⚫︎なぜかいきなりU-NEXTでどーんと14本、トリュフォーの映画の配信が始まった。あと、チャップリンも14本加わった。だが、今は観ている余裕がない。
(目先の必要があって読む以外の本を読む余裕もないし、映画を観るまとまった時間を作るのもむずかいし。どうやってマティスを観に行く時間を作ればいいのか…。)
今回の配信ラインナップにはないが、『トリュフォーの思春期』は、ぼくにとってトラウマ映画の一つだ。小学校低学年と高学年の間くらいの時だったと思うが、地元の映画化に『がんばれベアーズ』を観に行った時の同時上映が、今思えば『トリュフォーの思春期』だった。その時に、何か強烈な、見ては行けないものを見せられたという印象が刻まれたのだが、「それ」がなんという映画なのかずっと分からないままだった(その時は『がんばれベアーズ』にしか興味がなくて、事前には同時上映など意識になく、ショックを受けたあとも確認することもなかった)。ただ、その強いショックの感触というか質感はずっと残っていた。
しばらくして(まだ小学生だったか、中学生になっていたのか…)、昼間だったはずだから日曜か休日だったのだろうと思うが、たまたまテレビをつけたら、既視感のある「質感」が不意にガツンと現れて、「え、これは、あの、あれ、なのでは ? 」と思い、しばらく観続けて、「そうだ、間違いなく、あの、あれ、だ」と確信した。その時にはもう「あの、あれ」が現実だったのか、偽の記憶なのか分からなくなっていた、というか、むしろ、現実ではなかったのではないかという感じの方が強くなっていたから、あれは現実だったのだ、ということが軽いショックでもあったし、(妙な言い方だが)嬉しい感じでもあった。
(調べたら、『トリュフォーの思春期』の日本公開は1976年だから、9歳だったはずだ。微妙な年齢だ。)
というか、ほぼ同じ内容の日記を四年前にも書いていた(書いていて既視感があったので検索したら出てきた)。