●五月(半年前)に生まれた弟夫婦の子供にはじめて会いに行った。
●昨日の日記で書き忘れたのだが、『輪るピングドラム』で今まで主に垂直方向の動き(上昇、下降、落下)によって特徴づけられていた陽毬に、高倉家の隣の空地を横断するという水平方向の運動によって「覚醒」がもたらされたこと(水平性をことさら強調するかのように、謎の大きな玉がごろごろ転がっていた)は、「ピングドラム」という作品のフォルムにとってとても重要な出来事なのではないだろうか。記憶の奥深くへ沈んでゆくという感じではなく、家の換気扇→転がる大きな玉→より大きな換気扇→こどもブロイラーの換気扇→晶馬のもつリンゴ、という水平的な連鎖(連想)が過去を呼びおこす。目覚めは、上昇や下降によってではなく、横滑りによってもたらされた。
●高いところに住む(住んでいた)時籠や多蕗、父の塔に縛られる時籠、祖父の高いビル(会社)に捕らわれる夏芽、陽毬を高いところに連れ出し、落下させようとする多蕗など、「ピングドラム」で「高さ」は、空虚や虚栄、そこから逃れるべき何か(束縛)としてある。そして、地下深くにはサネトシが潜んでいるし、16年前の地下鉄の事件などもあり、おそらく深さは「悪」や「邪な何か」をあらわしているようだ。だがここで陽毬の覚醒の水平性が示すのは、そのような高さ/低さという問題は「偽の問題」であり、そこにひっかかってはいけないということなのではないか。
ここまでで最も突出したキャラクターである苹果は、垂直方向への運動に対しては無力であった(日記の落下、自身の水没、多蕗に連れられた陽毬の上昇と落下)。だが無力さとはそのまま無関心さでもあり、彼女はそれによって偽の問題から自由なのだ。そして事件以後の新たな「地下鉄」は、地下にありながら宙吊りにされており、いわば「高さ/低さ」という対立を無化するような水平運動としてある(スカイ-メトロ)。宙に浮いたような改札口と駅名を示す看板以外は、地下鉄車内へと至る経路が示されないことも、地下鉄の運動が、高さをもたない(高くも低くもない)純粋な水平運動であることを示すのではないか。
●だがピングドラムにはもう一つの動きがある。プリンセス・オブ・クリスタルは階段を下る。あるいは苹果はその階段を逆に駆け上る。イリュージョン空間では、上る/下るというベクトルはもちながらも垂直運動とは異なる「斜めの運動」が行われる。プリンセス・オブ・クリスタルは、一枚一枚服を脱ぎ捨てながら、一段一段階段を下って、冠葉のもとへと至る。これは上昇とも下降とも異なる「接近」である、とは言えないだろうか。垂直運動を水平運動へと媒介し、水平運動を垂直運動へと媒介することで、垂直と水平の違いを越境し、斜めの動きとしての「接近」を可能にするイリュージョン空間の階段(そういえば、苹果と晶馬との決定的な接近は、時籠の高層マンションの非常階段で起こったのだった)。
●そういえば、苹果が多蕗に惚れ薬を飲ませたのは観覧車の中ではなかっただろうか。換気扇と同様、観覧車の動き(回転)もまた、斜めとは異なるが水平でも垂直でもない運動だろう。「輪る観覧車」、そして、陽毬を覚醒させる「輪る換気扇」。だけど「ピングドラム」では、例えばオープニングなどで回転(循環)運動が二つの矢印によって示されていることが重要ではないかと思う(ペットボトルのリサイクルマークみたいに三つの矢印だと安定してしまう)。
二つの矢印で示されることで、回転運動が、上り方向の斜めの運動と下り方向の斜めの運動という二つの動きへと分離され(このことは新しいオープニングではっきり示されている)、つまり回転運動と斜めの運動が媒介(接合)される。回転運動と媒介されることで、斜めの運動における「上り」と「下り」が反対方向への動きであると同時に連続的であることになり(この点で「斜め」の運動が垂直運動とも水平運動とも異なることがはっきりする)、つまり上下(左右)という方向が循環的につながり本質的には違いがないこと、しかし同時に、互いに反転(逆転)的な関係にはあることが示される。新しいオープニングで、陽毬、冠葉、晶馬の三人が、上半身と下半身が分離されて異なる方向へ走っているイメージは、この事の具体化されたイメージであろう。
循環運動が二つに分離する(斜め運動に接合される)ことで、同一平面上のイメージが分裂すると同時に、他の階層(レベル)にあるイメージとの「接近」、「接合」が可能となる。これが例えば、プリンセス・オブ・クリスタルと冠葉の間で行われる生存戦略としての「交接」なのではないだろうか。プリンセス(メタレベル)は、陽毬の身体(オブジェクトレベル)を媒介として冠葉と交わり、冠葉は、陽毬の身体(オブジェクトレベル)であるプリンセス(メタレベル)と交わることで、異なる階層を結びつける媒介となり、冠葉自身は、半ばメタへ、半ばオブジェクトへと、自己の分裂を強いられる。