2024/07/20

⚫︎『君たちはどう生きるか』(宮崎駿)についてもう少し。NHKのドキュメンタリーを観ると、この作品全体があたかも大叔父=高畑勲との対決と喪の作業が主題であるかのように思わされてしまうが、実際に観てみると大叔父の存在感はびっくりするほど薄い。宮崎駿が大叔父というキャラクターにどのような感情を込めているのかとは別に、作品の構造としては、大叔父は最後の方にちらっと出てくるだけの人だ。作品にそんなに大きな影響を与えているキャラクターではない。

たとえば「ラピュタ」であれば、不在であるバズーの父は、その「不在」による存在感によって作中でそれなりに強い力を作用させている。しかし、鳥たちが、ただ目の前の欲望(主に食欲)に駆られてワラワラしているような「塔の中」の世界に、誰か特定の人物(大叔父)による強い中央集権的な権力の行使は感じられない。いやそうではなく、権力などではなく、この「塔の中世界」そのものを、大叔父が神のように根本で支えているのだと言われても、取ってつけた理屈のようにしか感じられない(作中に、そのような力の場は成立していない)。

それよりも、たとえば「父」の方が余程、強い存在感がある。父はまったく空疎で、下らないことしか口にしない俗人であるにも関わらず、なぜか非常に大きな現世的な権力と財力を持っており、何より「エロティックな義母」を(言い方は悪いが)占有的に所有している(エロティックな義母は「父の女」なのだ、少年は何度も義母について「父が好きな人です」と言う)。義母に、エロス的に強く魅かれている少年にとって、空疎であるくせに絶大な現世的力を持っている父の方が、大叔父などよりもより切実に対立的・敵対的な対象だろう。「権力を持つ大人の男である父」と「エロティックな年上の女=義母(父の女)」と「思春期の少年(わたし)」という三者の関係における力の作用(抗争)こそが、この作品を動かしている根本的な動力であって、そこには大叔父は、極端に言えばいてもいなくてもいいくらいの存在だ。せいぜい、物語を収束させるために必要な人物、というくらいだろう。

少年は、「父の女=義母」を、父から奪い取るためにこそ、義母を救うために塔のなかに入っていく。父ではなく、自分こそが、「義母を救う」のでなければならない。塔の中での少年の冒険は、それ自体が、義母をめぐる父との戦いでもある。とても古典的な構図だ。

(無理矢理に高畑勲という存在を代入するとすれば、大叔父というより父の位置だろう。あるいは、大叔父は父の影であり、反転形であるとは言える。現世の王である父と、ファンタジー世界の王である大叔父。)

ただ、少しややこしいのが、そのエロティックな義母が「母の妹」であること、そして、作中に「少女となった母」が登場すること。ここに母の影がちらついていることは確かだ。ただ、この作品において、少女=母の像は、なんというのか、典型的な美少女像からあまりはみ出すものではないように思う。言い換えれば、この母=少女には、作者である宮崎駿の思い(熱量)がそれほど強く込められているようには感じられない。

たとえば、「コナン」のラナ、「ナウシカ」のナウシカのように、その像の「かわいさ」が作品全体の重みを支えているというような、そのような重要性は、この作品での少女=母であるヒミにはない(ある時期以降、宮崎駿は「少女」に世界の重さを預けることをやめる、「コナン」のラナや「ナウシカ」のナウシカと「千と千尋」の千尋とではあり方がまったく違う、ナウシカは世界を救うために戦う少女だが、千尋は世界を背負うことのないたんなる普通の少女であり、「千と千尋」は普通の少女の成長物語だ)。ヒミは、少年にとってエロス的対象ではなく、キリコおばあさんと同様の、自分を保護し、教育し、導いてくれる保護者的な存在だと考えられる(なぜ、男をケアする存在がいつも女なのか、なぜ女はいつも男をケアしなければならないのか、という批判はあり得る)。

だから、この作品を動かしている動力が、父、義母、少年という三者の関係であるという(とてもとても古典的な)基本形は、少女=母の登場によって大きく揺らぐものではないと思われる。

⚫︎ひとつ興味深かったのは、大叔父の世界を崩壊させるのは、少年(眞人)ではなく、愚かなインコの王であるというところ。ああ、現実ってこうだよなあ、と思った。少年は、大叔父の世界の継承を拒否したが、その時点ではまだ、世界は首の皮一枚でギリギリ成り立っていた。それを、間違った使命に駆られたインコの王が叩き壊す。こういう奴いるんだよなあ、と思う。

(追記。全体的にセンスが若返っている感じがするのは、実際にスタッフが若返っているからなのだろう。監督は歳をとるが、スタッフは若返る、ということによって生じた、独特の感じがあるように思った。)

(追記。主人公の少年、眞人は、父親が、自分が持っていた大きくて重たい鞄を「重いぞ」とか言って義母に渡し、受け取った義母が明らかに重そうにしているのに、手伝うどころか、気遣う様子も、気遣うふりすらもなく、ずんずん一人で行ってしまう。金持ちのボンボンだし、横柄で、決していい奴ではない、そういう男なのだということが、最初にちゃんと示してある。こういう描写はすごく重要。)