2001-11-01から1ヶ月間の記事一覧
何という名前の木か知らないけど、オレンジ色から朱色にきれいに染まった葉っぱが落ちもせずに枝じゅうにびっしりとついていて、ちょうど向こう側の空に照っている太陽の光 がそれらの葉に射していて、葉の裏側からあたっている光が葉を通過してこちら側まで…
(補遺、京都芸術センターの「岡崎乾二郎・岡田修二」展についての。) 展示されていた岡崎氏の4点の彫刻作品のうち、3点まではセラミックによるものだったのだが、1点だけ石膏の作品があった。このことについて、少し深読みしてみたい。セラミックというのは…
テレビをつけたら中森明菜が出ていて、子供の頃ドナ・サマーが大好きだったと言っていたのでへえーっとか思ったのだった。中森明菜はぼくと2つ3つしか違わないいと思うのだけど、何か1世代違うという感じなのだろうか、と思ったりするのだが、でも、実は小…
(つづき、京都芸術センターの「岡崎乾二郎・岡田修二」展について。) ●岡崎氏の彫刻について。展示されていた、リテラルに見れば大きな「うんち」のように見える4点の彫刻作品は、全て、2つの部分に分けられる基本的な要素(2つのマッス)が、ねじれをくわえ…
(昨日からのつづき、京都芸術センターの「岡崎乾二郎・岡田修二」展について。) 岡崎氏の絵画作品の構造は、そのタイトルによってある程度は示されている。例えば、今回展示されている作品中で最もシンプルなタイトルは、3つの文によって構成されている。『…
●14日に、京都芸術センターの「岡崎乾二郎・岡田修二」展を観てきた。 ●先日、友人(画家)と話をしていて、松浦寿夫の作品の話になり、松浦氏の作品を印刷された図版でしか観たことがないという友人が、図版で観ると結構いいように見えるんだけどどうなの、と…
●多少なりとも評価できる「質」をもっていると思われた作品について、書いてみる。 ●まずピピロッティ・リストの作品。薄暗く設定された部屋のなかを、上から垂らされた微妙に織りの異なる数種類の半透明のレースの布によって複雑に折り重なるように仕切って…
●空白の3日間は、弟の結婚式に主席するために実家に帰っていた。10日、ちょうど帰り道の途中に位置しているので、寄り道して横浜トリエンナーレを観た。寄り道とはいっても、そのために朝早く起きて、開始早々の午前10時頃から、午後4時過ぎまで、たっぷりと…
朝から冷たい雨になる。随分と寒くなった。毎年、今頃の季節になると、何故か無性にアイスクリームが食べたくなる。駅前のスーパーと、電話料金を支払うための近くのコンビニと、延滞ビデオの返却へ行ったほかは、(雨に閉じ込められたみたいに)ほとんど部屋…
●上野の森美術館で「MOMA」展。 ●やはりマティスは圧巻だった。図版などで知っている作品ばかりだとはいえ、改めて観てみると、少なからぬショックを受けた。有名な「ダンス」の第1作が傑作であることは言うまでもないのだが、今回改めて感じたのは、か…
(昨日からのつづき) コーリン・ロウは有名な『透明性・虚と実』において、透明性を、実の(リテラルな)透明性と虚の(フェノメナルな)透明性に分けている。(この論文は、基本的にコルビュジェについて書かれたものなのだ、「透明性」につい説明するために、セ…
「作品」というものに対する時の態度として、二つの態度の対立という古くさい図式がある。作品を、完成されたものとしてみるのか、それとも、それが生成しつつある時のプロセスを重視するのか、という対立だ。あくまで作品の完成度を重視する古典的な作品に…
中庭にある卵型の小さな人工の池。深さが20センチほどしかないこの池には、晴れた日射しが当っていて、底に敷いてあるタイルの模様までが薄い水の透明な層を通過した光でくっきりと照らされて見えている。まわりに立っている木の葉が落ちて水面に浮かび、そ…
95年に出た『批評空間』の別冊「モダニズムのハード・コア」の冒頭に載っている座談会に、現代の美術の状況を的確に現した発言があったので引用する。例によって岡崎乾二郎の発言。 《つまり内容規定のないことが芸術の自由だということで、その証明のために…
晴れた空にひこうき雲が幾く筋もはしる。くっきりとしているものや、すこしバラけ気味のもの。パラパラと音をたてて飛んでゆくヘリコプター。ややくすんだ、不透明な感じのする水色の空を背景に、黄金色の葉っぱが、花火が散るように(重ならないで隙間をもっ…