2019-12-05

メディウムスペシフィックを避けたいという感じが強くある。「絵画に固有な問題」「小説にだけできること」「アニメだからこその表現」みたいなメディウム固有性の強調によってかえって、個々の作品、作家、需要者、場(場面)などの存在の個別性(固有性)が見失われるように思われる。

それぞれが別の存在である(別の固有の身体をもち、別の固有の来歴をもつ)ことを認める。その上で、それぞれの固有性の間を、横断的に乗り越えられるものがあり、乗り越えられないものもある。

(勿論、それぞれのメディウムもまた、それ自身の固有の身体---組成---をもち、固有の来歴をもつのだが、だからといって、メディウムの固有性が、個々の作品、作家、需要者、場面、などの固有性よりも、どんな場面でも常に無条件で優位であるといえる根拠はない、ということ。どんな固有性も、他の固有性に対して、無条件で優位であるということはないはず。)

あらゆることが、個別の存在たちの、その都度の個別の出会いであり、出会い損ないであり、故に、厳密に、正しく理解し合うことを目指すよりも、直観的に、大雑把に捉えて、間違ったり誤解している部分があっても、そこから別の道が開ける、と考える方がよいのではないかという感じがある。

これは逆から言えば、対話、あるいは横断性は、ごくまれにしか成立しない、ということでもある。だからこそ、間違いや対話の不成立に対して寛容である必要があると思う。

(というか、そもそも「正しさ」を前提とすることが間違っているのではないか、とも思う。)

2019-12-04

●U-NEXTで『きみと、波にのれたら』(湯浅政明)を観はじめるのだが、最初の三十分で挫折。興味をひかれる要素を何一つとしてみつけることが出来なかったので根気がつづかなかった。もう少し先まで粘って観れば、また違うのかもしれないが…。

(『夜明け告げるルーのうた』にはあんなにわくわくしたのに……。)

(そもそも湯浅政明が苦手で、『DEVILMAN』などの場合、「嫌い」という感情がどうしても湧いてきてしまうのだが、ここでは「嫌い」というひっかかりすら見いだせなかった。)

この作品に限らず、最近、映画やドラマを観ているとき、「すべてが段取りにみえてきてしまって冷める」病にかかってしまっている感じがある。

(最初の三、四十分を越えられるかどうかという一つの山があるようで、それを越えるのがなかなか難しいのだが、それを越えるとけっこういける。)

(『DEVILMAN』も『四畳半神話大系』も「嫌い」なのだが---そして、どちらも最後までは観られていないのだが---それでも、シリーズ全体の七割くらいまでは観ている。少なくも「嫌い」というひっかかりがあれば、自分のなかにある作品受容センサーの調律を様々に変化させて、調整を試みながら、どうして拒絶してしまうのか考える、とか、こういう姿勢で観れば受容可能になるのではないか、という試行錯誤をはじめるモードが発動するので三、四十分で冷めてしまうということにはならないのだが。)

2019-12-03

●「猫舌SHOWROOM 豪の部屋」、金子理江の回、面白かった。

豪の部屋 ゲスト:金子理江 2019年12月3日

https://www.youtube.com/watch?v=AVaR0kflU_Y&t=1327s

金子理江と言えば、ミスiDの面接に八時間遅刻した(にもかかわらずグランプリを受賞した)こと、子供の頃は(車中泊生活など)かなりハードな貧乏だったこと、LADYBABYで「にっぽん饅頭」の動画が世界的にバズったこと、黒宮れいとの親密過ぎる関係とその破綻、とか、そのくらいのことをぼんやりと聞きかじっていたくらいだった(これらの聞きかじりの入手元もまた、ほとんどが「豪の部屋」なのだが)。LADYBABYは、曲があまり趣味ではないのでほとんど聴いてない。

こんなに面白い人だとは知らなかった。

2019-12-02

風見慎吾からもうすぐ35年…。環境の変化、世代の交代、文化の定着と洗練と更新…。時間の経過。下の動画を観て、それらのことをしみじみ感じた。

MALIYA - Breakfast In Bed feat.Ryohu (Prod. by STUTS)(Dance Session)

https://www.youtube.com/watch?v=MVWOaUEkOMg

涙のtake_a_chance/風見慎吾_19850127.mp4

https://www.youtube.com/watch?v=-5v03TY_lkk

(身体の上をはしるリズム感の解像度とか、根本的に違っているのだろうな。)

(風見慎吾すげえな、とも、改めて思うわけだが。)

2019-11-30

●11月30日付けの東京新聞中日新聞夕刊に、磯﨑憲一郎さんの掌編小説「チクロ」が掲載されていて、その挿絵を描いています。

 

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●下にあるのが新聞に掲載されたものですが、小説「チクロ」のための挿絵として、全部で四つのヴァリエーションを制作しました。新聞に掲載されたバージョンは三つ目につくったもの。11月19日の日記に貼ってあるのが最初につくったもの。11月20日の日記やつが二番目。そして、11月24日の日記に貼ったものが四番目ということになります。「チクロ」(磯﨑憲一郎)のための挿絵、連作variation.ⅠからⅣ、という感じです。

1.「チクロ」(磯﨑憲一郎)のための挿絵 variation.Ⅰ

https://furuyatoshihiro.hatenablog.com/entry/2019/11/19/000000

2.「チクロ」(磯﨑憲一郎)のための挿絵 variation.Ⅱ

https://furuyatoshihiro.hatenablog.com/entry/2019/11/20/000000

3.「チクロ」(磯﨑憲一郎)のための挿絵 variation.Ⅲ

 

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4.「チクロ」(磯﨑憲一郎)のための挿絵 variation.Ⅳ

https://furuyatoshihiro.hatenablog.com/entry/2019/11/24/000000

(技法としては「切り紙絵」で、千切った紙を貼り合わせることでつくられています。彫刻的というか、三次元的に発想されたものを、二次元に落とし込んでいく、という感じ。二次元に三次元的イリュージョンをもたせるというより、三次元的な構造が---あるいは、三次元的な操作が---二次元的な構造に変換され、写し換えられている、というところでしょうか。)

2019-11-29

●こもってずっと作業していて、外出といえば、一日一回、徒歩五分のコンビニまで、という生活が何日もつづいている。こんなだとストレスがあるので、夜はどうしてもアルコールが欲しくなる。アルコールで頭を緩めたい。

(十二月の中旬くらいまで余裕がない。)

(制作ではない。制作時にストレスはほぼない。)

ずっと、お酒に関しては原理主義者で、ビールはビール、焼酎は焼酎、ウイスキーウイスキー、ワインはワインであって、何歩か譲って炭酸水で割るというのならまだ分かるが、そこにレモンの味やグレープフルーツの味を足すとか、ウーロン茶で割るとか、意味が分からない、酒の味が分からなくなる、とずっと思ってきた。安くてまずい酒は、安くてまずい酒としてその味を飲む、と。

(ヒレ酒とかは例外か。)

そもそも、水割りやお湯割りを認めた---自分に対して認めた、という意味---のもここ十年くらいのことで、三十代くらいまでは、ストレートかロック以外の飲み方をしていなかったのだが(なにに対してイキっていたのか…)、ある程度年齢がいって、身体が弱くなってくると、水割りやお湯割りがいかに「やさしい」のか、そのやさしさが身にしみるようになった。

それでも、いままで、酎ハイとかカクテル的なものはまったく飲む気がしなかった。それなのに、いきなり、ここ数日、「檸檬堂」(鬼レモン)にハマってしまっている……。

(ステマではない。)