2023/08/25

⚫︎「風魔一族の陰謀」を観たので、久々に「カリオストロの城」も(U-NEXTで)観てみた。これ、こんなに面白かったのか、と改めて驚くくらい面白かった。「風魔一族」も密度という点では負けていないが、一人の演出家によって制御されたセンスとスタイルで、洗練の度合いがまるで違っている。同時代の他の作品とは、根本的に何から何まで違っているというくらい違う感じだ。例えば、この後にアニメを作ることになる押井守が、スノッブで過剰に捻った作風になるのも、同じ方向でいったら絶対に太刀打ちできないという気持ちがあったからだろうと、今更、改めて感じる。お前、何してくれてんのか、と。こんなことされたら、同時代の同業者は絶望しかないだろう、と。

この前年の「未来少年コナン」ももちろんすごいが、「コナン」は毎週放送されるテレビアニメだから、全ての場面でギュッと充実しているというわけにはなかなかいかないが、「カリオストロ」は100分の間ほぼ完璧にギュッと詰まっている。この作品の以前と以後とで、日本のアニメの質がガラッと変わってしまうというくらいに、当時としては突出していたのではないか。ゆるいアニメを見慣れていた当時の観客は、まずはこのセンスと凝縮度について来れなかったのだと思われる。

「コナン」「カリオストロ」「ナウシカ」「ラピュタ」くらいまでが、宮崎駿の「素の天才」の時代で、それ以降、自分の過去の仕事を批判的に乗り越えようとする「悩める天才」の時期に移行すると思うのだが、この時期の作品は、飛び抜けた運動能力を持つ運動選手の、その素材としてのすごさにとにかく驚く、という風に素朴に驚けるのではないかと思う。

「素の天才」の時期の作品は確かに「美少女への素朴な信仰」を動力としていると思うが、それ以降の作品では、自らのその「信仰」を再検討し、編成し直そうと努力している。そのような自作への批判的乗り越えがどの程度うまくいっているかはともかく、「美少女への素朴な信仰」に依っているのは初期作品に限られる、ということは強調しておきたい。