2024-11-12

⚫︎精神分析によれば、シニフィアンの連鎖(≒象徴界)は、自動機械のように機能する。『他なる映画と 1』(濱口竜介)を読んでいて、シネフィルによる、人の関心とは無関係に世界を記録する実写カメラの自動機械的な「記録性」の尊重とは、いわば「象徴界の確保」という意味があるのだなあと思った。実写映像は、映像=想像界(断片性・フィクション性)の領域であると同時に、カメラの自動機械性において、象徴界(≒シニフィアンの連鎖)との通路が確保されている。後者の尊重が、想像的な映像の中に、その外にある他者や世界との通路があることを知らせる、と。カメラ=象徴界というか、カメラ(+プロジェクター)が想像界象徴界とを媒介する、と。

(それと同時に、テキスト≒演出という、文字通りのシニフィアン連鎖への注目もこの本のなかにはある。)

⚫︎鏡像段階において、人は、自分の外部にある「鏡像(イメージ)」のなかに自分(自我)を発見する。このとき、わたしの像はわたしの外にあり、故に半分自己であり、半分他者(あなた)である。「半自己・半あなたであるわたし」にとって、他者もまた「半あなた・半わたしであるあなた」である。乳幼児期の、「半自己・半あなたであるわたし」と「半あなた・半わたしであるあなた」という二者的で想像的な母子関係のなかで、わたしは、「母の語り」のなかに「わたし-あなた」関係の外にある、「別の他者(への欲望)」の匂いを感じ取る。その匂いを、〈父の名〉と名づけることができる。

他者への欲望の匂いとしての〈父の名〉は、想像的な「半自己・半あなたであるわたし」と「半あなた・半わたしであるあなた」との想像的な関係に、その外があることを示唆する。そのことが、人に象徴界(≒シニフィアンの連鎖)の受け入れを促す。それによって「わたし」は、想像的な二者関係とは別の、世界との関係性へ開かれる可能性を得る。だがここで、〈父の名〉が否認されると、二者関係の外部は閉じられ、「わたしの声を(あなたの声として)わたしが聞く」という脳内エコーチェンバーの内部に閉じ込められる。精神分析ではそれを精神病的主体とする。

〈父の名〉を感じとり、シニフィアン連鎖の自動機械性を受け入れた「神経症的な主体」にとって、抑圧されたものは、無意識によって加工され、症状=比喩という形で主体に回帰する。しかし、〈父の名〉を否認する「精神病的主体」においては、抑圧それたものは、形を変えずにそのまま回帰する(PTSD的な回帰)。

⚫︎「父」が、ある程度有効に機能した19世紀、20世紀においては、多くの人は、神経症的な主体として構成された主体性を持った。しかし、「父」の機能が著しく低下した現在では、多くの人は、精神病的な主体として構成された主体性を持つことになる。現代ラカン派ではこれを「普通精神病」と呼ぶそうだ。

(90年代の「エヴァ」はしばしば神経症と精神病の中間にあたる境界例的な作品と評されたが、「エヴァ」ももはや過去の話で、現代では時代はより精神病的となっているのではないか。)

⚫︎家父長制への批判は正当であり、父権の復活は望ましくないし、そもそも可能でもないだろう。だからこそ、「わたしの声を(あなたの声として)わたしが聞く」という脳内エコーチェンバーを、そして、エコーチェンバー的に構成されてしまう社会性を脱し、その外へと開かれるための(「父」以外の)別の有効な何かを、必死に、かつ喫緊に探し出す必要があると思われる。「父」的ではない「大文字の他者」はどんな形が可能なのか。エコロジー ? 、テクノロジー ? 、あるいはフェミニズム ?

(もちろん、「シニフィアンの連鎖」に開かれれば良いということではない。その先の過程として「現実界(大文字の他者のなかの欠如)に触れる≒精神分析」という段階がある。)

⚫︎追記。考えてみれば、「わたしの声を(あなたの声として)わたしが聞く」という場合にも二種類の様態がある。(1)わたしがわたしであることに自足する(自己観照)、(2)ハウリングと誤作動が生じてわたしが暴走・崩壊する。前者であれば望ましいと言えるだろう。この二つの様態を分けるものは何か、ということを考えるべきか。どのようにすれば(1)が可能なのか。あるいはそもそも可能ではないのか。

⚫︎GIGAZINEの記事によると、幻聴に悩まされる統合失調症の人において、まさに文字通りに「わたしの声を(あなたの声として)わたしが聞く」というエコーチェンバーが起こってしまっているようなのだ(樫村晴香が書いていることの後追い的確認のような研究だが)。

被験者の脳内では「音を聞く」という感覚刺激の処理が行われた後に、音を発する準備が行われます。この際、統合失調症ではない人の脳では、自分が発する予定の音の認識を抑制する「corollary discharge(随伴発射)」という信号と、体に対して音を発するように指示する「efference copy(遠心性コピー)」という信号が生じます。

しかし、すべての統合失調症患者では、自分が発する音の認識を抑制する「随伴発射」が失われてしまいました。これにより、統合失調症患者は自分が話した音を「外部から聞いた音」として認識しやすくなってしまうとのこと。

一方で幻聴のある統合失調症患者では、遠心性コピーが通常よりも強化されてしまい、自分の口から発するつもりがない「頭の中の発話」に対しても生じました。この随伴発射の低下と遠心性コピーの強化が組み合わさることで、統合失調症患者は頭の中の「内なる発話」を外部から聞いた音だと思い込みやすくなり、それが「幻聴」の原因となっている可能性があると研究チームは結論付けています。

研究チームは、「幻聴に苦しむ人々は、外部刺激なしで音を『聞く』ことができます。脳内の運動系と聴覚系の間の機能的接続の障害は、空想と現実を区別する能力の喪失をもたらします」と述べました。

https://gigazine.net/news/20241004-brain-schizophrenia-auditory-hallucinations/

gigazine.net