2011-10-01から1ヶ月間の記事一覧

●見たくないものを無理やり見せられるような悪夢で夜中の中途半端な時間に目が覚めてしまって、それから眠れなくなったので、かなり前に買ったけどまだ観ていなかった『蜂の旅人』(アンゲロプロス)のDVDを観はじめたら、自分でもびっくりするくらい引き込ま…

●お知らせ。11月5日に、日本女子大学の近藤光博さんがやっている中沢新一についての勉強会(「中沢新一は何を云っているのか?---『フィロソフィア・ヤポ二カ』を通じて」)に参加させていただくことになりました。ぼくにとって中沢新一への関心は、ラトゥール…

●『輪るピングドラム』第16話。 ●これぞ幾原ワールドという感じ。でも、脚本も演出も別の人みたいだから、幾原オマージュということかもしれないが。フグ刺しで頬を膨らませた夏芽の顔を見てチュチュを思い出さなかった「ウテナ」ファンがいるだろうか。 ●夢…

●『フィロソフィア・ヤポ二カ』第一部のつづき。 中沢新一は、個が種の否定であるということは、連続性としての種が個によって切断されるということで、連続性を切断する「刃」である(平面であり点である)個は、本質において「空間性をもたない」(と田邊が言…

●朝、とても冷えた。 ●『フィロソフィア・ヤポ二カ』で、個を媒介とすることで、種が類へと飛躍するというところの論理的な構成はとても難しくて、改めて読み返してみてもよく掴めないところがあるのだが、これはつまり、出発点としてはローカルな地域主義、…

●『フィロソフィア・ヤポ二カ』(中沢新一)の第一部においては、種から個が発生する様を、オーストラリアのフクロネズミの神話分析と生物学的な原腸形成という二つのやり方で例示している。おそらく理論的には、後者が重要であると思われるが、前者の部分で見…

●展示などでばたばたして中断していた『フィロソフィア・ヤポ二カ』(中沢新一)のつづきを読み始める。第一部、種の論理までを読んだ。 この本はいろんな意味でガチな本という気がする。論理的にガチということは勿論だけど、もっと世俗的な次元で、例えば、…

●夢のなかで、ギターを弾きながら何度も何度も繰り返してYMOの「CUE」を唄っていた。唄っているというより、自分なりのギターアレンジをつくろうとしているようだった。ギターは、実際にはまったく弾けないどころか触ったことすらないし、今までこういう感じ…

●『輪るピングドラム』15話。桃果登場。そして彼女は世界の乗り換え(『シュタンインズゲート』で言えば世界線の移動)が可能である人物であることが明かされる(これは「東京スカイメトロ」の衝撃とつながるものだ)。一つ矛盾があるとすれば、時籠だけが何故、…

●『輪るピングドラム』15話(とうとう桃果登場!)の、なんと衝撃的なことか。こちらの予想を、それをあざ笑うかのようにはるかに上回る形で裏切ってくる。ちょっと『シュタインズゲート』に近い話になってきてはいるけど。新しいオープニングもすばらしい。 …

●青梅市立美術館に搬入、展示。「ぜひ、観に来てください」と自信をもって言える展示になったと思う。なので、ぜひ、観に来てください。 「青梅は遠いけどいいところなので、一日かけて遊ぶつもりで…」みたいなことは実はぼくはあまり言いたくなくて、「オレ…

●いろいろ準備でばたばたする。いくら直前まで制作していたからといって、搬入の前日まで他に何の準備もしていないっていうのはありえないだろう、と我ながら思う(もともとそういう傾向はあったけど、どんどんひどくなる気がする)。事務局からのメールの返事…

●制作中の作品が、また反時計回りに九十度回転した。縦長の作品だから、今度は横に倒れたという感じ。あんまりこれに頼って癖みたいにしちゃうのは良くないと思うのだが、なぜか左に倒すと絵が動く。 ●とはいえ、これでとにかく作品は出来た。22日から展示が…

●昨日読んだ「初期クイーン論」(法月綸太郎)で一つ納得できなかったのが、「双生児の決定不能性」を「図と地の決定不能性」として捉えているところだった。いや、そうじゃなくて、双生児(双数性)の問題を決定不能性として捉えるのは違うのではないか、という…

●『隻眼の少女』(麻耶雄嵩)が面白かったので法月綸太郎の「初期クイーン論」(「現代思想」95年2月号所収)を読み返してみた。 (以下には、『隻眼の少女』の、直接的ではないけど、ほとんどネタバレに近いことが書かれると思います。) 《(…)『ギリシャ棺の謎』…

●ゴッホがもし、弱度の色覚異常だったと仮定すると(そうであった可能性があると言われているらしい)、ゴッホには自分の描いた絵がこのように見えていた(ゴッホはこのようなものとして絵を描いていた)はずだ、というシミュレーションをしている記事をみつけた…

●『隻眼の少女』(麻耶雄嵩)。これは面白かった。麻耶雄嵩は、つづけて読んでいると段々うんざりしてくるのだが、またしばらく時間が経つと、気になって、読みたくなってくる作家だ。 すべて読んでいるわけではないけど、初期作品の濃さに比べるとそれ以降の…

●『輪るピングドラム』第14話。ここで時籠が…。もう、本当に展開が読めない。とはいえ、全体の構図のようなものがまた少しみえてきたように思う。「ピングドラム」の世界は「ウテナ」の世界よりもずっと複雑になっているから、両者を簡単に対照して済ませる…

●国分寺のギャラリー・スイッチポイントで井上実展。 http://www.switch-point.com/2011/1119inoue.html あきらかにこの一、二年くらいで井上実は、これまで自分を縛っていたタガのようなものの一つを外したと言える。その感じは、去年のぼくの個展のイベン…

●『ラカン派精神分析の治療論』(赤坂和哉)によればラカンの前期、中期、後期の分析は次のようにまとめられる。 前期の分析は、父の名によって保障される大文字の他者(象徴的なもの)へと分析主体が導かれることを目的とする。ここで無意識は(歴史や世代によっ…

●制作。パネル+油絵具の作品のつづき。紙でも布でもない「板」に絵の具をのせてゆく時の違和感は、ぼくを少しだけ絵画的な手癖(目癖)から離れさせてくれるように感じる(絵画的手癖を「否定する」のではなく…)。 ●「日本の古本屋」で買った『フィロソフィア・…

●ひきつづき制作。合板パネルに直接油絵具をのせるということをやってみる。一応、マットメディウムで目止めはしてあるけど、油染みがどの程度出てしまうのかとか、そういうことはやってみないと分からない。 ●「形」は、画面上の様々な力や動きの折衝の結果…

●今日はずっと、ピンチョンの『競売ナンバー49の叫び』の新しく出た訳のやつを読んでいた。 ●だがもう一方で、一昨日の『輪るピングドラム』の東京スカイメトロの衝撃がじわじわきている。 「ピングドラム」の背景世界は最初、荻窪とか池袋とかのリアルな再…

●久々につくっていて手応えを感じられたタブローが一点できた。いままで縛られていたものから、なんかちょっと解放された感じの作品になった気がする。 それは多分、制作の途中で、キャンバスが左に90度傾いたことと関係がある。左右が途中で上下に変換され…

●『輪るピングドラム』第13話。うちには録画装置がないので振り返って確認できないのだが、たしか1話で冠葉によって語られていた「運命」についての語り(運命が嫌いだ)が、今度は晶馬によって改めて反復される。そして陽毬の二度目の復活(プリンセス・オブ・…

●以下は、10月3日と6日に撮った写真。昨日と今日とでアップした写真で表現しようとしていることは、ほとんど一言で要約できる。「いい天気!!」 ●「いい天気」の時は、こちらから何かを見ようとしなくても、向こうの方からさまざまなものがこちらの目や頭の…

●一日、がっつり制作。絵が大きく動いた日。物理的にも、キャンバスが反時計回りに90度回転した。今まで、制作中に作品の天地が逆転したことはあったけど、こういうのははじめて(雑誌に小さな図版が掲載された時に、縦長の作品なのに横に倒して、横長の作品…

●昨日、今日と、朝晩は冷えたけど昼間はすばらしく良い天気で、たっぷりと散歩が出来た。そのおかげで、とても久しぶりに制作がすすんだ。やはりぼくは、散歩してないと絵が描けないのだと思った。 ●以下の写真は、九月の後半に撮ったもの。

●写真を撮る時に重要なのは、フレームへの感覚、光への感覚、距離への感覚なんじゃないかと思う。それぞれは絡み合って関係していて、個々に切り離せるということではないのだが。 ぼく自身のことを考えると、距離の感覚が弱いように思う。同じ場所で何枚も…

●夢のなかで目が覚めると、乱雑に散らかった部屋のなかに見慣れない札入れが落ちていた。踊り場を挟んだ隣の部屋は法事らしく、和尚のお経が聞こえてきている(実際に住んでいるアパートではなく、公団住宅の三階くらいの感じ)。財布はやけに安っぽいつくりで…