2010-11-01から1ヶ月間の記事一覧

●昨日のことだけど、何年ぶりか分からないけど久々に『旅芸人の記録』(テオ・アンゲロプロス)を四時間通して観て(レビューを書くためだけど)、ぐわーっともっていかれた。『エレ二の旅』を観た時は、ぼくにとってのアンゲロプロスへの関心は終わったと思った…

●この作品を理解するには、最低限、これこれの文脈は押さえておけ、みたいな言い方にはどうしても反発を感じてしまう。いや、それが善意の啓蒙(親切な教育)だということは分かるし、そういうことを言う人は大抵、頭が下がる位に勉強したり努力したりしてる人…

●『憐 Ren』(堀禎一)をDVDで観た。すごかった。観始めてしばらくして、「なんかすごいことが起こってるぞ」と感じて鳥肌が立ち、それから終わりまでずっと「一体何が起こっているんだ、これは…」と、鳥肌立ちっぱなしだった。物語は、典型的にラノベ的なもの…

●こういう言い方が良いのかどうかわからないが、『ユキとニナ』(諏訪敦彦・イポリット・ジラルド)はDVDに特典としてついているメイキングを観た後で改めてもう一度観てみると、その面白さが増す。諏訪監督はずっと、混じり合うこともかみ合うこともない二つ…

●自分の作品について(だけ)は、その作品がどのようにして出来たのか、その過程の全てについて知っている。どのような展開があり、どのような可能性と、どのような迷いと、どのような断念と、どのような危険のなかで、結果としてそのようなものに至ったのか。…

●描くことと書くことと読むこととを同時やっているというのはいつものことだけど、今、そのそれぞれで、定まった対象、定まった分量、定まった期限を「約束」として持つ形でそれをしている。つまり(個展のための制作を含めて)締切のある三つの別のことを同時…

●昨日の日記で、上下の逆転は左右の非対称性を顕在化するというようなことを書いたけど、それで思い出すのが『コッポラの胡蝶の夢』という映画で、この映画では上下が逆転したカットが印象的に使われている。上下逆転のカットは主に夢の場面であらわれるのだ…

●誰でもやることだと思うけど、制作途中の作品に対して慣れてしまった目をリセットしつつ、新鮮に画面の状態をチェックしたい時、キャンバスを逆さにしてみる。この時の不思議な感覚はちょうど、エレベーターがふっと沈む時に胸のあたりがふわっとする、あの…

●池袋のシアターグリーンで、岡崎藝術座『古いクーラー』(作・演出/神里雄大)。前半はすごく面白かった。 特にクーラー2の若いサラリーマンの話をやった女性のパートがすばらしかった(リーフレットで確かめてみると菊川恵里佳という人らしい)。今の演劇って…

●制作は大抵、起きてすぐはじめる。目が覚めてすぐが、頭が一番新鮮な状態である気がする。起きて、コーヒーを飲んで、少しずつ頭が目覚めてきたら、キャンバスの前まで移動して、いきなりはじめる。制作途中の作品に手を入れる時は、コーヒーを飲みながら画…

●用事があって新宿まで出たので久しぶりにジュンク堂を覗く。ネットなどの情報から「そのような本が出た」ということは知っているが「実物」を見るのは初めてだ、というような本がいっぱいあってクラクラした。自分がいかに八王子市内だけで引き籠って暮らし…

●最近のぼくの展示では、二段掛けみたいにして、多くの作品を一緒にがちゃがちゃと見せるみたいなやり方をしてきたし、次の個展でもそうしようかと思っていたのだが、それは線を主な要素とする作品だったから可能だったことで、油絵具で、色彩によってつくら…

●不穏な日。朝から何度も消防車のサイレンが鳴り響き、午後にはいきなり電源が落ちて、しばらくして変電所の事故で市内の広範囲で停電となっているとのアナウンスが町内に響く(停電は今年二度目だ)。夕方、部屋を出ると、重たい雲が空を塞ぎ、空の見えている…

●夢。ぼくは、映画を観ている観客であるのと同時に、その映画の大勢いる出演者(エキストラ)の一人であるようだ。映画は時間を扱ったSFで、同じ時間が微妙な差異をもって複数回繰り返される。過去と現在の交錯する隙間から何かを強奪しようという話であるよう…

●制作していて気付いたのだが、ぼくの作品で、ドローイングとペインティングとはネガとポジの関係にあるようなのだ。つまり、ドローイングで描いていない部分(地が残る部分)をペインティングでは描いていて、ペインティングで描いていない部分(形と形のぶつ…

●綿のように軽い一枚の羽根が、高いところからゆっくりと落下してくる。くるくるとうずまき状の緩慢な弧を描きながら。少しの空気の流れにも影響されてしまいそうたが、まったくの無風なのでその軌道が揺らぐことはない。その羽根が地面近くにまで降りてきて…

●朝方まで用事をしていたので、寝る前に頭の興奮を抑えるためにレンタルしていた『東京暮色』のDVDをちょっとだけ観ようと思ったのが間違いで、すぐに引き込まれて最後まで観て、すっかり朝になってしまった。だいたい小津を観てまったりしようという考えが…

●オープンしたばかりの八王子のビックカメラのなかに入っているソフマップで安い中古のネットブックを買った。中古だったので覚悟していたよりは少ない出費で済んだ。 夜は、セットアップと使い勝手を試すことでつぶれてしまった。慣れないのでいろいろと使…

●パソコンの状態は昨日よりも悪くなる。一日に一回くらいきまぐれで起動してくれる。メールの送受信はなんとかなったが、これでは長い文章を書くことは出来ない。買い換えるしかないのか。 ●「SO+ZO」展の内覧およびオープニング(展覧会は13日からht…

●お知らせ。12月9日から21日まで、下北沢の現代HEIGHTSでするぼくの個展のイベントとして、12月10日の19時から、「絵の話」という、そのまんまなタイトルのトークをします。参加メンバーは、浅見貴子、井上実、郷正助、はい島伸彦、古谷利…

●引用、メモ。帰って来られないことについて。そういえば、『漂流教室』(楳図かずお)の子供たちも、未来に行ったきりで帰って来られなかったのだった。楳図かずおの作品は、決して帰ってこられない場所へ連れていかれることと、そのような場所においてさえ…

●今、やっていることのなかの「自分には見えていること」は、他の人の眼にもちゃんと見えるものであるはずだ、という点について確信があるわけではない。そもそも「自分の眼」でさえ、しばしばそれを見失う。しかし、だからと言って、分かり易い(であろう)…

●お知らせ。11月13日(土)から28日(日)まで行われる桑沢洋子生誕百年記念の「SO+ZO展」の概要と出品者がデザインネットというところのニュースに載ってました(http://event.japandesign.ne.jp/news/22255101108/)。ぼくの名前も一番下にありま…

散歩した。秋の光。

●昨日描いた、というより「描けた」、ドローイングを、折に触れて何度も観直し、「うん、確かにここには何かがあるはず」と思ったり、「いや、見えていると思っている〈これ〉はそもそも幻に過ぎないのでは?」と思ったりする。 それにしても、自分で描いて…

●今日はけっこういい感じのドローイングが描けた。いままで描けなかったような線が描けた、というか、線自体はあまり変わらないとしても、その線の組織の仕方が今までと違っていて、つまり今までとはちょっと違う感じで絵が描けた。 まあ、たまたま描けちゃ…

●「偽日記」は今日でまる十一年、明日から十二年目に入ります。だからといって特に何もないですが。 ●自由というのは、何でも好きなことが出来るような状況のことではなくて、ある条件があり、ある規則が与えられ、多くの人が、そのなかではこのように動くほ…

●バーネット・ニューマンの絵は、まったく「見えたそのまま」、「見たまんま」の絵であり、徹底的にそうであることによって際立ったている。フレームがあって、その真ん中に帯状のものがある、それだけで既に十全な絵であり、そこに何一つ付け加えるべきもの…

●『ディスポジション:配置としての世界』に収録されている「イエスの《接近−ディスポジション》」(柳澤田実)というテキストに感銘を受けた。文字通り、イエスによる「接近する」という行為について書かれていて、特に難解だったりややこしかったりする話…

●武蔵美の芸祭に郷正助の作品を観に行った。 展示室に入った瞬間、ガラクタの山が目に入り、「あっ、もしかして、これかも」と思って自然に半笑いになり、近づいて、「きっと、これに違いない」と確信すると、「へーっ」という感じで、にやにや顔になってい…