●用事があって新宿まで出たので久しぶりにジュンク堂を覗く。ネットなどの情報から「そのような本が出た」ということは知っているが「実物」を見るのは初めてだ、というような本がいっぱいあってクラクラした。自分がいかに八王子市内だけで引き籠って暮らしているのかを感じる。しかし、手にとってパラパラ見ることはしても、今日は一冊も買わない。今のぼくは油絵具を買わなくちゃいけないので、本なんか買ってる余裕はないんだよ、と自分に言い聞かせる。
●お知らせ。発売はまだ先ですが、告知がもう出ていたので(http://www.bungaku.net/wasebun/magazine/wasebun314ad.html)。12月10日頃に発売の早稲田文学増刊「早稲田文学π」に「夢の場所、フレームの淵」というタイトルで『水死』(大江健三郎)論を書いています。このテキストと、あと、ある文芸誌の編集部に預けてある『星座から見た地球』+『あっぷあっぷ』(福永信)論とは、前の本(『人はある日とつぜん小説家になる』)所収の大江論、福永論から、(個々の作家論として、そしてフィクション-小説論としても)さらに一歩深いところまで踏み込むことが出来たと、自分では思っています。当然ですがそれは、対象となったそれぞれの作品が、それ以前のものよりもさらに深みにまで届いているということのおかげです。「小説について書く」ことの深みにハマりつつある自分を感じます。ぼくは実際に手を動かして描いたり書いたりしなければ本当に何も出てこないし、何も思いつかないので、書くということはぼくにとってやはり重要なことだと言わざるを得ないようです。後者の福永論は、いつ掲載されるのか、そもそも掲載してくれるのかどうかも、今のところ何とも言えないのですが。
『水死』論を書く過程で、大江健三郎という作家の凄さを改めて感じました。好きか嫌いかと言われれば、決して好きではないし、受け入れ難いところも多々あるのですが、それでも、この小説の「手強さ」はただごとではなく(普通に完成度の高い前作と比べても、本作はノイズが多くて形もかなりいびつだと思います)、そして、その手強さの奥には、それを解いてゆくに足りる、確かな実質があるのだと確信できました。