●横浜のムーンハウスで、熊井正、保坂和志、古谷利裕のトーク。とても気持ちのよい天気なので、桜木町駅からムーンハウスへ向かう途中で、野毛山動物公園を一周する。野毛山動物公園のすぐ脇の、水道道と言われている道の、急な下り坂を下って、急な上り坂を登って、さらにもう一度急な下り坂を下ったところにムーンハウスはあるのだが、この坂道の風景を見るためだけにムーンハウスにまで行ってもいいと思うくらい、ここの風景は面白い。
●熊井さんのドローイングは、パターン認識によって簡単には捉えられないような複雑な線をもちいている一方、パターン認識としてもっとも単純で、かつもっとも強力な「顔」や「文字」を、そのもっとも単純化された分かり易いフォルムで描き込む(トークで、上手い、下手という話が出たけど、ぼくが「下手」というのは、つまり簡単にパターン認識出来てしまうような線やフォルムを描く人のこと)。ぼくには正反対に思える二つの方向の力が同時に働いている(同居している)のが不思議な感じだ(熊井さんの作品が、フォルムとキャラクターの間で拮抗し、揺らいでいると言ったのは、このような意味でだ)。
さらに、紙の質感と描画材のその都度の出会いや、その時々での様々な支持体(ドローイング帳や手帖や水彩紙など)に描かれる「その場」性(その時々で、そこにあるものに描いた、という感じ)を強く孕んでいる個々の作品を、ポストカードサイズという同一のフォーマットに印刷して、さらにそれに番号をつけて一個の筺のなかに押し込めて展示していて、この展示そのものにも、真逆の方向への力が働いているように思えた。
これはいわば映画のモンタージュのようなもので、非連続的なものに連続性をつくりだそうとしている。とはいえ、それぞれ別々に描かれた作品を、展覧会場に一同に展示するという行為がそもそも、同一の空間によって、非連続的なものをモンタージュすることになるから、本質的には変わらないのかも知れない(ただポストカードにする場合には、印刷とサイズの変更という変換過程が存在するのだが)。
非連続的なものをモンタージュするという変換作用によって、新たに生まれるもの、消えてしまうもの、そして、変換過程の後にも残るもの、は何か、ということには、ぼくもとても興味がある。
●保坂さんは小説を書く時、四百字詰めの原稿用紙を用いるのだが、マス目通りには書かない、1行にだいたい二十二、三文字になる、と言っていた。
トークで話すかもしれないと思っていて、話さなかったこと。朝、テレビでジオラマをつくる人が出ていた。昭和三十年代の渋谷駅前のジオラマが映った。そのジオラマをつくるきっかけが一枚の写真だったという。その写真には、渋谷のデパートの屋上にいる子供時代の作者が映っている。写真に写っているのは、何人かの子供と、電車のアトラクションで、背景に屋上の金網と、遠くに見えるプラネタリウムのドーム。そして、ジオラマがあらわしているのは、そのデパートのあるビルとプラネタリウムのあるビルの間にひろがっている、その写真には写っていない駅前の空間なのだった。ぼくはこれをみて、すごく納得できる気がした。
古い写真が、そこに写っていない、しかし確かにその場に存在した空間を強く想起させ、その再現を人につよく要請すること。そして、その再現が、絵やCG動画、あるいは言葉を用いた物語などではなく、縮小された三次元の模型であることには、強い必然性があるように思われた。ここには、人の頭のなかの構造や、人の頭とその外の世界との関係の構造についての、大きな秘密が刻まれているように感じた。
●保坂さんにお会いしたから書くわけではないのだが、ここ六ヶ月分くらいの『未明の闘争』(「群像」連載中)は無茶苦茶面白い(柳春からアキちゃんのところ)。途中から読むと面白さがわからないという小説ではないし(むしろそういう読み方の方が適当ではないかとも思われる)、この小説はきっと、今後も延々続くと思うのでなかなか本にはならないだろうから、最近の六回分くらいだけでも、図書館でコピーして読んでみることをお勧めしたい。
●午前中に送信されたはずの保坂さんからの待ち合わせについのてメールが、二十三時半くらいの受信時刻で届いた。このメールは、十二時間くらいの時間、いったいどこを彷徨っていたのか。