●最近のぼくの展示では、二段掛けみたいにして、多くの作品を一緒にがちゃがちゃと見せるみたいなやり方をしてきたし、次の個展でもそうしようかと思っていたのだが、それは線を主な要素とする作品だったから可能だったことで、油絵具で、色彩によってつくられた作品は、その作品自体が大きなスペースを要求してるんじゃないか、と、制作していて気付いた。色は、周囲に大きな影響を与えるし、周囲のものから大きく影響を受けもする。だから色彩の作品についてはゆったり展示すべきかもしれない。その場合、線の作品とどのようなあり方で共存が可能なのかについても、イメージしておく必要がありそうだ。
●それにしても、油絵具のもつ色の圧力には、特別なものがあるように感じる。それは別に、絵画マニアのフェティシズムということではないと思う。鋭角的に目に突き刺さるLEDライトのような強さではなく、面積の広い接触面をもって、ぐっと押し込んでくる、というような、まさに色圧という感じ(特に派手な色や強烈な色を使っているとか、そういうことではない)。特に、乾燥していない濡れた状態の絵具から、それはより強く感じられる。とはいえそれは、ぼくが油絵具を使って「制作」しているからで、つまりその扱いづらさ(乾燥しないことや粘性やにおい等)の記憶がその視覚的イメージのなかにすでに組み込まれてしまっているということが大きいのだろう。
油絵具で制作するということは、この色圧と一緒に生活するということでもある。油絵具は乾かないから、画面を裏返して置いておくことができない。それは常に見えており、そしてその圧力は、絵の具そのものや各種オイルのにおいと混じりあって、部屋のなかに広がっている。外から帰って部屋のドアを開けたとたん(ドアの位置から作品は見えないけど)、オイルのにおいとともに色の圧力がぐっと押し寄せてくるかのようだ。それは胸に迫るような気の重さを生みさえする。色を扱うことはとても重たいことだ。
油絵具が押し付けてくる色の塊の圧力と共に制作することは、アクリル系の絵の具や、あるいは油絵具でも線的な要素によって制作する時とは違った感触があり、その絵の具自身のあり様からも強く触発される感じだ(それは、重たさ、遅さ、粘りをこちらに要求し、それに対して、あるがっちりした視覚的抵抗感を返してくる)。それは、ぼくを予想しなかった方向へと動かしてゆく。そのことに、ちょっと戸惑っている。そっちに行っちゃって(こっちに来ちゃって)いいのかなあ…、というような。