキ兄弟と四苦八苦』第一話。『逃げ恥』、『アンナチュラル』、『獣になれない私たち』などの脚本家、野木亜紀子の新しいドラマシリーズ。第一話の監督は山下敦弘だった。

一話完結の、軽めのシチュエーションコメディで、第一話は、人物の関係や設定や舞台の提示に、軽く一波乱加わって、終わり、という感じで、まあ、普通に面白いかなあ、とうくらいだった。一話は離婚をめぐるエピソードで、予告によれば二話は結婚式に関するエピソードのようだから、全体を緩く「結婚」というテーマが貫いているのかもしれない。

そうではないとしても、野木亜紀子という脚本家は、構造的にとても美しい脚本を書く人で、たとえば『アンナチュラル』も基本的に一話完結だが、全体を通してみると非常に綿密な構造が仕組まれていたのだから(たとえば、第三話がとても見事な反転的構造をもつ話なのだが、その第三話と最終話とが、またきれいな反転的関係になっている、など)、「コタキ兄弟…」もまた、話数が進んで行くにつれて、複雑で美しい(意外な)構造があらわになっていくという展開を期待したい。

(野木亜紀子の脚本の「構造的な美しさ」とは、海外ドラマとかによくある、視聴者の関心を引きつけ続けるための「上手な脚本マニュアル」みたいなものとは違って、一通り---一話分なり全体なりを---観終わった後に、頭のなかで細部と細部との響き合いが起こり、通時的な物語の展開とはまた別の、超時間的な関係性が浮かび上がってきて、それがとてもきれいで、面白い形をしている、ということ。この、構造的な美しさがもっとも際立っているのが『獣になれない私たち』だと思う。)

2020-01-10

●「アイドル三十六房」から。眉村ちあきがレジェンド(小日向由衣)に言ったという言葉がすばらしい。(1:41:20くらいから)

南波一海のアイドル三十六房2020年1月レギュラー回200109

https://www.youtube.com/watch?v=mpOW4mZ_NZg&t=6230s

「それであたし、こないだ眉村とご飯食べてるときに、めっちゃできなくって、ほんとにできなくって、もう、泣きそうなくらい、もう、できないっていうことを、話したら、眉村が、でもわたし、レジェンドほどできない人をみたことない、普通、なにか一つくらい、できることが、人より、あるはずなのに、レジェンドは、どれをとっても、ぜんぶ、人よりできないことが、平均的に、ぜんぶできない……、これって、すごいことなんだよって、…できないことが、長所なんだから、その、できなさをもっと前面に売り出していったらいいと思う、って、…で、あたし、はげまされちゃって、…なんか、その、大丈夫、できるよっていう人はいるけど、そういう人って、わたしの、できなさを理解してないって、思っちゃうんですよ、こんなにつらいほどできないから…、でもここまで、できないことを理解した上で、認めてくれて、後押ししてくれる」

「後押ししたんだ、突き落としたんじゃないんだ…(笑)」

(追記。何度でも参照されるべき、素晴らしい動画。)

まんぼう×ヨネコ×レジェンド3マン ~ #あの夜再び 吉田豪x桐原ユリxヨネコx小日向由衣 20190421 阿佐ヶ谷家劇場

https://www.youtube.com/watch?v=h2NbUqNs5qk

2020-01-09

●「文學界」の「新人小説月評」の今月の対象作品が、作品数が多い上にボリュームもあり、また、まったく未知の作家が多く含まれているので、これを全部受け止めるだけでもかなり大変なことだとびびっている。

●先月の(今月発売の「文學界」に載っている)「新人小説月評」では、「未の木」(飛浩隆)について、他の小説よりかなり多くの字数を費やして書いている。実は、この小説がとても面白かったので、(構造的な類似点が多いと思われる)初期作品の「デュオ」を読み直して、二つの作品を比較して論じようかとも思ったのだが、これは飛浩隆論ではないのだから(字数の限りもあるし)と思い直して、「未の木」についてだけ書いた。

2020-01-08

●自分が好きに決まっている映画を改めて観ることで、映画を観られるようになろうとするリハビリ。『ゲームの規則』(ジャン・ルノアール)をU-NEXTで。すばらしかった。

(この映画を前に観たのはおそらく九十年代の終わりくらいで、VHSのソフトで観たと思うのだけど、今回観ていて、かなり細かいところまでけっこう憶えていたので、割と最近観ていて、それを忘れているのかもしれない。)

●「文學界」で「新人小説月評」をやることになったので、発売日になると文芸誌がすべて送られてくる。それで気づいたのだが、「すばる」主催の「すばるクリティーク賞」という批評を対象とした公募があって、その最終候補の五作のうちの一つに、「多次元性新生児---古谷利裕の作品がゴミまたは糞であることの可能性---」というテキストがあって驚いた(書いたのは永瀬恭一さんだ)。

(ぼくの「single stroke structure」というシリーズについて論じているみたいで、まあ、これはまさにゴミと区別がつかない作品なのだが。)

受賞作はなし、という結果だったが、「選考座談会」をざっとみてみると(ちゃんと読んだわけではないので不正確かもしれないが)、全体に低調だ、みたいな空気ではあるものの、最終選考に残された五作のなかでは永瀬さんのテキストが相対的には一番評価が高いみたいな感じだった。もう一押しあれば、受賞はなくても「佳作」という可能性はあり得た感じ。惜しかった。

それにしても、「自分の作品を対象として書かれたテキスト(それ自体をぼくは読んでいないのだが)」の評価について交わされる議論を読む(このときぼくの作品は、議論の対象の、そのまた対象ということになる)、というのは、奇妙な距離感で、はがゆい感じだ。

●以下は、「single stroke structure」シリーズの、いくつか。

(一枚の四角い紙---長方形か正方形---をそのまま使い、千切って、ねじって、貼り付けるという作業だけでつくる作品。何も足さないし、何も引かない。紙を切り離すこともしないので、貼り付けた部分を剥がすと、元の四角い平面に戻る。四角い形は保たれている。素材は、ポストカード、フライヤー、付箋、アマゾンの箱に入っていたボール紙など。つまり、そこら辺にあった紙。)

 

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