2024/04/22

⚫︎「熟議」という考え方に根本的な不信感がある。ケンカにおいて、生まれつき体が強い奴が勝つのと同様に、「議論」においては、生まれつき頭の良い奴が勝つ。どちらにしても、形の異なる暴力ではないか。だから、集団の意思決定が民主的であるべきだとすれば「熟議」は適当ではないとぼくは思う。その時に必要なのは集合知だろう。

例えば、資本主義が共産主義よりも優れているとすれば、それは、いろんな人たちが、それぞれ勝手に、いろいろ試してみて、その多くは失敗するが、その中でたまたまうまく行ったものが成長し、拡大していくか、あるいは、拡大しないで、小さな領域であっても、定着し、持続可能となる、という形になっているからだろう(成功が千に三つだとしても、成功したものが良いものであれば、それは引き継がれ、世界は変わる)。共産主義においては、一部のエリートが最適だとする解を最初に定める。それは最悪ではないかもしれないが、最良でもないものになるしかない(そして、権力が集中するエリートは、必ず腐敗する)。

集合知は、議論でもないし単純な多数決でもない。それを引き出すには、引き出すための上手い手法やプロセスが必要になる。資本主義は、そのための、ある程度は上手いシステムだから、世界に広がった。ただし、現在ではその矛盾や限界も明らかに見えている。

重要なのは、思想よりも、どのようにしたら集合知を上手く引き出せるプロセスを考えられるのか、ということだと思う(「思想」に意味がないと言っているのではない)。VECTIONが考えているのは、そのようなことだ。

vection.world