2019-09-01から1ヶ月間の記事一覧
●夜中に、お酒を飲みながら、YouTubeでいろいろ動画を観ていると(というより、聴いていると、という比重の方が高いが)、しばしばキマッた状態になり、いつの間にか朝になっている。 Tibetan Morning Chant https://www.youtube.com/watch?v=S4PkLg_2clI&list…
●引用、メモ。『ブルーノ・ラトゥールの取説』(久保明教)、「あとがき」より。 ●生成について 《なお、前著と本書に登場する「生成」という言葉には、特にポジティブな意味も特にネガティブな意味も込められていない。》 《特にポジティブではない、とは「異…
●引用、メモ。『ブルーノ・ラトゥールの取説』(久保明教)、第五章「私たちとは何か」より。 ●モダニズム、ポストモダニズム、ノンモダニズム 《第一に、私たちが世界を適切に認識し適切に働きかけうることの根拠を、理性的な人間のあり方に求めるモダニズム…
●今日、そこで。
●本を読んで、なるほどと納得させられたり、おもしろいと思ったりしても、時間が経つとその多くを忘れてしまう。強い説得力があるように感じられた論の展開があったとして、後からそれを再現しようとしてもぼんやりとした流れしか辿れなかったり、そもそも、…
●引用、メモ。『ブルーノ・ラトゥールの取説』(久保明教)、第四章「近代とは何か」より。その三。 ●存在様態探求 《(『存在様態探求』において)彼はまず、ANTは「いかなる手段を用いても状況を制圧したものが正しい」というマキャベリ主義的発想を学問的に正…
●引用、メモ。『ブルーノ・ラトゥールの取説』(久保明教)、第四章「近代とは何か」より。その二。 ●プレモダン・モダン・ノンモダン 《非近代社会の多くは、自然と社会を区別せずに混ぜ合わせているという理由から「前近代的」と呼ばれてきた。例えば、呪術…
●引用、メモ。『ブルーノ・ラトゥールの取説』(久保明教)、第四章「近代とは何か」より。その一。 ●自然と社会、翻訳と純化 《諸現象を「自然」にも「社会」にも還元しないことを指針としてきたラトゥールの議論は、なぜ両者への還元がなされるのかという論…
●16日の樫村さんのトークでちらっとタイトルが挙げられていたシュワルツェネッガーの『プレデター』(1987年)をU-NEXTで観た。なるほど。 非人間的な存在との生存を賭けた激しい争いの果てで発せられる、「おまえは誰だ」という問いに対し、非人間の側からも…
●今日、そこで。
●U-NEXTで『利休』(勅使河原宏)を観た。なにをおもしろがればいいのかよくわからない映画だったが、茶室や、利休や秀吉の居住空間などの再現は、かなり精密にきっちりとやってあるように思われた(『藤森照信の茶室学』を読んだばかりのにわか知識による判断…
●茶室(茶室を研究すること、茶室から影響を受けること)は、戦前からの、あるいは明治以降の、「近代化」された日本のメジャーな建築家たちにおいては、軽くみられていた、あるいは敬遠されていた、という指摘も興味深い。茶室というものの不思議な位置。 ●『…
●(昨日からのつづき)「悟り」という概念は、「わたしが悟る」というのではないにしても、少なくとも「悟り」が「わたしにおいて」現れる、あるいは「わたしのところに」生じるのでなければならない。だから、悟りを願う者は、たったひとりのこのわたしとして…
●引用、メモ。『藤森照信の茶室学』より。 禅宗の影響からくる「草庵」---俗を捨てて悟りを求める人が、都を離れて山里に“独居”するため建物---としてあったものが、トポロジカルなねじれによって、「堺」という商業都市の内側に(いわば「内にある外」として…
●RYOZAN PARK巣鴨で樫村晴香単独トークイベント。現場ではいっさいメモをとらずにひたすら聞いていたので、以下は、記憶を頼りに、ぼくの解釈を交えて書いたもの(正確な、ちゃんとした記録は、おそらくそのうち発表されるでしょう)。 ●一番偉い哲学者という…
●NHKのドラマ(といっても、ぼくはU-NEXTの配信で観ていたのだが)『だから私は推しました』を、最後まで観た。 いわゆる「地下アイドル」を題材としたドラマで(オタク気質というわけではない普通のOLが、ちょっとした偶然から地下アイドルにハマってしまう話)…
●今日、そこで。
●引用、メモ。「桂---その両義的な空間」(磯崎新)より。 《桂は、中央に位置する書院の他に庭園内に数件の茶邸がある。庭園も場所によって手法の異なるものが組み合わさっている。構成する建築のタイプが多様であるが、同時に、それがかなりの期間にわたって…
●「時間的形態としての都市」(エリー・デューリング)は、「東京とは何か」という問いから始まっている。ここにはいくつもの非常に魅力的な分析がある。「同時性」を、各瞬間における物の空間的な配置として考えるのではなく、異なる流れ(リズム)が時間のなか…
●「時間的形態としての都市」でエリー・デューリングが次のように述べていることを昨日の日記で引用した。この言葉は、たとえば桂離宮のような庭園を想起させる。 《(…)ベルクソンはむしろ生成を、平行的に展開する流れの線を集めた一本の束として考察するこ…
●引用、メモ。「同時性」について。「時間的形態としての都市」(エリー・デューリング)より。ここでは、エリー・デューリングの難解な時間論がわりあい分かりやすい形で述べられている。 (これは、2017年4月27日に、法政大学市ヶ谷キャンパスでおこなわれた…
●引用、メモ。『ブルーノ・ラトゥールの取説』(久保明数)、第三章「社会とは何か」より。その二(昨日からのつづき)。 ●モノと権力 《連関の社会学にとって新しいのは(…)モノが、(…)社会を覆う権力、甚大な非対称性、圧倒的な権力の行使を説明するものとして…
●引用、メモ。『ブルーノ・ラトゥールの取説』(久保明数)、第三章「社会とは何か」より。その一。 ●社会的実践を「社会」に還元しない 《「自然」にも「社会」にも還元せずに科学的実践を捉える試みを検討した前章に続いて、本章では「自然」にも「社会」に…
●U-NEXTで、大島渚『天草四郎時貞』を観る。大島渚が東映で時代劇をつくる。主演は大川橋蔵。普通に考えればかなり悪い食い合わせのように感じられる。しかし、『太陽の墓場』(1960年)『日本の夜と霧』(1960年)『飼育』(1961年)『天草四郎時貞』(1962…
●桂離宮を見学している時、何人もの職人が庭園のメンテナンスをしていた。おそらく、何十人という規模の人数の職人が、持続的に毎日、なにかしらのメンテナンスをしていることによって、ようやく桂離宮という空間は維持されているのだろう。庭園は自然ではな…
●柄沢祐輔さんセレクトによる小堀遠州ミニツアーの二日目。高台寺の傘亭と時雨亭。千利休がつくったとされる二つの茶室が移築され、その二つ茶室の間を遠州がブリッジした。次に、圓徳院の北庭。エリー・デューリングが京都で一番好きな場所だと言ったという…
●京都へ。柄沢祐輔さんのセレクトによる小堀遠州ミニツアー。一日目は南禅寺金地院の鶴亀の庭園と八窓席という茶室。方丈を見学している時にものすごい雷雨があった(ちょうど屋内にいて助かったし、嵐の「鶴亀の庭園」が観られた)。 夜は浄土複合にお邪魔し…
●八月に撮った写真。その三。
●八月に撮った写真。その二。
●八月に撮った写真。その一。