2023/02/02

●切れ切れになってしまったが、『不穏な熱帯』(里見龍樹)、ようやく最後まで読んだ。すごく面白かった。近代的な「自然/文化(社会)」という二分法、そしてその展開形としての「多文化主義・文化相対主義(唯一の自然に多数の文化)」を乗り越える方途として、存在論的に過激な「多自然主義(一つの文化に多数の自然)」や「ネットワーク一元論(自然=文化)」を参照しつつも、それらとはやや重点の異なる行き方をする。「自然」を、ネットワークから脱去するもの(人間以後の自然)、ネットワークの背景(地)としてありつつ、ネットワークの組み換えを迫ってくるもの(人間以前の自然)という、常に「ネットワーク(社会諸関係)の外部」としてのみ現れるものとして捉え直す。

(近代的な「自然/文化」という二分法が成立しない、「自然=文化のもつれ合いとしての一元的ネットワーク(アクターネットワークセオリーやマルチスピーシーズ人類学)」をいったん肯定しつつも、そのような「自然=文化ネットワーク」からも常に零れ落ちつづける外部として「狭義の自然」を考える。)

これは、理論の形としてはハーマンに近いように思う。ネットワークから脱去するものとしての「自然」は、我々の目から隠されていると同時に、不穏な「イメージ」として我々に前に現れ出てきて、自己やネットワークの組み換えを迫ってくる(そして、その組み換え可能性を支えるのもまた、地としての自然なのだ)というのも、ハーマンの、実在的対象・実在的性質がどのようなアクセスからも零れ落ちる一方で、感覚的対象・感覚的性質として我々の前に現れてくるという論の組み立てと似ていると思う。

この本で紹介される、ハリスン、ワグナー、ストラザーンなどの仕事をみると、人類学の哲学に対する先行性をすごく感じるし、哲学でなぜ「相関主義」が批判されなければならないのか、その必然性や切実さがみえてくる。思弁的実在論オブジェクト指向存在論が、ただの流行でも、たんに哲学史上の(業界内の主導権争いの)問題でもなく、現在の「この世界」が置かれている状況から切実に要請されたものだということが、人類学を通ることで改めて感じられる。

(とはいえ、この本で引用されるのは、フーコーであり、ドゥルーズなのだが。)

●以下、第三部「自然」から引用、メモ。

●「人新世」の両義性

《(…)「人新世」の概念は両義的な意義を帯びている。一方でこの概念は、人間主体における利用や認識の客体という位置付けを超えて、もはや制御不能で予期せぬかたちで非-近代的な「自然」が現れつつあることを主題化している。それはまた、地球が人類にとってもはや住居不可能になる終末論的な可能性をも示唆しており、これらの点において、それはすぐれて非相関主義的な、人間〈以後〉をめぐる思考となっている(…)しかし他方において、地球環境の至るところで「われわれ」の活動の痕跡を帯びていることを見出す「人新世」の概念は、一面において、「自然」に対する人間の主体性を最大限に強調する、近代の到達点のようにも見える。》

《(…)至るところに人間活動によって浸透されており、もはや「手つかずの大自然」といった客体を想定してそれを保護しようとすることは意味をなさない。このような議論は時に端的に「『自然』の終わり」論と表現される。》

《他方で同時に、日常的というべき頻度で話題になる異常気象や海面上昇は、人間がつくる「社会」や「文化」がそれ自体として自律し完結した領域ではなく、これまで「自然」と呼ばれてきたものにつねに支えられてきたこと、そしてまた、そうした人間〈以前〉的な自然との関わりにおいて根本的な脆弱性を抱えていることを証拠立てている。》

《(…)私の見るところ、「人新世」論は、ある点において、これまで「自然」と呼ばれてきたものについて思考し損なっている。すなわち問題は、「人新世」の概念や現代の一部の人類学者が、「自然」をめぐって「もはや外部としての自然など存在しない」というイメージを提示していることにある(…)。これに対し、私の考えでは、「至るところで人間活動と自然はもつれ合っている」とされ、「もはや外部はない」とされる「人新世」においてさえ、なおもある種の外部としての「自然」、しかもある意味で無関係的というべき、「人間」との相関を超えた外部としての「自然」について語ることは必要である。》

●析出される「自然」(ワグナー)

《『文化のインベンション』においてワグナーは、二〇世紀初頭以来の人類学における。「所与の客体としての文化」という実証主義的な概念を批判し、人類学という営みを、人類学者と現地の人々による双方向的な「創発」(invention)のプロセスとしてとらえ直すということを提唱している。すなわち、人類学者が行うものであれ現地の人々が行うものであれ、他者理解とは一般に、たとえば「文化」というような既成の概念を、新たな文脈に適用し延長することで変容させる創造的なプロセスである。そしてワグナーは、そうした「創発」のプロセスが至る所で起こっていることを強調し、人類学者の営みはその一部にすぎないとする。人類学者のフィールドワークの過程では、そこで経験されるさまざまな差異が「異文化」として概念化され、それと同時に、人類学者自身が「もともともっていたもの」として「自文化」が発見される。(…)「文化」概念を延長することによって、「自文化」と「異文化」の双方を同時に創発するプロセスなのである。》

《(…)このようなワグナーの議論においてカギとなるのが、「所与の慣習」(convention)と「創発」(invention)の間の、彼が言うところの「弁証法」である。すなわち通常の理解によれば、「慣習」は所与の実体であり、それに対し、自らをそれと区別するようにして「創発」が行われるとされる。これに対しワグナーは、「所与の慣習」から自ら区別するようにして「創発」が行われると同度に、「創発」が行われることによって、ある「慣習」が「もともとあったもの」として見出され、「析出される」(precipitated)という双方向的な関係を指摘する。》

《(同様に)「本在的なもの(the innate)/人為的なもの(the artificial)」の関係についても指摘される。(…)ワグナーは、まさしくここにおいて、「文化の創発」だけでなく「自然の析出」についても論じているのである。》

《(…)通常「所与の自然」とみなされる「本在的なもの」それ自体が、「人為的なもの」との対比において常に実践的に「析出」され、創出されているという逆説がそれである。》

《(…)ワグナーの議論が示唆的であると思われるのは、彼が、「自然から文化への移行」という近代的な図式を回避しつつ、かといって、「自然的かつ社会的ネットワーク」といった関係性の一元論に帰着することもなく、「自然」をあくまであらゆる社会にそれぞれの仕方でともなう外部性としてとらえている点においてである。》

《(…)「すべてが自然的かつ社会的な関係性である」と論じるかわりに、ワグナーはたしかに、ある社会の人々がそうした関係性の外部を「本在的なもの」として思考しており、そうした外部についての思考を民族誌的に論じることができる、という可能性を指摘しているのである。》

●関係から脱落する「イメージ」(ストラザーン)

(ここでの引用部分だけを読むと、「イメージ」とはただ社会関係において産出的に働くものであるかのように感じられるかもしれないが、この本に書かれている著者によってフィールドワークされた「島々」の「イメージ」は、ネットワークからただ脱落して無関係化することの不気味さをもち、コミュニティが衰弱して滅びていく徴のようなものでもあり、両義的である。)

《(…)『贈与のジェンダー』におけるストラザーンの課題の一つは、人類学における「自然」と「社会」の概念的関係を徹底的に書き換えることにあった。彼女が論じるところによれば、二〇世紀初頭以来の人類学は多くの場合、分析対象としての「社会」あるいは「文化」を、「自然」との否定的・対立的関係において規定してきた。(…)メラネシア人類学における「交換」の概念は、人類学における「文化」や「社会」の概念が多くの場合そうであったように、根底において「自然」と対立し、それを排除するかたちで成り立っていた。たとえば、メラネシア人類学における「広義の交換」論にも影響を与えたレヴィ=ストロースの親族論において、集団間の「女性の交換」としての婚姻は、人間の「自然」から「文化」への移行、あるいは人間の「自然的」条件の否定による「社会」の構成と同一の事態として論じられてきた。》

《(…)そこにおいて「社会」は、人間の身体的な生もその一部である「自然」の否定・克服を通じて構成されるものと理解され、人類学者の務めは、そうした否定・克服の機制に他ならないさまざまな社会的・文化的実践を分析することであるとされてきた。》

《(…)ストラザーンは、「自然」と「社会」のそのような否定的で二分法的な関係付けをメラネシアの諸事例に即して全面的に転覆しようとする。彼女によれば、イニシエーション儀礼その他のメラネシアの社会実践において問題とされているのは、われわれが「自然的」と呼ぶ人々の身体的な生を否定・克服することにあるどころか、まったく逆に、それら身体に内在する生殖や成長の力を、その実現を通じて明らかにすることにほかならない。メラネシアの社会過程は、人々の身体がそうした「自然的」な能力を繰り返し実現し、それによって新たな身体や社会関係が不断に生み出される産出的な過程として展開されるのである。》

《(…)『贈与のジェンダー』において、生殖や成長といった身体的能力としての「自然」は、自らを実現することを通じてつねに新たな社会関係を生み出す力能として、潜在的に、しかし根底においてポジティブに位置付け直されているのである。》

《(…)たとえば、ニューギニア高地に住むパイエラの人々の間では、イニシエーション儀式のクライマックスにおいて、森の中に隠れていた少年が人々の前に姿を現し、人々はその身体、具体的には儀礼の効果として予期される成長の具合を見ることで、儀礼の成否を判断する。ここにおいて少年の身体は、日常的な社会関係から切り離され、森を背景に孤立した状態で、他の人々による視覚的な吟味の対象とされる。このように、『贈与のジェンダー』で前景化される「自然的」な身体は、通常の社会的文脈から脱落した「イメージ」として立ち現われ、そのような姿においてその力を発揮するのである。》

《(…)メラネシアにおいて、身体がその力能を発揮することを通じて新たな身体と社会関係を不断に生み出していくとすれば、人類学者が、既存の記述に収まらない意味や関連を書き取ろうとしてつねに新たな記述を生み出し、またそれを通じて、既存の概念を反復的に延長・変容させていくという民族誌の営みも、同様に身体的で産出的な過程として見ることができるのではないか。》

《(…)そのような「自然」に漸近する民族誌は、ストラザーンにおいて、儀礼における孤立した身体や、文脈から脱落し無関係の形象として立ち現われるモノや場所などの「イメージ」に注目し、それらを記述することで可能になるとされていた。》

《(…)人間〈以前〉的にして人間〈以降〉的なそのような「自然」は、ワグナーが「本在的」と呼びストラザーンが「イメージ」と呼んだようなその他者性において、アシの人々に、「われわれは誰なのか? われわれはいかなる歴史を経てきたのか? その歴史の中で、われわれはいかなる過ちを犯してきたのか? そして、われわれはどこで、どのように住まうべきなのか? 」という問いを投げかけ続ける。》

●ストラザーンの「イメージ」については以下も。

furuyatoshihiro.hatenablog.com

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2023/02/01

●目が覚めて、まだあと一時間は眠っていられると思って二度寝した時に夢を見ることが多い。というか、そういう時の夢は、起きてからも憶えていられることが多いということだろう。

●何か重要な用事(大切な頼まれごと)があってある医者を訪ねる。川沿いの土手道が新幹線の線路と交差する手前の路地を入って、その路地の奥から二、三軒目にその医者のいる医院があるはず。しかし何度も通ったその道に医院はない。入る路地を一本まちがえたのか。いいやここで間違いはないはず。近くで近所の人たちが集まって立ち話をしていて、焦ってうろうろ行き来しているぼくを胡散臭そうに見ている視線を感じる。ぼくは、何度も前を通ったことのあるよく知ったその医院の名(○○医院)がどうしても思い出せなくて、近所の人たちに「ここにあった○○医院はどうしたんですか」と聞くことができない。

●喫茶店である女性と対面している。ぼくのズボンに多量の砂がついていることを女性から指摘される。その砂はきな粉のような色で、粒が細かく、軽く湿って柔らかくてフワっとしていて、とても良い香りがする。この砂をとても気に入ったのですが、どこの砂ですか、と女性に尋ねられる。ぼくは、夢の中で砂漠を歩いていたことを思い出すが、そんな非常識なことはこの女性に向かって言えないなあと困ってしまう。

●石造りの重厚なショッピングモールの外に出ると、広大な掘削地が広がっていた。剥き出しの土が、深く削り取られた部分と高く盛られた部分とで、なだらかだが起伏の大きい凹凸をいくつも作っている。ずっと先まで続く広大な掘削地のその先にも、平坦な荒野のような土地がさらに続いていて、さらに先には鮮やかに青々と煌めく水をたたえた大河があって、その先には森がある。それは、今まで自分が見たどんなひろがりよりも広大な光景で、地平線という概念が消失してしまったかのようにずっとずっとどこまでも先が見えて、しかもどんなに離れた場所でもくっきりと鮮やかに見える。ぼくはその土地をなぜかスペインだと思っていて、こんなに遠くまで来たのだなあとしみじみ思う。

(追記。目が覚めてから、なんであのすごい光景を写真に撮っておかなかったのかと後悔したが、夢の中で撮った写真は夢の外に持ち出せない。)

2023/01/31

磯崎新による桂離宮への言及はさすがに面白い(「カツラ---その両義的空間」『建築における「日本的なもの」』所収)。以下、メモとして引用する。

まず、ブルーノ・タウトによる桂(近代建築の規範を伝統的過去に見出す)、堀口捨己による桂(近代主義的なものと民族主義的なものの融合)、丹下健三による桂(弥生=貴族的なものと縄文=民衆的なものの葛藤)を整理する。そして、自身の桂への「読み」として、初代トシヒト(反武家的傾向と王朝文化への傾倒)と、二代トシタダ(武家的な文化を柔軟に取り入れる)との世代差や時間的スパンの長さ(政治的状況の変化など)からくる、(必ずしも事前に計画されていたわけではない、偶発的な)異なる様式の折り重なりがあることと、それら多様な(相容れない)様式を「危うく共存させる」遠州好みという統合原理によって成り立っている、という見解を示している。実際に小堀遠州の手が入っていない(小堀遠州はかかわっていない)としても、そこには一つの統合原理としての遠州好みが働いているのだ、と。

小堀遠州は、古田織部から、道具の置き方に「隅掛け」または「筋懸け」が肝要であると教えられたと伝えられている。(…)斜線による動的均衡である。森蘊と中村利則の整理した「遠州好み」は私にはこの「斜線」に要約可能と思える。ここには二つの視点が含まれる。まずは斜線の向こう側の構図で、ここには二つの相反する要素が対置されている。もうひとつは空間内を横切る身体が継起的にみいだす焦点の出現である。これも斜線としてとらえられよう。「利休好み」の待庵は、閉ざされ、殆ど動くことのままならぬ極小空間である。鬼気迫る闇が立ちこめる。意識はこのとき身体の内部を貫いて未知の世界へと下降する。「遠州好み」の忘筌はこれにたいして、通過交通路の曲がり角の位置にあり。空間は外部に向かって開いており、陽光が明かり障子を通過し、胡粉摺りの白い天井にバウンスしながらも浅い奥行きをもつ舞台のような床の間、点座前へくまなくひろがる。ここは狐蓬庵方丈と書院直入軒が駒の手型に接続するコーナーである。視線は内部と外部の両方へひきつけられる。これもまた斜線を介しての異なるものの対置になる。闇から陽光へ、囲い込まれた極小空間から、通過することさえできる解放空間へ、中心から斜線へ。これが「わび」から「綺麗さび」へり移行と語られる。「好み」がこのような美意識のちがいによって形式化された事例である。繰り返すが、この好みに冠された固有名はもはや実在したその人の痕跡ではなく、彼ら「ノ心ノ」、すなわち意識の延長であるということができる。》

《利休の茶席には、常に求心的な安定性がみられる。ここには空間を支配する点(主人)としての利休その人の存在がかい間見える。だが遠州(たち)がつくりだそうとしたのは斜線の錯綜する非統一的な空間で、二つ以上の引力が作用して、身体も視線も、不安定な側へとひき込まれる。もはや全体を支配する圧倒的な個などない。背後から見えない何物かが、おそらくその席に不在のまま、突き動かそうとしている。》

●これはこれとして「磯崎新」の見立てだが、実際に桂の空間を経験した描写がさすがに納得できるものだ。

《初代トシヒトが桂を構想したとき(一六一五年以降)、桂は、瓜畑のなかにある簡素な茶席であった。古書院がそのときの建物であろうとみられるが、池は、いまの神仙島のある周辺だけであったろう。このあたり、池の端はやわらかい曲線をえがき、寝殿造り前庭の面影が残っている。》

《この初期の庭園から、池が東北側の松琴亭と、西南側の笑意軒前の二つの方向に、その後拡張されている。これは、それぞれまったく異なった特徴的な手法をもっており、ともに二代トシタダの手によると考えられる。》

《松琴亭前の池は中央に天の橋立を模した島があり、全体に岸辺は石組みによって構成されている。初代トシヒトの妻常照院の生国若狭から、天橋の立のモチーフがとられたといわれるが、こみいった石組みは、ここが松琴亭に併設されている囲い(茶室)へ御幸門脇の御腰掛から卍亭を横にみて到達する露地庭の扱いにもなっている。》

《いっぽう、笑意軒の池は、単純な直線で、その護岸にも切り石が使われ、全体に幾何学的に構成されている。また、新御殿前の芝生の敷かれた単純な空間である桜の馬場と連なって、西南側を強い抗静的景観に仕立てている。》

《王朝風の神仙島付近にたいして、この二つの拡張された庭園は、いずれも近世になって生みだされた庭園手法に基づいている。》

《庭園は、水と陸の両方から眺められていた。その際の回遊路の編成は、位置を強制的に決めることになる。庭園内の茶屋は庭に開いた縁側をもっているが、それはここに腰掛けて、庭園を眺める際の目の位置を決める。》

《地面が小高く盛り上げられており、ここに座ると、前面の池の水面が、やや高みから見下ろされる関係になる。書院の月見台からの池面が、奥に深く連なってみえるのに、神仙島の裏側を右手にして、遠景に松琴院を捉えるまったく異なった光景が前面に展開する。その両者ともども池面に映った月を眺めるためだが、微妙な視点の変化が起る。》

《茶室からの眺めを、一定の時間にわたる休止点とするならば、それを連結する苑路は、たえず変化していく光景を小きざみに感知させる装置である。砂利敷き、真、行、草、さまざまなパターンの舗石や飛び石、むくり勾配のちがう各種の橋、石段、坂道など、接地する箇所のテクスチュアがきめ細かく変えられる。それは、歩き方を意図的に規制することによって、呼吸を支配する。速度や回遊路を自在に選択させながらも、あらがわせずに、視線を動かす演出である。》

《この陸上の苑路が、視線をたえまなく振りうごかすように編成されているとすれば、池のうえの舟遊びの差異の視線は、逆にそれを水面近くに固定して、水平の移動だけに限定する。舟がすすむにつれて、光景がむこうから立ち現われてくる仕組みである。》

《回遊路の編成は、庭園のひろがりを感知させることにあるのだが、桂のこの庭だけでなく、日本の庭園は、西洋の整形式の庭園と好対照をなしている。整形式を編成する手がかりは、中心軸上に固定された視点である。(…)空間はしたがって、軸線上に奥にむかって、ひたすらひろげられる。それに比較して、回遊性の視線は、空間内に固定した軸の形成をたえず拒絶することになる。視線は常に移動する。そのとき光景は分断されていく。その切り取られた断片を連結する仕掛けが、陸と水上に設定される回遊路なのである。雁行配置が平面の重点とズレによって空間の深奥性を表現したように、回遊する視線は、光景を断片化して、それをたたみ合わせ円環的な構造を導きだす。桂はその形成過程において、必要に応じてこの回遊の視線をみいだした。それ故に多くの回遊式庭園のように、あらかじめはかられた構図の生みえない、不意の美に満ちている。その理由もまた、時間的な重層のうえに成立したことに求められよう。》

●だが、これではまだ「ぼくが経験したもの」の強烈さに対して足りていない感じがある。これを越える見解をなんとか組み立てたい。

2023/01/30

●夕方、近所のスーパーに買い物に行く途中で、おばあさんだと思われる女性に手を引かれて歩く小さい女の子(三歳くらい?)が、大きな声で機嫌よく「お化けなんてないさ、お化けなんてうそさ」と歌っていたので、無意識にそちらの方を見てしまったら、ぼくの視線に萎縮してしまったのか、すっと声が小さくなり、すぐに歌うのをやめてしまった。機嫌よく歌っていたのに大変にもうしわけないことをしたととても反省した。微笑ましさを感じ、見るという意図もなく目を向けてしまったのだが、小さな子供にはおっさんの視線はそれだけで威嚇となってしまうのだ。

(小さい頃、母親のきょうだいの長男のおじさんが怖くて、顔を見るだけでいつも泣いてしまっていたのだと、もう少し大きくなってからそのおじさんから聞いた。それはそれで、おじさんには悪いことをしたのだが。)

2023/01/29

桂離宮を回遊する経験をかなり正確にトレースできる動画をYouTubeで見つけた。途切れないワンカットで撮られているし、カメラが注目するところもけっこう的確だ(チャプターもついているし、ガイドの音声もとてもよく録られている)。この動画をベースにして、もっと画質の良い他の動画や写真も参照して、薄れがちな記憶を補完すれば、あのときの感じを生々しく頭の中で再現できる。

(動画を観て改めて、「幽体離脱の芸術論」にとって桂離宮は重要だと感じた。)

京都 桂離宮 (案内係員の音声収録が良好) Katsura Imperial Villa, Kyoto - YouTube

2023/01/28

●Stable Diffusionに自分の作品の写真を取り込んで、「Henri Matisse Painting」「Pablo Picasso Painting」という語で変換してもらったら、やけに楽しい絵が出てきた。上がぼくの作品、真ん中かマティス変換、下がピカソ変換。

(どちらもあまり変わらないようにも思うが、ピカソの方が形がカクカクしていて抽象度が高く、絵具の塗りが強調される傾向にあり、マティスの方は、形がフニャッと柔らかくて具象性が高いというくらいの違いがある、か。あと、色はやや燻むんだな、と。ここで出てきた絵はとても楽しい感じだけど、一歩間違うとDeepDream的な悪夢の方へ雪崩れ落ちかねない危うい気配も薄っすらとある気もする。)

(いや、最初は、やたらと楽しい絵が出て来たと思っていたが、長く観ていると徐々に、統合を欠いた狂気のようなものが見えてきて、だんだん落ち着かない、怖い感じになってくる。やはり、自分の絵が一番落ちつくな、と。それが、わたし=人間の限界でもあるのかも。)

(変換すると、自分の絵がこうであることの必然性―-自分がやりたいこと-―は消えてしまうのだな、と思うと同時に、自分からは絶対出てこないものが出てくることの面白さもあると思った。変換して出てきた絵に、自分が影響されるということもあるだろう。)

この辺の細部とか、すごく面白い。

上の四枚が「Henri Matisse Painting」、下の四枚が「Pablo Picasso Painting」。

 

2023/01/27

●ぼくにとって天沢退二郎は、まずは『光車よ、まわれ!』や「オレンジ党」シリーズの作家として、そしてまた、アンリ・ボスコの翻訳者としてとても大きな存在だ。シリーズ一作目の『オレンジ党と黒い釜』を初めて読んだのは小学校五年生(1978年)だが、完結編『オレンジ党 最後の歌』を読めた時にはもう46歳になっていた。

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●地図萌えも天沢退二郎から。一枚目は『光車よ、まわれ!』の地図、二枚目は『オレンジ党と黒い釜』の地図。

ちなみに、次の画像はアーサー・ランサムの地図(『スカラブ号の夏休み』)。

●面白いのか面白くないのかよくわからない、なんとも掴み辛い夢日記みたいな散文詩にも、不思議にとしか言いようがないのだが、不思議に惹きつけられるのだった。ここから受けた影響はとても大きい気がする。以下、詩集『乙姫様』より「運河に沿って」、詩集『ノマディズム』から「ファルマコス」の二篇を丸ごと引用する。

(改めて読み返して、そして書き写してみて、この、掴みどころのないとろっとした単調さのようなもの、えっこれで終わりなの、と、足をカクンとされるような呆気なさに、自分が受けた影響を思い知るという感じだった。オチがつかずに、竜頭蛇尾的に終わるというのがまた。夢的なリアルだと思う。)

運河に沿って

 

 運河に沿ってその水面とほとんど差のない舗道がまだ夜来の雨で湿っているのを音もなく踏みながら幼い娘の手をひいて歩いていくと片側にしめやかな料理屋がならびはじめた。どれもまたタタキが路面と差がなくてそこに畳一枚の厚さに敷き並べられた客席の間を黒衣の女たちがゆききしているのをのぞきこみながら、そこには立ちどまらずに、やがて青黒くコンクリートを打ち放した食堂の二階へ上がり窓際の席に娘を座らせてわたしはトイレを行くからと階下へ下り外に出た。そうやって娘を置去りにするのがかねてからの計画だったのだが、つい見上げると窓際に娘がこっちを見ているのと視線が合ってしまっては、どうにもぐあいがわるいからちょっと手などあげてみせてそのまま本当に手洗所に入ると長々と放尿しながらさてどうしたものかと途方にくれた。しかしもうずいぶん時間もたった、もしかして娘は勝手にどこかへ行ってくれたのではないかとそれを空頼みにおそるおそる手洗所から首を出すと窓辺に娘の顔はない。しめたという気持ちと娘がどこへ行ったのか慮る心配とが二本の紐になってまといつくのをふりほどいてわたしは運河ぞいに歩き出した。

 思えば同じようにして病妻を置去りにしたのはもう何ヶ月いや何年前であったか、いまようやくこうしてほんとうにただひとり運河ぞいに歩いているのが夢のようだ。とはいってもべつに、妻や娘が邪魔だったわけでは全くない。ただああして置去りにするまさにそのときの、その行為の云うに云われぬ胸の底を丸っこい指さきでかきむしるような切なさを味わいたい、ただもう無性にそれが味わいたいと思いつめてこの何年何ヶ月を彷徨ってきたのだったが、さてついさっきからはじまり進行し終ろうとしているこの置去りのその切なさを自分は充分に味わい、味わいつくしたのかというと、これまた切ないばかりにもどかしくやるせなくこころもとないのだった。

 それなのに運河ぞいのみちは次第に華やぎはじめた。右から左からさし下される枝々に花か紅葉か色けざやかに重々しくしだれて、まだぬれたままの路面に照りかえすその不吉さのたえがたさにわたしはぷいと左手の黒々とした料理屋に入った。暗い廊下は右に左に折れ曲がり折り返してまもなく黒小紋の婦人がひとりわたしを迎えていそいそと立ち上がると、「嫁菜御飯ができていますよ、たきたてですよ」とにこにこするので見ると床の間の大きな水盤にたき散らされた熱い白い御飯のなかへ、なるほど青じろい大ぶりのヨメナが何本も何本も活けてある。そうだ、娘を嫁に出すときの料理はこれに限る! そう思うとわたしは思わずもう顔ぜんたいが笑えてきてどうしようもないのだった。

 

ファルマコス

 

 書籍や薬をくるんだ風呂敷包みを両手にさげて路地を駆け下りバス通りに出たところで忘れ物に気がついた。仕方がない、よいしょと再び急坂を登って幾度かみちを折れたけれどもどうにも伯母の家へは戻れぬままに、狭い私道の迷路へ入りこんで、いやこれは私道とさえいえない、たてこんだ民家の軒や縁側や台所の庇などの間の不定形に屈曲する隙間にすぎなかった。そこで私は教授と称する男に出会ったのだ。

 それは大学教授というより中小企業の社長といった風のやけに角張った中年男で、色あせた浴衣を着て濡縁に腰かけたまま私に身の上話をきかせたが、それによると彼はもう十五年来この路地の奥から外に出たことがなく、いずれ家族を離縁して手製のヨットで側溝づたいに外海へ出たいと夢見てきたが、その側溝も暗渠になったしもう駄目かもしれないという。そんな情無い話は聞きたくもない---それで大学のお勤めはどうしているんですかと訊くと、教授はどうも近頃の学生は当てにならんでねと曖昧にごまかして濡縁から中に入ってしまった。伸びあがって覗いてみると、障子の上半分に嵌ったガラス越しに、教授が立ったまま白衣の女に不思議な容器に入った何か異様なものを食べさせられているのが辛うじて見わけられた。

 頭上にやはり屈曲する空は、もう日暮れが近いらしく、ふしぎな桃色と青に染めわけられていた。私は何となく右へ往き左へ往きしたが出口は皆目見当がつかず、台所の出窓からは手拭被った若奥さんの立ち働く顔の下半分や、洗剤の瓶の口や鍋のかち合う音や湯気やらしんそこよそよそしくのぞくばかりで、私もこんなところにいつまでも佇みうずくまっているわけにもいくまいが、ねえ、いったいぜんたい私はどうすればいいんですか!