2010-10-01から1ヶ月間の記事一覧

●午後七時過ぎ、雨降り。二階にある喫茶店の窓から向かいの文房具屋の入り口が見下ろせる。その辺りのアスファルトの舗装が少し窪んでいて水たまりが出来ている。こちらから見ると、ちょうど自動販売機の光が水面に眩しく反射している。空から降って水面に衝…

●原稿を送信して少しホッとしたので、外をぶらぶら歩きたいのだが台風なのでそうもいかず、部屋でなんとなく『金沢』(吉田健一)を手にとって読み始めたら、すごく面白くて引き込まれた。 特に、書き出しの、最初の三十ページくらいがすごい。谷崎の『蘆刈…

●夢。目が覚めたら、まったく見ず知らずの場所に一人でいた。ここから、どのようにして帰ればいいのか。幸い、携帯電話には地図が表示される。だが、それはたんに自分が居る場所の半径百メートルくらいの範囲の地図でしかなく、ここが、日本地図のなかでどの…

●寒いし、雨だし、原稿も書かなくちゃいけないのに、新宿までビデオとDVDを返しにいかなくちゃいけないのだった。2日も延滞している。新宿まで行くとジュンク堂に寄って散財してしまうといういつものパターン。「ART CRITIQUE」と「photographers’ galle…

●寒い。昨晩は寒くてあまり眠れなかった。眠っているのか、いないのか分からないような、浅い眠り。 ●去年観た『syzygy』(振り付け・捩子ぴじん/ダンサー・神村恵、福留麻里/音楽・スズキクリ)の映像が、ちょっとだけだけどウェブで観られるように…

●例えば、平均台とか平行棒とか跳馬とか、そういう種目の有り様や、技の難易度の設定とか採点基準とか、そういうものは、人工的、恣意的、制度的なもので、それは体操競技という狭い世界でしか通用しない、その競技に固有な発生と発展の歴史とか、その世界の…

●すごく良い天気。気持ちいい。散歩した。

●当たり前のことだが、映画の上映時間は一生より短い。もし、一生と同じ長さの映画があるとすれば、それを観る人にとって、映画そのものがそのまま現実の生となる。上映時間が一生よりは短いからこそ、映画というフレームを現実から切り離し、その外側から、…

●普段は特に似ているとは思わないのだが、打席に入って投手の方を睨んでいるラミレスの眼差しをテレビで見るといつも、決まって寺島実郎の顔が頭に浮かぶ。 ●今年は出身大学の創立者の生誕百年の年で、それを記念して渋谷のBunkamura ザ・ミュージ…

●お知らせ。「週刊文春」10月28日号に、『優しいおとな』(桐野夏生)の短い書評を書いてます。 ●最終日というので、新宿まで『島田陽子に逢いたい』(いまおかしんじ)を観に行こうと思っていたのだが、『水死』(大江健三郎)を最後まで読んだら「負の…

●抽象表現主義の作品の一番あやういところは、立派に見え過ぎてしまうところではないかと思う(例えば、シュポール/シュルファスの作品の見栄えのしょぼさに比べて)。単純に大きいし。思わず、安易に崇高とか神秘とか言いたくなってしまったりする。でも、…

●良い(面白い)作品というのは、その作品自身が自分を測るため(だけ)の評価基準を新たにつくりだしているような作品のことで、事前にある評価軸なり文脈なりのなかで、それに照らし合わせて、これは85点くらい行ってるからよい作品で、こちらは37点だ…

●映画短レビュー関係で(14日の日記参照)、『アリス』(ヤン・シュヴァンクマイエル)、『うる星やつら2/ビューティフルドリーマー』(押井守)、『ヴァージン・スーサイズ』(ソフィア・コッポラ)をDVDで観る。 『ヴァージン・スーサイズ』は正直…

●『水死』(大江健三郎)を再読している。それにしても、小説は憶えられない。読んでいる時に確かに感じている感触や抵抗は、それから、三時間経ち、五時間経ち、八時間経つと、少しずつ薄れていってしまう。長い小説は、読んでいるうちに読み始めた頃のこと…

●タルコフスキーの『アンドレイ・ルブリョフ』をビデオで観ていた。例えば、構図の中心に常にある人の顔があって、その人物がカメラに近寄ったり離れたりしつつ横に移動して、それをずっとカメラが追いかけているのだが、そこで撮られているのは人物というよ…

●横浜のムーンハウスで、熊井正、保坂和志、古谷利裕のトーク。とても気持ちのよい天気なので、桜木町駅からムーンハウスへ向かう途中で、野毛山動物公園を一周する。野毛山動物公園のすぐ脇の、水道道と言われている道の、急な下り坂を下って、急な上り坂を…

●横浜のムーンハウスに熊井正・展を観に行く(http://blog.tadashikumai.com/)。明日(16日)、熊井さんと保坂和志さんとトークがあるのだが、それについては具体的に何も考えてなかった。でも、作品を観れば、何か話すことはみつかるだろうという、気軽…

●夏が終わったらいきなり冬かよ、と思ったが、秋がちゃんとあってよかった。 ●今日締め切りの原稿をメールで送ってほっとしているところに、夕食をごちそうしてくれるという電話があったので、そそくさと出かけ、思い切り食べて、すこし飲んで、すっかり気が…

●昨日は、十二月の個展のDMに使う作品を撮影してもらうために新橋のスタジオまで絵を抱えて行った。慣れない早起き、慣れないラッシュ電車だったが、ちょうど、通勤特快があったおかげで約束の時間に遅れずに済んだ。 フィルムではなく、デジカメでの撮影…

●引用、メモ。「さらに物質的なラオコーンに向かって」(佐藤雄一/『組立』所収)より。これすごい面白い。きわめて理念的であると同時に、具体的で実践的なものだと思う。 ●《(「質量−形相」図式への疑義)つまり「形を受け入れる粘土の能力は、その形を…

●電車が川にさしかかる。窓から外を見ている。対岸の土手沿いの道を、遠くから、白いシャツ、白い帽子の人が乗った自転車が走ってくる。自転車はみるみる近づいてくる。電車も自転車に近づく。電車と交錯するように、自転車は鉄橋の下に潜り込む。電車はその…

●地元の古本市で、93年にやったクレーの展覧会の図録を買った。 線というのは概念であり、厳密に言えば感覚不可能なものである。線が見えてしまえば、それは既に純粋な意味で線ではない。にもかかわらず、我々は線を見る。見ることが出来る以上、そこには…

●人形町のVISION`Sで、「組立」(http://kumitate.org/)および、対話企画「生き残る(ための)芸術」。一部と二部あわせると午後二時から七時までで、座っているだけで相当疲れる。その後、打ち上げで十一時過ぎまで。 イベントの内容は、充実して…

●武蔵野美術大学に行った。武蔵美の油画科では、学部の三年生が全員参加するコンクール展という学内展示が毎年あるらしい。それが今(今日まで)やっていて、そこで展示されている郷正介の作品がとても良いと聞いたので、観に行ったのだった。 全体として、…

●カマキリがアスファルトの上を必死で走っていた。カマキリは、植物のなかにいるとシャープでとてもかっこいい佇まいだけど、平面を走る時は長い尻が邪魔して、とても間抜けな走り方になる。 ●今日も一日、部屋で映画を観て過ごす予定だったが、二本目に『シ…

●昨日、今日と、そして多分明日も、必要があって、一日中ずっと部屋で映画を観ている。しかし、必要(目的)があって観るというのは、映画に対する態度としてどうなのか、という思いがあり、必要があって観る映画とは別に、罪滅ぼしに(自分への言い訳的に)…

●夢。数十人で列をつくって駅からの長い道のりを歩く。知っている人は少ないが、友達の友達のまた友達という感じで、皆、誰かしらの知り合いであるはずだ。おそらく、以前にも何度か通った道で、以前にも何度か行ったことのあるらしいの場所を目指している。…

●『結び目』(小沼雄一)をDVDで。これはとても面白かった。この映画でなされていることはおそらくとてもシンプルなことだ。そしてそのシンプルさを支えているのが主題の存在ではないか。主題というのはつまり、映画が映画であるという事実の外にあるもの…

●夢。実家の近くの川原の土手に生えている、昔よく登ったくるみの木が、気づくとすごく大きく成長していた。うわっ、こんなにでかくなったのか、と見上げるのだが、見上げれば見上げるほど、その視線にあわせて、きりなく視界からはみ出してゆくくらいに大き…

●新百合ヶ丘の川崎アートセンター、アルテリオ小劇場でFICTION『ボノボ』。面白かった。ぼくにとって、前の『世界のはじまり』があまりに衝撃的だったので、それに比べると少し抑え気味という風に感じはしたけど(でも、抑え気味というのは、かならず…