●どちらが良いとか悪いとかいうことではなく、アクリル系の絵の具と油絵の具とでは全然違うということを、描いていてすごく感じる。制作する時間の組み立てがまったく違ってくる。それは、たんに油絵の具は乾かないってことでもあるけど、絵の具によって強いられる制作のリズムが大きく違う。
これは、アクリル絵の具と油絵の具との一般的な意味での違いという話で全くはなく、あくまで、ぼくが、自分の作品をつくろうとしてそれを用いる時にたちあらわれてくるものの違いという話だ。
アクリル系のカラージェッソを使っていた時に感じていたのは、タッチの速さということだった。それは、実際の身体的な動作の速さではなく、それを操作する判断の速さ、という感じ。意識していたのは「意識より速く判断する」ということ。意識した時には既に判断も行為も終わっている、というようなタッチの速さ。それは速く描くということともちょっと違っていて、自分がした行為(画面の状態)に対する判断は時間をかけるけど、行為している、その時、その瞬間の判断は、もしかしたら行為そのものより速い、という感じ。意識を置き去りにして速く動く。さらには、判断が行為さえも追い越してしまう。それは画面上にタッチを置く時だけでなく、パレット上で絵の具を練る時も、そいうい感じ。(このような感覚を実現させるために、カラージェッソが用いられた。)
それに対して、同じアクリル系の絵の具でも、線の仕事をしている時には、もっと判断が遅い。線を引くということは、行為と判断との時間を一致させる、というような感じだ。それは、刻一刻と判断を変化させるということであり、動きが起動するその直前まで判断を保留しつづけるということだ。線を引きながらも、その線がその先どちらへ、どのような強さで進むのか、それともそこで途切れるのか、手がそのように動き出すその瞬間まで判断は決定しない。どこまで判断を遅らせ、しかし決して遅れることなく、決めるのか。ちょっと、チキンレースみたいな感じ。
油絵の具で描く時は、もっと遅い。行為よりも判断を遅らせる感じ。パレット上で絵の具の練りや色を調整する時も、画面の上に絵の具を置いていく時でも、行為が終わってもまだ判断は終わらない。それはたんに、後からでも手直しするのが可能ということでもあるけど、そういうことだけではない。あり得ないことではあるけど、もう既に終わってしまった行為が、その後にも粘ってなされる判断の変化によって、まだ変化する余地がある、というような感覚。このような、行為が終わっても判断は終わっていない(結果は出ていない)という、二重にブレて、ぐわーんと粘って延びる時間ようなの有り様が、油絵の具を使うことで可能になる。リアルタイムの、今、ここから、何歩か遅れてもうひとつの現在がついてくるような感じ。
この三つの異なる時間の感覚が、ひとつの画面のなかで「すれ違う」ようなことが出来ればなあ、と思う。