ギャラリー山口で及川聡子展

●一週間ぶりくらいに電車に乗った。最近は、ほとんど徒歩圏内のみで生活している気がする。新宿で打ち合わせの後、京橋で大学時代の友人の展覧会を観る。
●京橋のギャラリー山口で及川聡子展。及川さんの作品は学生の頃から観ているけど、ずっと、いわゆる「日本画」という枠のなかで仕事をしている人だ。ぼくの通っていた大学には「日本画科」というものがない。つまり、日本画の専門的な技術を習得するカリキュラムもなければ、日本画壇へのコネクションもない。そのような場にいて、あえて(ぼくなどからみればとても閉鎖的な徒弟制度に縛られているようにみえる)「日本画」という枠のなかに入ってゆこうとするというのはどういうことなのか、ぼくには正直よく分らない感じがあったし、その違和感は今でもある。ただ、及川さんにとってそれが何かしらの必然性のあることなのだろうということは、分らないなりに感じられるところはあった。(例えば、今や日本画的な手法は現代絵画のなかでひとつの大きな売れ線のトレンドとしてあり、村上隆から山口晃松井冬子などに至るまで大流行りなのだが、及川さんが指向しているのはそのような文脈指向的な分り易い「技法(ネタ)」としての日本画ではなく、もっとベタな意味での日本画なのだと思う。)
一方で、及川さんの作品がそのような指向性をもつことの必然性を感じながらも、でも、やっぱりそれって、あまりにベタに「日本画」的過ぎるんじゃないだろうか、「日本画」であることの枠に縛られ過ぎているんじゃないだろうか、という疑問も、同時に常にあった。ぶっちゃけた言い方をすれば、ちょっとそれって苦しいんじゃないの、とか、ちょっと無理に自分を枠にはめてるんじゃないの、という感じだ。(作家の主観としては決して無理などしてはいないのだろうけど、観ている方としては無理しているように見えてしまう、というのか。)
しかし、今回展示されている作品は、ひょうし抜けするくらいに、すんなりと見えるというか、すんなりと受け入れられるような作品なので驚いた。素朴な言い方だけど、すごく素直に自分を(作家としての自分の資質を)受け入れているというか、自分と自分の作品との関係に無理がないというか、ああ、この作家はこういうことがやりたいのだなあ、ということが余計な介在物や粉飾や言い訳抜きにすっきりとみえてくるのだった。「素直に自分を受け入れる」なんて、頭の悪いJ-POPの歌詞みたいな言い方だけど、そうとしか言いようのない作品はあるのだし、それは決して簡単に出来ることじゃなくて、何かひとつ突き抜けることによってしか可能ではないのだと思う。