⚫︎ツタヤディスカスで『ヘリウッド』(長嶺高文)のDVDをレンタルできることを知った(まだ手元に届いてもいないが)。作品としての良し悪しを超えて、ぼくに深く刻まれてしまっている映画で、しかし公開時(1982年)に一度観て以来、観ることができていない。
『ヘリウッド』は、1980年に『ツィゴイネルワイゼン』を製作して注目されたシネマプラセットという制作会社の作った、『ツィゴイネルワイゼン』(80年)、『陽炎座』(81年)に続く三作目の映画で、前の二作と同様にドーム型テントで上映された。ただ、今では、遠藤賢司が主演していた(いや、主演は羽仁未央か…)という以外のことで、この映画に興味を持つ人はほとんどいないかもしれない。
《一体、どこでその情報を仕入れたのかは憶えていないけど、82年に神奈川の田舎の高校生だったぼくは、『ヘリウッド』を観るために、遠路、原宿(確か、当時、桑沢デザイン研究所の前にあった駐車場のような空き地に、シネマプラセットのドーム=テントが設営されていた)まで出掛けて行ったのだった。その後、同じ高校で一学年上の女の子が撮った八ミリ映画を観る機会があって、その映画がほとんど『ヘリウッド』のそのまんまのパクりの部分があって、こんなに近くに、自分と同じように、あんなマイナーな映画をわざわざ遠くまで観に行った(そして少なからずハマった)人がいたんだ、と驚き、妙にうれしくなった記憶がある。》
《それは大林宣彦の(『ハウス』よりはむしろ)『ねらわれた学園』(81年)の雰囲気(あの不思議な豪華キャストとか)に近いものがある。マイナーなものたちが雑居する、得体の知れない(そして、ユルい)複合体のような感じは、80年代も中盤に入ると、オタクとかサブカルとかアートとか 、あるいは細分化された「何とかカルト」みたいな感じや、それらと明確に分離されるシネフィル系とかにそれぞれ分かれ、整理されて、棲み分けられてしまうのだけど。この(本来、相容れないかもしれない者同士の)不思議な雑居は、ある意味、情報の流通量の少なさによって可能になっている部分もあったのではないか。そしてその後の分離は、情報量の増加による必然なのかもしれない、とも思う。》(2006年の日記)
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《しかし何といっても、ぼくは、80年代初めにシネマプラセットで製作された、長嶺高文・監督の『ヘリウッド』という映画を思い出した。この映画で篠原勝之演じる植物学者は、和室の中央に畠をつくり、そこに肥をまいたりしていた。随分前に観た映画なので記憶に自信がないのだけど、確かこの植物学者も、植物の恋愛についての論文を書いていたように思う。宇宙からやってきた悪者がマッドサイエンティストを従え、牧師と愛欲の日々を送る美少年を誘拐してきて、彼の腸に種を植え込むことで植物人間にしようとする。悲しみにくれる牧師をみて、美少年を救出しようと決意する女子高校性3人組。スカトロ、ソドミイ、フリーク、等々、悪趣味とチープさとでドロドロの(決して出来のいいとはいえない)この映画を、明朗な空のようだ、とか評されたりする尾崎翠と併置すると、尾崎フリークは怒り狂うかもしれないけど、徹底して『絵空事』にこだわり、絵空事を緻密に組み立てることで、何かを表現しようとするという姿勢は近いものがあると思うし、それに、尾崎的透明感と、悪趣味ドロドロって、感性として近いというか、けっこう紙一重なんじゃないだろうか。》(2000年の日記)
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⚫︎『ツィゴイネルワイゼン』は、作品として素晴らしいというだけでなく、その上映・配給の形態が話題になり注目された。プロデューサーの荒戸源次郎は天象儀館という劇団を主催しており、劇団では(唐十郎の状況劇場と同様に)テントを建てて劇場として公演を行っていた。おそらくそのノウハウを使って、空き地にドーム型のテントを建てて、そこを映画館として映画を上映した。それにより、制作会社である独立プロダクションが、配給と上映までも自前で行うということができた。これは映画の流通の革命のような大きな出来事だろう。
劇場を持たなくても、空き地にテントを立てれば自前で上映できる。このやり方で『ツィゴイネルワイゼン』は、東京タワーの足元にある駐車場に建てられたドーム型テントで22週も続けて上映され、単館上映の映画としては異例の10万人の観客を動員したと言われる(お客さんが来る限り劇場のスケジュールに依存せずに上映を続けられる)。映画そのものと同時に、このこと自体が話題になり、さらにお客さんを呼んだ。1980年に、ドーム型テントの映画館は新しい都市風俗のような感じでもあった。で、このことを伝える深夜のテレビの情報番組などを観た中学生のぼくは、(映画の予告から感じられる奇妙な感覚に加えて)その「すごいことが起こっている」感に心を踊らされていたのだろうと思う。
⚫︎ただし、この「すごいこと」は、広がらなかったし、続かなかった。シネマプラセット以外の独立プロダクションがこのやり方を踏襲することはなかった(ぼくが知らないだけであったのかもしれないが、大きな広がりをみせることはなかった)し、シネマプラセットもこのやり方を、『ツィゴイネルワイゼン』(80年)、『陽炎座』(81年)、『ヘリウッド』(82年)、『時の娘』(83年)の四本だけでやめてしまう。テント型劇場は思いのほかコストがかかるのか、あるいは、「業界からの締め付け」のようなものがあったのか、部外者なので理由はわからないが。
80年の段階では、まだ中学生だったので(心を踊らせるばかりで)東京まで映画を観に行くのは、経済な意味も含めてハードルが高かった。だけど、82年には高校生になっていたので観に行けるようになった。で、それで観たのが『ヘリウッド』だった。上映のあった場所は、渋谷駅から公園通りを原宿の方向へずっとずっと行った先の方、というイメージが記憶に残っているだけだが。ぼくにとってこの映画は、このような背景事情まで含まれたものとして刻まれてしまっている。
(長嶺高文監督は、2014年に60歳で亡くなっている。)
⚫︎これだ、この映像 ! 。
・遠藤賢司 - 通好みロック