2020-06-14

●今月いっぱいで配信が終わってしまうみたいなので、U-NEXTで『ヒッチコック/トリュフォー』(ケント・ジョーンズ)をぼんやりと観ていた。十人もの映画監督にインタビューしていて、それが全員男性だというのはどうなのかと思ったりもするけど(2015年につくられた映画がこんなにベタに---素朴に---シネフィル的でいいのかとも思うけど)、映画を断片的にバラして観ることの独特の面白さというのは、やはりあるなあと思った。

映画を見終わって、本棚から『ヒッチコック映画術トリュフォー』を取り出して(何十年ぶりかに)パラパラ読んだ。下の引用は、映画のなかでインタビューを受けている黒沢清が「悪魔的」と言い、ウェス・アンダーソンが「フレームが完璧」と言っていた『汚名』の《映画史上最も長いキスシーン》について、本のなかでヒッチコック語っている部分。

《じつを言うと、あの長いキス・シーンは俳優たちにとてもいやがられた。ふたりともおたがいにずっとぴったりくっつきあったまま演技しなければならないのが苦痛で耐えられなかったようだ。演りづらいというんだよ。で、わたしは言ってやったよ---「演りづらくてもいいんだ。大事なことは、ただひとつ、スクリーンにどう映えるかなんだ」とね。》

《(…)あの長いキス・シーンは抱きあっているふたりの男女の欲望の昂まりに対応して構想されたものだ。だからこそそのロマンチックなムードを、ドラマチックな調子を、くずさず、断ち切らずに最後までもっていくことが絶対に必要だった。ふたりをひきはなしてしまったら、たちまちすべてのエモーションが失われてしまう。だから、ふたりはおたがいに絶対はなれられない。しかも、そのまま抱きあった姿勢で動いたり演じたりしなければならない。電話が鳴ると、抱きあったままそこまでいって受話器を取り、電話で話している最中もずっとキスしつづける。それからまた、ふたりはそのままの姿勢で愛しあいながらドアのところまでいかなければならない。ふたりがけっしておたがいの身をはなさず、ずっと抱きあっているということが絶対に必要だった。それに、キャメラも、ここでは、観客の身がわりになって、このふたりの長い熱っぽい抱擁に加わる三人目の人物となるべきだとわたしは感じた。(…)》

《ところで、このはげしい愛の心理的昂まり、エモーションを絶対に断ち切ってはならないというアイデアはどこから得たかというと、じつは、数年まえにわたし自身がフランスで目撃したある光景の記憶によるものだ。わたしはブーローニュからパリに向かう列車に乗っていた。エブタルという小さな町をゆっくりと通過するところだった。日曜日の午後だった。車窓から、赤いレンガ造りの大きな工場が見えた。その壁に向かって、若い二人連れが腕を組みあって立っていた。青年は壁に向かっておしっこをしていた。若い娘はその青年の腕をしっかりとつかんだままはなさず、青年のしていることをじっとながめていた。それからわたしたちの列車のほうをふりむき、列車がとおりすぎてしまうと、また青年をじっとながめる、というふうだった。わたしは、そこに、まったく愛の現場そのものを見る思いだった。これこそ、ほんとうの愛の姿だと感じた。》

そして、トリュフォーのコメント。

《ところで、さきほど俳優たちの苦しい姿勢が逆にスクリーンには快く美しくエロティックにすら映えるということについてですが、たとえ俳優たちが監督の意図を理解してくれないで焦立つばかりだとしても、演出上の興味ある問題を提起するものではないかと思います。ふつう、あるシーンを撮る場合、ほとんどの監督がセット全体の文脈のなかで考える、つまり、セットのなかで実際に眼で見た〈らしさ〉の印象を大事にするような気がします。それが構図のなかで、つまりスクリーンのなかで、どんなふうに見えるかという、空間の割合を考えることはめったにないのではないか。わたしは、自分で映画を撮るときや、とくにあなたの映画を見るたびに、そのことを考えるのです。偉大な映画、純粋に映画的な映画というのは、じつは、ワンカット、ワンカットの撮り方がスタッフにもキャストにもまったくばかばかしくみえるところからこそ生まれてくるのではないか…》

《たとえば『汚名』のあの長いキス・シーンがそうですし、『北北西に進路を取れ』の寝台車のなかのケイリー・グラントエヴァ・マリー・セイントのキス・シーンもその典型的な例でしょう。ふたりは壁に寄りかかって、抱きあい、キスしたまま、壁に体をこすりつけるようにして二回転する。スクリーンではそれがまったく完璧で自然にみえるけれど、撮影現場ではじつに不自然なスタイルだったのではありませんか。》

《つまり、映画監督は、ある一定の構図のなかにリアリズムを確立するためには、その周囲の空間がひどく不自然で非現実的になることを見越しておかなければならないということですね。たとえば、ふたりの男女が立ったままキスしているようにみえるクローズアップを撮るためには、じつはふたりをテーブルのうえにのせてひざまずかせなければならないといったような。》