2007-08-01から1ヶ月間の記事一覧
●ほぼ、八月いっぱいかけて書いていた作家論を、八月最後の日にようやく書き上げることが出来た。と、書いて「書き上げる」という言葉の使い方が正しいのかちょっと不安になる。完成した、というのではなく、とりあえず最後まで書けた(辿り着けた)、というこ…
●『デビッド・リンチのホテル・ルーム』をビデオで。テレビドラマとして製作された三話からなるオムニバス。三話中二話(一話目と三話目)をリンチが監督している。リンチが監督しているパートは、バリー・ギフォードが脚本を書いている。これを観ると、リンチ…
●一週間ぶりくらいに電車に乗った。最近は、ほとんど徒歩圏内のみで生活している気がする。新宿で打ち合わせの後、京橋で大学時代の友人の展覧会を観る。 ●京橋のギャラリー山口で及川聡子展。及川さんの作品は学生の頃から観ているけど、ずっと、いわゆる「…
●『Dolls』(北野武)をDVDで。ツタヤで半額レンタルをやっていたから借りてみたものの、観ないまま返すことになるかも、と思っていたのだけど、眠れなかったので観た。 予想以上に良くなかった。最初の方の、西島秀俊の結婚式のあたりなど、ワイドショーの再…
●夜中に目を覚まして、冷蔵庫のスポーツドリンクをコップに注ぎ、それに口をつけながら窓を少し開けると、秋を感じさせる虫の声と、隣の部屋でフル稼働しているらしいエアコンの室外機の唸る音とが、部屋のなかにはいりこんでくる。
●テレビをつけたら、野際陽子と国生さゆりが比叡山を訪ねるという番組をやっていて、それをぼんやり眺めながら、荒川修作のことを思い出した。荒川修作がやりたいのは、要するに比叡山のようなものをつくるということなのだろう。だから、養老宿命反転地のよ…
●『近松物語』(溝口健二)をDVDで。この映画が凄いのは当然なんだけど、やはり凄い。何が凄いといって、長谷川一夫と香川京子が、まわりのことなどどうでもよくなって、ただひたすら互いを求め合うというか、まさぐり合うことしか頭になくなってしまう後半が…
●『僕を殺した女』(北川歩実)を読んだ。頭の良い中学生が書いたような小説。面白いんだけど、面白くない。ロジックは、複雑に、緊密に、張り巡らされているけど、それを支える文章や細部が、驚く程にチャチで薄っぺらなのだ。「人間が描けていない」とかいう…
●原稿は60枚を超えた。この調子だと、規定の枚数の倍(80枚)でも納まるかどうか分らなくなってきた。 ●ぼくは昨日の日記で、文化的な権威について書いたけど、もはやそんなものに期待しないで、そんなものは「ない」ものとしてやっていこうとする人も、今の若…
●歴史的にみると、どんな王道をゆくようにみえる巨匠でも、その人物が実際に現役として作品をつくっていた時には、決して安定した文脈のなかで自らの作品の正統性を保証されて作品をつくっていたわけではなく、他にも大勢居る作家の一人として、事前に確定さ…
●暑さのせいか、何の前兆もなく、デジカメが壊れた。電源をいれてもディスプレイが真っ黒なまま。 ●引用、メモ。『精神分析と現実界』(立木庸介)、第五章「夢と覚醒のあいだ」より ●《ところで、いま私たちが述べた相関関係、つまり、対応する表象を持たない…
●今、どんな映画がかかっていて、どんな展覧会が行われているのかの情報を全然知らない。本屋にも立ち寄っていない。(近所の古本屋を除く。)いろいろと見たいものを見逃してしまっているように思うのだけど、今はちょっと、書いている原稿の先行きが見えない…
●最近、毎日律儀に、まるで出勤するみたいに、肩にずっしりと食い込む重さの本とノートパソコンとを鞄に詰めて出かけ、駅前の喫茶店まで行き、さらに何軒かはしごして、本を読んだり、書き物をしたりしている。とはいえ、文化的に貧しい地域に住んでいるので…
●ルノアールの『フレンチ・カンカン』をビデオで。この映画を観る度に思うのだが、ラストちかくで、様々な困難の末にようやく念願のフレンチ・カンカンの上演にこぎつけたジャン・ギャバンが、しかしそのステージをまったく観ようとはせず、舞台の袖にすらい…
●『マイ・ボディガード』(トニー・スコット)をDVDで。最近のトニー・スコットの情報操作的な作風(コマ落とし、時間的なズレや反復の強調、視点の過剰な移動、退色などのノイズ的効果、パノラマ的な風景提示、等々)は、ある独自のグルーブ感や感覚の強烈さを…
●今、ある小説家についての作家論を書いていて、そのための資料として、『「超」整理術』(野口悠紀雄)を、(古本屋で百円で売っていたので、買って)パラパラと読んでみた。(これだけで、「誰」について書いているのか、分かる人には分かってしまうと思うけど…
●『ネオリベラリズムの精神分析』(樫村愛子)。もう本屋に並んでいるのか、まだなのかは知らないけど、著者から送っていただいたので読んだ。まだ一度通して読んだだけなのだけど、大変な力作だと思った。タイトルは、新書であることを考慮してわかりやすいも…
●ルノアールの『河』をDVDで。ルノアールがすごいのは、どれを観てもルノアールの映画以外のなにものでもないのに、それぞれ一本、一本が、その都度みんな違う作品になっていることだ。『ゲームの規則』と『黄金の馬車』は違うし、『河』と『フレンチ・カン…
●「x-knowledge HOME」という雑誌のNo.9「20世紀建築の巨匠」を、編集の方から送っていただいた。そこに岡田利規のインタビューが載っていて、気になった点が二つあった。一つは、ぼくが普段感じているようなことを、凄くシャープに代弁してくれているようで…
●『ゴダールのマリア』をビデオで。この映画は、ミリアム・ルーセルのまるい顔(ことさらまるい、その目玉)の印象から、バスケットボール、月や太陽、まるい照明、まるい膝頭、まるい乳房、そして妊婦のまるい腹部へ、という、安易な連想によって着想されたの…
●DVDで『叫』(黒沢清)を観直して、この作品がいかに黒沢清にとって必然的なものなのかを改めて思った。例えば『回路』で、黒沢清は「幽霊に触る」ことにこだわっていた。『回路』では、人が、廃工場の上から飛び降りて、地面にまで達するところがワンカット…
●じめじめと暑い夜に、アルコールの溜まった重い胃のまま眠りについた時に見る、濃い塊のような夢は、汗だくになって沼から這い上がったような感じで目覚めた後では、その強烈さの余韻が残るばかりで、その映像の断片すらも、自分に対して再現することが出来…
●例えば「ピカソのようなわけのわからない絵」と人が言う時、それはたんなる慣用的な表現で、その人は実際に「ゲルニカ」だったり「アヴィニョンの娘たち」だったりをイメージして言っているわけではないだろう。(というかそもそも、具体的にピカソの作品を…
●印象的な夢を観て目が覚め、しばらくはその夢の雰囲気のなかに留まっていたとしても、起きてしばらくすればその感触はすっかり消えてしまう。もし、それを憶えていたければ、その感触がまだ残っているうちに、夢を言葉にするなり、絵や図にするなりして、そ…
●『デジャヴ』(トニー・スコット)をDVDで。なるほど、という感じ。確かに、この映画の中盤で起こっていることは、ちょっと凄いことだとは思う。でも、全体としては、それほど面白くはない。最近のトニー・スコットを、なんでそんなに多くの人が褒めるのか、…
●四日にあった平倉圭のレクチャーでは、似ている、ということが同一性の保証にはならない、という話があった。ほとんどそっくりな二つの顔を、われわれは見間違うし、あるいは、同一人物の顔を、別人だと思うかもしれない。その同一性を保証するのは、名前で…
●夕方になって雷の音が響き、やがて雨が落ちる音が聞こえた。遠くで響く、光りと大きくズレた雷の音。暮れて暗くなるのとは違った、急速な暗さ。傘をさして買い物に出かけると、急な雷と雨のせいか、途中までまったく人とすれ違わない。不穏な暗さの、人の気…
●四谷アート・ステュディウムに平倉圭のレクチャーを聞きに(観に)行く。(脱-知覚的不確実性/映画と「顔面」の現在)とても面白かった。特に、ゴダールに関しては、ここまでの明解な分析は、ぼくは他には知らない。そこまでやるのか、というくらいの細かな分析…
●言葉を、それを話した(それを書いた)人から切り離して、その意味や構造を探ってみても、それは大して面白いことにはならないんじゃないだろうか。問題なのは、その文はどのような意味をもつか、それは真なのか偽なのか、ということではなく、なぜ(どのよう…
●『甲野善紀身体操作術』(藤井謙二郎)をDVDで観た。ここで甲野氏は、「運命は全て決まっていると同時に自由である」というようなことを述べている。この二律背反的な言葉はそれ自体としてはありふれているが、この、ありふれている言葉が、甲野氏にはあると…