●『輪るピングドラム』第14話。ここで時籠が…。もう、本当に展開が読めない。とはいえ、全体の構図のようなものがまた少しみえてきたように思う。「ピングドラム」の世界は「ウテナ」の世界よりもずっと複雑になっているから、両者を簡単に対照して済ませるわけにはいかないのだが、しかし、今回を観て、苹果はウテナなんだと確信することができた(また外されるかもしれないけど)。つまり、シリーズを通したヒロインは苹果なんだろうな、と。そして、まだ眠りつづけている陽毬はアンシーなんだろうな、と。
●苹果は、自分自身を自分で縛っていたというレベルでの「運命」からはその並外れた行動力によって逃れられたけど、今度は、「運命に縛られた他人」によって外側から規定されるという意味での「運命」に襲われることになる。「事件」に捕らわれた晶馬に拒絶され、「桃果」に捕らわれた時籠に再び「桃果」であることを要求される。自ら進んで桃果であろうとした「苹果→多蕗」という関係(苹果の能動)は、他者から(他者の視線によって)桃果であることを強要される「時籠→苹果」という関係(苹果の受動)に反転する。この反転が見事だ。苹果は、みずからの欲望によって世界の網の目を構成する者から、他者が構成する欲望の網の目の一項にすぎないものとなる。
●地下に住むサネトシが根室記念館の天才少年だとすると、高いところに住む時籠が暁生だったわけだ。「ウテナ」では、地下(記憶)深くに沈降する第二部と、過去をふり切るかのようにハイウェイを疾走する第三部とに分かれていたものが、「ピングドラム」では同時に並行してあらわれている。過去-地下に捕らわれた姫である陽毬-アンシーと、ハイウェイを疾走し、新たな罠へと誘惑される苹果-ウテナ。トラウマによって、女性であることを抑圧して「王子様」であろうとしたウテナに、暁生はその抑圧を解いて新たな「性(快楽)」という次元をもたらしたのだが、同時に、その新たな次元によって新たな罠へと絡め取ろうとした。つまり、ハイウェイの疾走によってもたらされる過去(運命・トラウマ)からの離脱(大人の諦観・退廃)は偽物なのだ。だが、かつて王子であった、零落した王子(大人の男性)である暁生は、ウテナにとって、そこを通らないわけにはいかない最大の難関だった。ウテナは、大人になる(性的なもの、快楽、世俗的なものを受け入れる)と同時に大人にならない(王子様でありつづける、気高くありつづける)ということを実現しなければならない。だが「ウテナ」では、それはあくまでウテナ自身の問題であった。しかし「ピングドラム」の苹果にとって、それを自分自身の問題に解消することはできない。「ピングドラム」の世界は、より立体的、多層的、複数的に構成されているから。「運命」はトラウマではなく、私よりも前に、多数の視線の交錯として既に構成されてしまっている。
●「ウテナ」では、鳳学園の決闘システムが、既に大人によってつくられていたシステムであり、暁生は一般的な「大人の男性(体制)」の象徴のようなものであり、つまりそれはあくまで抽象的、図式的なものだったのだが、「ピングドラム」ではその構図がより具体的に、世代の違いとして立体化されている。
事件を起こした(運命を決めてしまった)父や母の世代があり、桃果と直接的に関係があった(事件前と事件後という二つの世界をもつ)多蕗や時籠という運命に翻弄された先行世代があり、事件の後(事件と同時に)生まれた、自分たちとは無関係な運命に規定されてしまっている世代(苹果、陽毬、晶馬、冠葉、あと夏芽の年齢がよく分からないのだが…)がある。一方に、「事件」という運命に規定されている陽毬、晶馬、冠葉という人物たちがいて、もう一方に、事件よりむしろ「桃果」という人物の存在(の消滅)に強く規定されているらしい時籠や多蕗がいるとすれば、苹果は(もともと後者だったが晶馬と深くかかわることで)その両者の「運命」に「外側から」強く再規定されてしまうことになる。苹果は、自分自身で自分を救うだけでは足りなくなってしまった。
今までの苹果が、自らの目的のための手段として多蕗をみていたように、今度は、時籠が、自らの目的(欲望)のための手段として、苹果をみている。見るものは見られ、見られる者もまた見る。そのような、それぞれ異なる目的(異なる切実さ)をもつ複数の視線による複雑な相互関係として「ピングドラム」の世界(運命)は成り立っている。ここから、苹果のさらなる困難がはじまる、のだろう。
●だが、苹果がウテナだとしたら、冠葉はカンパネルラであるはずで、こちらの軸も忘れることはできない。「ピングドラム」では常に複数の軸が交錯する。そして冠葉は未だ、陽毬と同様に物語の潜在的な次元にいる。だから、何でもかんでも「ウテナ」との対照で考えるのは意味がないだろう。
●陽毬のうずき。陽毬がダブルHに対する複雑な感情をはじめてあらわにした。これは目覚めの予兆なのか。この場面でのサネトシの挑発はすばらしい。
●東京スカイメトロの出現以来、群衆シーンや風景描写の見え方がまったく変わってしまった。苹果が晶馬を待ち伏せする場面での、背景の群衆の異様さ。イーガンの『順列都市』に出てくるコンピューター内の世界みたいな感触なのだが、しかしそれこそがリアルで、こっち側こそが嘘みたいな。
●またしても睡眠薬が…。苹果、夏芽、時籠と、「ピングドラム」の女たちは薬によって人を眠らせる(サネトシは薬で陽毬を目覚めさせる)。多蕗に睡眠薬と惚れ薬を使った苹果が、今度は時籠に眠らされる。ここにも能動と受動の逆転がある。
●夏芽はマリオのことを「マリオさん」と呼ぶ。この二人の関係がよく分からない。