⚫︎『ラカン 主体の精神分析的理論』(立木康介)、序章より、引用、メモ。
⚫︎フランスにおける精神分析の制度化として、まず1926年にパリ精神分析協会(SPP)ができる(ラカンも参加)。しかし、医師を特権化する分析家訓練システムを確立しようとする派と、心理学専攻の学生など医師以外にも門戸を広げようと考える派とが対立し、後者が分裂して56年にフランス精神分析協会(SFP)が生まれる。ラカンは後者に属する。ここでラカンは、国際精神分析協会(IPA)が定める一回につき45分から55分というセッション時間を守らず、時間を固定しないで《患者のディスクールの論理に基づいて》適切なところで切り上げる「短時間セッション」を実践していた。これに対しIPAは、ラカンから訓練分析家としての資格を剥奪するようにSFPに通告する。事実上「破門」を受けたラカンは、彼の優秀な弟子たちと共にフランス精神分析結社(APE)を発足。この頃から「セミネール」が、分析家の教育プログラムとしてだけでなく、より広い聴衆に向けて精神分析を教える場となっていく、と。
このAPEにおいてラカンは、真の精神分析は訓練分析(分析家になるための分析)であるとし、治療のための分析は、その応用に過ぎないという考えを示すようになる。
《(…)これは、精神分析固有の目的=終結(fin)を新たな分析家の誕生、すなわち精神分析家の「再生産」に求めることに等しい。つまり、いかなる個別の精神分析も、それに相応しい目的=終着点にまで至った場合には、患者を精神分析家に脱皮させずにはおかない、という発想だ。》
《(…)それがもたらすのは、逆説的にも、「訓練分析/治療のための分析」という区別の撤廃、すなわち訓練分析の一般化である。といっても、分析から「治療」の次元が締め出されるわけではない。いかなる分析にも、それゆえ、訓練分析(追って述べるように、正しくは「結果として訓練分析になった分析」)にも、治療的プロセスは必ず含まれる(いいかえれば、「症状」を伴わない分析は存在しない)。だが、ラカンによれば、治療は精神分析の目的=集結をけっして決定しないし、してはならない。精神分析の目的=終結はあくまで「分析家になること」に求めなければならない。(…)つまり、あなたがいつ誰と分析をはじめても、あなたは精神分析家になることができる―-ラカンはそう主張し、その通りの実践を自らの学派EFPで始めるのである。》
《このことには、もうひとつ重大な帰結が伴う。精神分析の世界でラカンが果たした最大の変革ともいうべきそれは、訓練分析家というカーストの絶滅にほかならない。IPA組織において、訓練分析家を担当できる分析家は、厳密に資格づけられており、組織のヒエラルキーの頂点に君臨する。訓練分析の一般化を徹底することで、ラカンはそのヒエラルキーを破壊したのである。》
⚫︎とはいえ、その訓練分析のクオリティは、何らかの形で制度的に担保される必要がある。そのためにラカンがEFPに導入したのが「パス」という制度だった。
《ここでパスについて踏み込んだ説明を行うことはできない。だが、次のことだけは述べておかねばならない。パスとは、いまも触れたとおり、ひとつの個別の分析(個人分析)が、真に精神分析家を生み出したか否か、すなわち「訓練分析」であったか否かを、事後的に吟味し、判定するための装置(dispositif)である。「事後性」という概念の重要性については、本書でも詳しく述べることになるが、フロイトがこれを発見して以来、精神分析においてはいっさいが事後的に、いや事後性の観点から、判断される。》
《ラカン派において、精神分析固有の目的=終結は精神分析家の再生産であるとはいっても、この目的=終結は最初から設定され、機能させられてるわけではない(そんなことをすれば、ラカン派の分析はIPAの訓練分析と同じものに帰着してしまう)。新たな分析家の生成が当該の分析の目的=終結であったかどうかは、あくまでその分析が実際に終結したあとに、遡及的に追及される。ラカン派における分析の目的=終結は、ようするに合目的性(finalite)なき目的、目的論(teieologie)なき目的なのである。》
《そして、ラカンによれば「真の分析=訓練分析」である以上、ひとつの分析が訓練分析であったかどうかを事後的に検証する作業は、同時に、そのなかで何が生じたら「真の精神分析」といえるのかを明らかにする作業、つまり、ひとことでいえば「精神分析とは何か」を見きわめる作業でもある。ラカンの究極の狙いはそこにある。パスとは、学派のなかで、「精神分析とは何か」をそのつど決定し、更新していくための装置なのである。》
⚫︎ヒエラルキーの転倒。最も新しく生まれた(若い・かけだしの)分析家が、「精神分析とは何か」を学派に教える立場に立つ。
《(…)パスを行うことが想定されているのは、いままさに自らの分析を終えつつある分析主体(analysant)である。通常、ラカン派の分析は長く続き(一〇年、一五年はざらである)、多くの分析主体はその途中で分析家として活動しはじめるとはいえ、それらの分析主体は分析家としての経験をもたないか、もっているとしても駆け出しの分析家としてのそれでしかない。ところが、ある分析主体がパスを行い、学派内の所定の委員会(現在では「カルテル」という研究グループの形をとることが一般的である)で審査された結果、当の主体の経験した分析が真の分析であったと判定された場合、この主体はたんなる「分析家」ではなく、「学派分析家」として設定される。学派分析家とは、パスによって「真の分析家」と判定された自らの分析経験を証言することで、まさに精神分析とは何であるかを学派に教える分析家である。これを「学派を指導する」という意味で捉えると、学派分析家はIPAの「訓練分析家」と等しい価値をもつことになる。しかし、ラカンがこの肩書きを委ねようとしたのは、述べたように、新米の分析家や経験の浅い分析家であった。》
《分析家組織のなかでは、確かに「精神分析とは何か」が伝達されなければならない。IPAでは熟練中の熟練である訓練分析家がそれをいわば上から教えるのにたいし、羅漢は経験の浅い分析家が「分析主体」として下から教えることを選択したのである。》
⚫︎「精神分析とは何か」ということの実質を、そのづど新たに更新するものが、「新たに成立した訓練分析での経験」であるとするならは、最も新しく更新された「精神分析」を教えるのは、最も新しく分析家となった新米であるはずだ、と。これはとても面白い。
⚫︎ぼくの知る限りで最も優れた「詩」の定義は、佐藤雄一による「人を詩人にするものが詩だ」というものだが、これはそのまま拡張して「人を芸術家にするものが芸術だ」とすることもできる。これはラカンによる「人を分析家にするものが精神分析だ」という考えとも重なる。
(ただし、詩人や芸術家は、職業ではないし、資格試験をパスしてなるものでもない。ここは分析家とは違う。自分が、詩人、あるいは芸術家だと思えば、それだけで、たとえ作品を一つも作っていないとしても、詩人であり、芸術家だ。)