2024/04/15

⚫︎ポアンカレによる「n次元の連続体は、それを切断することで得られる複数のn-1次元の連続体によって定義できる」とする定義を受けて、デュシャンは、n-1次元としての3次元によって切断された、n次元である4次元の断面(3次元)について、それを4次元の連続体の「仮想的イメージ」と呼ぶことの正当性を主張する。

さらにデュシャンは、「ホワイトボックス」の別のところで次のように述べている。

(チョコレート製の物体のような空間の物体においては)表面への出現があるが、この出現はこの物体の製造に役立つらしい一種の映像=鏡のようなもの、鋳型のようなものである。しかし形のこのような鋳型はそれ自体で物体ではなく、それはn次元のこの物体の主要な点がn-1次元に現れる映像である。三次元の外観は、その外観(の形)の鋳型である二次元の出現から生じる。

何ものかの出現は、事物そのものの出現ではなく、n次元にある事物が、n-1次元にその鋳型(=映像=鏡像)として出現している、とする。ここで、鋳型が、映像や鏡と同様なものとされていることは重要だ。n-1次元に出現するものが「鋳型」なのであれば、その鋳型によって、n次元にある事物が生じるということになるが、それが「映像」や「鏡像」なのだとすると、n-1次元の出現は、n次元の事物の反映ということになる。鋳型と映像とが並べられているのは、これが双方向に働くことを表しているのだろう。

(とはいえ、「鋳型」のよって生じるn次元の事物は、鋳型を介している時点で既にオリジナルではないことになるが。)

そしてn-1次元に出現する、この鋳型・映像・鏡が、n次元の「仮想的イメージ」ということになる。

三次元の物体は、二次元の「鋳型(=映像・鏡)」の出現から生じる。同様に、四次元の物体は、三次元の「鋳型(=映像・鏡)」の出現から生じる。これを逆向きに見ると、この世界(三次元)の物体は、四次元の物体の「映像・鏡(=鋳型)」である、となる。深さのないモノの表面こそが、高次元を仮想的に表現している、と。

⚫︎四次元を説明する、とても素晴らしい動画を見つけた。これはわかりやすい。

Visualizing 4D Geometry - A Journey Into the 4th Dimension [Part 2] - YouTube