2007-10-01から1ヶ月間の記事一覧
●恵比寿ガーデンシネマで『インランド・エンパイア』(デヴィッド・リンチ)、三回目。もうすぐ終わってしまうのでもう一度観に出かけた。(千円で観られる日だったし。)一番前の右の端の方の席で、スクリーンを近い位置の右斜め下から見上げるような感じで観た…
●お知らせ。今出ている「映画芸術」(421号)に、「モンガイカンの観劇記/中野成樹+フランケンズ『遊び半分』、サンプル『カロリーの消費』を観る」というレビューを書いています。もともと、この二つの舞台のレビューを十五枚で書いてほしいという依頼だった…
●何年かぶりに『カンバセイション・ピース』(保坂和志)を読み返していて、何故か、タルコフスキーの『惑星ソラリス』の最後のショットを思い出した。ソラリスの海に浮かぶ主人公の家を俯瞰で捉えたカメラが、ずっと引いてゆくショット。(『カンバセイション…
●本を読んでいて何かを思いつく。あるいは、そこに書かれていることとはまったく別のこと(しかし、なにかしら繋がりのあること)を考える。その時、その考えにはとても手応えがあり、リアリティがあるように感じられる。しかし、そのまま続けて本を読んでいる…
●京橋のギャラリーKで、稲垣真幸展、府中のLOOP HOLEで、大槻英世展。二人とも大学の後輩ということになる。年齢的に、十歳とまではいかなくても、だいたいそのくらい離れていると思う。それだけ離れていると、おそらく、美術というものに初めて触れた時に見…
●11月3日に中央大学で行われる保坂和志さんの講演会に、対談相手として出ることになっていて、その紹介記事がおとといの読売新聞に出ていた。(その掲載紙が今日届いた。)その見出しが「作家の保坂和志さん、在野の書評家と対談」となっていて、笑えた。この…
●『リング0』(鶴田法男)をDVDで。ぼくには「リング」シリーズのどこが面白いのかわからない。特に『リング2』など、かなりひどい映画だと思う。だが、これはけっこう面白かった。この映画は、途中までは「リング」シリーズの一本というよりも、完全に鶴田法…
●「文藝」に載っている「肝心の子供」(磯崎憲一郎)についてのメモ。●まず、文章がとても面白かった。淡々と一定の調子で流れ、すべてが終わった後で、すべてを把握した人物によって綴られているかのような調子でありながら、時折、とてもなまなましい場面が…
●今出ている「文藝」に載っている、文藝賞になった「肝心の子供」(磯崎憲一郎)という小説が凄い。とにかく凄く面白い。今、日本で書かれているあらゆる小説とほとんど無関係にぶっとんでいるという意味で、圧倒的に飛び抜けている。今、これを読まない手はな…
●喫茶店に入るとうっすらと暖房が効いていて、上着を脱ぐ。そこに長時間居て表に出ると、寒いとまではいかないが、軽く火照った体が外気との予想外のギャップを感知する。火照るような人工的な暖かさのなかから、涼しいところへ出て行くという感じに、体が慣…
●『突破口!』(ドン・シーゲル)をビデオで。面白かった。この映画はかなり細かく伏線がはられていて、そこも面白いのだけど、例えば、その緻密なつくりに気づかなかったとしても(例えば、ズタズタにカットされたテレビ放送などで観たとしても)、その核心とな…
●引用、メモ。ジョアン・コプチェク「視覚の筋かい---見ることの支えとしての身体」(『女なんていないと想像してごらん』)。ルネサンスの遠近法が、視覚原理にもとづく古典幾何学ではなく、射影幾何学に依っていたということは、ラカン派的な解釈を超えて重…
●引用、メモ。ジョアン・コプチェク「エジプト人モーセと、南北戦争以前の南部における黒人の大乳母....」(『女なんていないと想像してごらん』収録)より。メタ言語は存在しないし、権力の外(メタ権力)も存在しない。(以下の引用でコプチェクが最も言いたい…
●清水崇の映画をDVDで何本かまとめて観直した。おそらく、最初のオリジナル版『呪怨』の時点では、たんにホラー的な様々なテクニックや小ネタをやりたかっただけで、それらを一本の作品に纏めるために、あの複雑な構造や、あの家や、伽?子をめぐる物語が考え…
●喫茶店で原稿を書いていて、いきなりノートパソコンの画面が真っ暗になってあせった。たんなるバッテリー切れでよかった。(ある作品のレビューを書いていて、その作品の「微妙さ」こそを書きたいのに、遠回しな、直接言うことを避けて批判をほのめかすみた…
●京都で狩野永徳展がはじまったけど、観に行けるかどうかは(主に経済的な理由によって)微妙だ。一昨年、京都に行った時に立ち寄った京都国立博物館はいい感じにさびれていて、人もそんなに多くはなくて、ゆっくりと展示物を観ることが出来たのだが、狩野永徳…
●歌舞伎町にある映画館(名前忘れた)で、タランティーノの『デスプルーフ』。途中では、いろいろと不満やひっかかりを感じるのだけど、最後のカーチェイスの気持ち良さで、それらがすべてどうでもよくなる。ひたすら気持ちがよいままで、それが損なわれる前に…
●おそらくリンチにおいては、イメージ(見ること、見えるもの)は信用されていない。見ることの出来るもの(イメージ)は常に幻想的に歪んでいるし、それが示すのは何かの徴候のみであって、出来事そのものではない。イメージは常に過剰であるのだが、その過剰さ…
●しつこくリンチ。ある人から、『インランド・エンパイア』のウサギ人間のシーンや『マルホランド・ドライブ』の黒幕的なおっさんの部屋のシーンでの、微妙な俯瞰ショットの不思議さを指摘されて、それを気にしながら『インランド・エンパイア』を観ていたら…
●もうちょっと『インランド・エンパイア』。昨日、ローラ・ダーンが口にする「死んだ息子」について触れたけど、この息子が実際に生まれたのかどうかは怪しい。まあ、そんなことを言えば、この映画の出来事のことごとくが怪しいのたけど。女が夫に子供が出来…
●恵比寿ガーデンシネマで、デヴィッド・リンチ『インランド・エンパイア』。二度目。この映画は、前半すごく面白いのだが、中盤になって、要素を詰め込み過ぎて散漫になるのと、いくらなんでもどアップばかりで押しまくる演出が単調に思えて来て、やや退屈に…
●上野の東京都美術館で、フィラデルフィア美術館展。モネ「睡蓮、日本の橋」、セザンヌ「ジヴェルニーの冬景色」、ブラック「フルーツ鉢のある静物」、エイヴリー「黒のジャンパースカート」が良かった。ピサロもモネも、いかにも「印象派」っぽい、甘い色彩…
●日比谷シャンテシネで、ジャ・ジャンクー『長江哀歌』。ジャ・ジャンクーは理屈抜きですごく好きなのだが、(観ることの出来た)五本目ではじめて、イマイチかなあ、と思った。いつもは、その圧倒的な風景と音とに触れると、それだけで興奮するのだが、この映…
●『発狂する唇』(佐々木浩之)をDVDで。この映画は公開の時に観て、この日記でもかなり強くけなした憶えがある。しかし改めて観るととても面白かった。当時のぼくにはこの映画の面白さを理解することができていなかった。というか、勘違いしていたのだと思う…
●道を歩いていたら、坂の途中で、ピュウゥという小さな穴から空気が抜けるような間抜けな音がして、上から何かが落ちてきた。落ちてきたと思ったのは1羽のハトで、落ちたのではなく、降りてきたのだったが、その間抜けな鳴き声(ピュウゥ)と、無様な姿勢で、…
●渋谷のBunkamuraで、「ヴェネツィア絵画のきらめき」。なんともチャチい展覧会だけと、ティツィアーノの「洗礼者ヨハネの首をもつサロメ」を観られたのはよかった。イタリアに行って浴びるほどに絵を観た時にも感じたのだが、展覧会全体を通して、油絵の具…
●八月いっぱいかけて書いて、その後何度か改稿した作家論が、どうやら完成、掲載のめどが立ってきた。午後からは、それとは別の件で、新宿で編集者と打ち合わせ。こちらの実現はまだちょっと先の話。その後、紀伊国屋をちらっと覗いてから、喫茶店にはいって…
●愛とはおそらく転移のことだ。つまりそれは、人は、自分の存在の手応えを確認するために、他者による承認を必要とする、ということだ。「欲望とは他者の欲望である」というのは、「欲望とは、他者が私を承認してくれることを望む、ということだ」の言い換え…
●四谷アート・ステュディウムのGALLERY OBJECTIVE CORRELATIVEで、中山雄一朗展「トムはジェリーを殺せない」http://correlative.org/exhibition/2007/maestro/nakayama/info.html。例えば、人は顔をどのように捉えるのか。ある人が、ある程度太ったり痩せた…
●立川シネマシティで『ワルボロ』(隅田靖)。この監督は『ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎行進曲』で助監督としてはじめて映画の撮影に参加し、その後二〇年、セントラル・アーツの仕事を中心にやってきた人だそうで、そのような人の監督デビュー作が…