2019-11-05

ツイッターに長島明夫さんが上げている写真を見ると、池袋の、岡﨑乾二郎の壁面装飾がすごそう。実際にはまだ観ていないけど、これはすごいに決まっていると、長島さんの撮った写真を観るだけで確信できる感じ。

(クロスの主題から構成されていること、タイルでつくられていることなどから、マティスの教会を想起させるが、それにとどまらず、なんというか、古くてかつ新しい。こういう作品があり得るのか…、という驚きがある。すごく驚かされた。)

岡﨑乾二郎さんによる壁面装飾《ミルチス・マヂョル》(タイル制作=LIXIL

https://twitter.com/richeamateur/status/1191308721906839553

 

2019-11-04

●RYOZAN PARK巣鴨樫村晴香ソロトーク(二回目)。

今回のトークは特にすごかった。もはや再現不可能だし、要約不可能。

樫村さんのテキストにおける精密な論理構築と硬質な密度とはまた異なる感じで、融通無碍で変幻自在に話題が動いていく。きわめて軽薄な話題が、いきなり深淵へと接続され、引いてしまうほど下世話な話が、詩的な喚起力へと変容しでいき、身辺雑記的エピソードが、そのまま神話的な強度をもつ。充実と停滞の区別がつかず、俗っぽさも気高さも、清も濁も、深さも浅さも、具体性も抽象性も、すべてが混じり合い、あちらから入ったかと思えばこちらへ出てきて、それがまた別の回路へとつながっていく。そして、根底に漂う濃厚な「性」と「悪」の気配。たんなる雑談といえなくもないが、こんなにも複雑に絡み合い、密度があり、強度があり、深度があり、そして毒気の強い雑談を、今まで聞いたことがない。

(以下、トークからぼくの受け取った「印象」の、今ここで頭から取り出せる、ごくわずかな断片であり、正確な再現ではないです。とてもじゃないけど再現不能。)

●最初、保坂さんの『読書実録』第三章〔愛と幻想と現実〕の、ミシェル・レリスから引かれた文章、「さらに深まる空虚を埋め合わせる必要に迫られたとき、私は思弁的議論ではなく、経験の充実をもってこれに向き合おうとしていた」を取り出して、ラカン風に解説してみせる。空虚を、経験の充実で埋めることはできない。空虚は空虚によってしか埋められない。愛とは、自分の持っていないものを用いて相手を救うことであり、そのようにしてしか空虚は埋まらず、おそらく女(愛)-欲望において問題を抱えていたレリスの空虚は埋まらない。ラカンならそう言うだろうが、それは半分しか正しくない、と。空虚があるから欲望が生まれるのではなく、逆に、欲望という(人間を規定している)システム、欲望というOSが、空虚というものを生んでいる。そして、そのような「欲望というOS」が今や終わろうとしているのだ、と。

●この「欲望の消滅」という主題は全体に通底していたかもしれないが、とはいえ、これは話のはじまりに過ぎない。『読書実録』の〔愛と幻想と現実〕から触発されて、レリスの話、ボクサー犬の話、崖の話と、話題は移行し、移行した先で、話題の細部が拡大する。

特に犬の話が印象に残った。本当はライオンを飼いたいと思っていた。ライオンは敷地に金網をはっても逃げてしまうから、金網に電流を流さなければならない。ライオンを飼っている人を実際に訪ねた。ライオンはネコ科の動物としては犬に近く、子供の頃から飼っていれば人に懐くしとても頭がいい。しかし、ライオン同士の喧嘩が始まると非常に獰猛であり、人間には制御できない。ライオンは立ち上がるととても大きく、力もけた違いで、強い恐怖を感じた。ライオンを飼うことはあきらめた。

ボクサー犬は特異な犬種だ。普通、犬は、知らない人間が近づくとテリトリーを守るために吠えて威嚇するくらいのことしかしない。しかしボクサー犬は、人間の男があらわれると、その様子を伺うように近寄ってくる。そして、男の近くでしばらく彼を観察している。だが、あるタイミングで、いきなり思い切り強く噛みつく。普段は家に他人を入れないようにしているが、飲料水のタンクを取り替える業者は家に入れざるを得ない。不幸にも、その業者の男がボクサー犬の被害にあって足を負傷した。

ボクサー犬との愛情関係も特異だ。夕方からテラスで飲酒している時、酔いが深まってくると、犬が膝に前脚を置く。払っても、また置く。それを何度も繰り返し、酔いもさらに深まっていくうちに、犬は膝に乗るようになり、しまいに犬は、女性と対面座位で性行するような姿勢で覆い被さってくる。私にとって、犬が女の隠喩なのではなく、女の方が犬の隠喩だとさえいえる。ある時、テラスに不意に彼女(人間)が現れたことがある。すると犬は、まるで禁じられた秘め事が見つかってしてまったかのように、あわてて私から離れ、私はその勢いで転倒してしまった。

犬との愛情関係が前言語出来であるのと同様、本来、人間との関係もまた、前言語的なところで作動しているはずだ。ただ。言語が介在しないと、記憶を時間(順序)として構成することが困難であるようだ。犬の記憶には前後関係がない。

●東アジアにしか存在しない独自の「下品さ」というものがある(たとえば、タイでは下品な人に出会ったことがない、と)。それは、日本、韓国、中国にしかみられない。ここでいう「下品さ」とは、自分に自信がなく、自分の存在を支える背景的な(隠された・隠喩的な)核のようなものがないので、その都度その都度、自分の存在を過度に誇示する威嚇的態度をパフォーマティブに、表出的に示すことによって自分の存在を支えているようなあり方のことだ、と。

今までに出会った、最も下品さの強度が強かった人は韓国のポン引きだった。街を歩いていると、いかつい男が近寄ってきて、耳元で「メ二ハイリマスヨ」と囁かれた。意味が分からず、「私は韓国語が話せません」と英語で言うと、「日本語ですよ、目に入りますよ」と言った。要するに、「目に入れても痛くないくらいかわいい女の子がいますよ」という意味だ。

(外国の街を一人で歩いている時、下品さをプンプン漂わせたいかつい男から唐突に「メニハイリマスヨ」と囁かれ、それが日本語の「目に入りますよ」という言葉であるということ。この場面になぜかぼくは異様に魅了された。)

ディオゲネスは、奴隷市場で売られるとき、「おまえは何が出来る」と問われ、「おまえたちの主人となることができる」と答えたという。かっこいい。ちょっとラカンっぽいが。

●樫村さんの語りには、樫村さんのテキストにあるのとは異質の、強さがあり深さがあり複雑さがあり運動性がありヤバさがあるように思う。そこには、哲学というよりも小説に近いような細部の感触がある。おそらく樫村さんはそれを良しとはしないだろうと思うのだが、ただ、身辺雑記的なことを書き連ねるだけでも、それが小説として非常に魅力的なものになるのではないかと思った。

(欲望の消滅について、図示的、解説的に語るのではなく、欲望の消滅後について、その具体的な細部や感触を語るのでなければならない、そのためには「実作」である必要がある、できるのならば自分もそれをしたい、というようなことを、樫村さんは言っていたと思う。)

2019-11-03

聖蹟桜ヶ丘のキノコヤで、井上実展のアーティストトーク(井上実×古谷利裕)

九十年代のはじめから現在までの作品をスライドで映しながら話す。それぞれの時期に考えていたことについて、作品の成り立ちやその手法について、興味深い話を、作家からできるだけ多く引き出すために、さまざまな方向からのつっこみを試みる、というのが今回のぼくの役割だと思って、その方向で話した。

井上くんとは古くからの付き合いで、98年以降の作品のほとんどをリアルタイムで観ているということもあって、わりあいリラックスしてできたと思う。こじんまりとした、いい感じのスペースということも大きかった。井上実という画家の特異性が、それなりの濃度で出ていたのではないか(それはぼくが引き出したとかではなく、作家自身から自ずと出ていたのだ)

(ハッタリ抜きで、2013年以降の井上実は現存する画家で最大の存在の一人だと思っている。このような存在を未だ充分に発見し切れていない「美術の世界」に対し、その目は節穴なのかと思わざるを得ない。)

●キノコヤの二階は、普段は映画を上映するスペースで、スクリーンを巻き上げると背後に窓があり、その窓を開けると川が流れている。

井上実展@キノコヤ(1012日~121)

https://www.facebook.com/events/570210896849472/

「月や空が大きいのでもなく、草の露が小さいのでもない 井上実の絵画」(古谷利裕)

https://furuyatoshihiro.hatenablog.com/entry/2019/10/10/000000

 

2019-11-02

U-NEXTで「時効警察・復活スペシャル」を観た。

最近は映画だけでなく、ドラマも、ドキュメンタリーや科学番組なども、ネット配信で観るようになって、PCのテレビ用のソフトを立ち上げることがほとんどない(台風の時は時々NHKをチェックしたけど)

ネット配信だと選択肢が多すぎて(マイリストがどんどん膨らんでいく)、何を観ようか迷っているうちに観るための時間がなくなってしまうこともよくある。リストにいっぱい作品が並んでいると、それだけで疲れてしまう感じもある。

時効警察…」は普通に楽しめた(変化球的なものの手数の多さ)。ただ、さすがに(前作から)十二年経っているので、出演者たちの「年取った」感がすごい。新人の女性刑事として吉岡里帆が加わっている以外は、ほとんどオリジナルのメンバーで、ドラマ全体で平均年齢がそのまま十二歳分プラスされている感じ。

(オダギリジョーの初主演作『アカルイミライ』は2002年なのか。そんなに前なのか…。)

時効警察」なんて、ちょっと前にやっていたような気がするのだけど、時間は確実に経っているのだということを、出演者の風貌が語っている。いや、あきらかに「年取った」感のある出演者たちによって、以前とまったく変わらないノリが再現されているので、一方で「時間が経った」という実感があるのと同時に、もう一方で、「まったく変わってない」という感覚もあって、そこに齟齬が生じて、不思議な感じがする。これを「停滞」というのかもしれないが。

明らかに歳を重ねた人たちによって再現される同じノリであるこのドラマの題材に、七十歳代なのに四十歳代にしか見えない「美魔王」と呼ばれる男性にまつわる事件が選ばれているところがとても興味深い。四十代にしか見えない七十代の「美魔王」は、「まったく変わっていない(≑停滞)」ことを望む「年寄りたち」にとっての希望であるが、しかしその希望は、実はフェイクであった、と(浦島太郎的なカットもあった)

このことは、十二年経っていることが出演者たちの風貌からも明らかであるにもかかわらず、まったく同じノリで再現されようとする「時効警察」の新シリーズ(時効警察はじめました」)に対する自己言及であり、軽い自己ツッコミにもなっているのだと思った。

(十二年経っていることは明らかなのに、まるでそれをなかったかのようにして、以前のままのノリを再現することに対し、「それはどうなのよ」と軽い自己ツッコミを入れつつも、しかしそれは自己批判というほど強いものでもないので、「分かっててあえてやってます」というエクスキューズでしかないとも言えるが、「あえて」によって生じる「齟齬」を、今後どのように扱っていくのかがこのシリーズの興味深いところだと思った。)

 

2019-10-31

●「意識」をどのように定義するのか、あるいは、外からそれをどのように測定するのか。また、生殖によって生まれた「脳」と、幹細胞から培養された「脳」との間に、「人権」の重さの違いを認めてよいのか、など、難しい問題を、科学の進歩によって、突きつけられる。

人工培養された小さな脳がヒトと類似した脳波を発生(Newsweek)

https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/09/post-12908.php

《幹細胞生物学の学術雑誌「セル・ステム・セル」で2019829日に公開された研究論文によると、米カリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD)のアリソン・ムオトリ教授を中心とする研究チームは、ヒトの多能性幹細胞から試験管内で作製した「脳オルガノイド(組織構造体)」と呼ばれる豆粒大の人工脳をヒトの脳に似た細胞構造を持つものへと発達させることに成功。》

《培養開始からおよそ2ヶ月で脳波が検出されはじめた。未熟児の脳でみられるように、信号はまばらで、同じ周波数であったという。その後、「脳オルガノイド」が成長していくにつれて、信号が定期的に現れるようになり、様々な周波数が検出された。これは「脳オルガノイド」のニューラルネットワーク(神経網)がさらに発達したことを示すものだ。》

《なお、「脳オルガノイド」が意識などの精神活動を有しているとは考えにくい。ムオトリ教授は「この『脳オルガノイド』は非常に初歩的なモデルであり、他の脳の部位や構造を持っていない。『脳オルガノイド』が発する脳波は、実際の脳の活動とは関係がないだろう」としたうえで、「将来的には、行動や思考、記憶を制御するヒトの脳の信号と近しいものが検知されるようになるかもしれない」と述べている。》

《研究チームでは、今後、「脳オルガノイド」を改善し、自閉症てんかん統合失調症など、ニューラルネットワークの機能不全に関連する疾病のさらなる解明に役立てたい考えだ。》

意識がある? 培養された「ミニ脳」はすでに倫理の境界線を超えた 科学者が警告(Newsweek)

https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/10/post-13266.php

《米ハーバード大学の研究チームが2017年に発表した研究論文では、「脳オルガノイドが大脳皮質ニューロンや網膜細胞などの様々な組織を発達させる」ことが示され、20184月にはソーク研究所の研究チームがヒトの脳オルガノイドをマウスの脳に移植したところ、機能的なシナプス結合が認められた。》

《また、カリフォルニア大学サンディエゴ校の研究チームは20198月、「脳オルカノイドからヒトの未熟児と類似した脳波を検出した」との研究結果を発表している。》

《脳オルガノイドのような「生きた脳」の研究によって医学が一変するかもしれないと期待が寄せられる一方、脳オルガノイドが十分な機能を備えるようになるにつれて、倫理上の懸念も指摘されはじめている。》

20191018日から23日まで米シカゴで開催された北米神経科学学会(SfN)の年次総会において、サンディエゴの非営利学術研究所「グリーン・ニューロサイエンス・ラボラトリ」は、「現在の脳オルカノイドの研究は、倫理上、ルビコン川を渡るような危険な局面に近づいている。もうすでに渡ってしまっているかもしれない」と警鐘を鳴らし、「脳オルカノイドなど、幹細胞による器官培養の倫理基準を定めるうえで、まずは『意識』を定義するためのフレームワークを早急に策定する必要がある」と説いた。》

《「グリーン・ニューロサイエンス・ラボラトリ」でディレクターを務めるエラン・オヘイヨン氏は、英紙ガーディアンの取材において「脳オルカノイドが意識を持っている可能性があるならば、すでに一線を超えているおそれがある」と指摘し、「何かが苦しむかもしれない場所で研究を行うべきではない」と主張している。》