2005-04-01から1ヶ月間の記事一覧
●当然、作品はある特定の文脈のなかでつくられる。現在つくられる作品は、現在という時代と不可分なものがある。あるいは、ある作品は、ある特定の文化的な趣味や洗練のなかで(あるいはそれに対するカウンターとして)つくられ、それとは切り離せない。しかし…
●「芸術新潮」のモランディ特集をパラパラめくっていて、やはりモランディは面白いと改めて思う。(でも、岡田温司氏によるテキストは、伝記的事実などのバランスのとれた記述はさすがだと思うものの、作品について書かれていることは、モランディ神話をなぞ…
●DVDで西山洋市『運命人間』を観たのだけど、全く面白くなかった。脚本も演出も俳優の使い方も全然練れていないとしか思えないのだけど、そのような完成度が問題なのではなく、それ以前に「冴えた」ところの全く感じられない映画だった。このつまらなさは一…
●細い枝道から大通りに出るためにカーブを切る大きなトラックの荷台の側面に朝方の角度のある強い日光が反射してギラッと光り、その眩しさに日の光の強さを意識する。アスファルトの地面も強い光を照り返していて、その地面を、空を飛ぶカラスの影が一羽また…
●夕方、展覧会の会場にふらっと立ち寄ったら、画家の小林良一さんがいらっしゃったので、いろいろと話した。小林さんは何年か前、奨学金を得て一年間ニューヨークに滞在していたのだが、その時、(その一年間は生活が保証されているので)時間的な余裕が割とあ…
●昼間は日が照っていたのだが、夜になってぼんやりと白い雲が空を覆い、重たく湿った風が、道路沿いに並んだ枝垂れ柳を揺らして吹き抜ける。街灯に照らされた柳の緑は、ギラついて見える。客待ちで停車しているタクシーのライトが点滅し、その脇を黒塗りの大…
●黒沢清『もだえ苦しむ活字中毒者 地獄の味噌蔵』(90)『よろこびの渦巻』(92)をDVDで観た。これは、89年の『スウィートホーム』以降、94年からはじまるのVシネマ量産時代までの間の、黒沢清が最も不遇だった時代にテレビの深夜ドラマとしてつくられた作品で…
●夢をみた。大きな川のほとり。川沿いの道にはレンガが敷かれ、ベンチが設置され、街路樹も植えられていて、細長くつづく公園と言うか、散策コースのように、きれいに整えられている。だがそこは、街灯がほとんどなく、夜になると暗い。今、この川沿いの一角…
●樫村春香は、保坂和志との対談(「自閉症・言語・存在」)で、表象=遊び(「現実」とは異なる次元としてのフィクションや作品)を可能にするのは「能受の自由な変換」であり「行為の反転」であると言う。つまり、母親から殴られた(受動)子供が、今度は人形を殴…
●展覧会初日。図版の印刷はギリギリで間に合った。この図版の表紙の色は、印刷屋が提示した色見本から自分で選んだのだが、選んだ時の感じではもうちょっと渋めの色を選んだつもりだったのだが、ちょっとイメージがちがった。何人かの人から、これは「偽日記…
●「展示のプランとか全然考えてなくて、会場に作品を持ち込んで、その場で作品を観て考えるのはいつものことなのだけど、」なんて昨日は余裕げに書いたけど、今度の展覧会の会場は、個展としては、今までぼくがやったところでは最もスペースが広いところで、…
●明日は、展覧会の会場に作品を搬入して、展示し、明後日からはもう展覧会がはじまるのだった。展示のプランとか全然考えてなくて、会場に作品を持ち込んで、その場で作品を観て考えるのはいつものことなのだけど、今回はいつも展示を手伝ってくれる友人が病…
●ぼくは基本的に演劇を観ないのだけど、それでもインターネットをやっていると目につくチェルフィッチュ(http://chelfitsch.net/)という存在は気になっていて、特に「この記事http://d.hatena.ne.jp/matterhorn/20050322」をみた時などは無理してでも横浜ま…
●印刷会社から、展覧会の図録の校正が送られて来た。ぼくの作品が印刷される時、しばしば天地が間違われる。今回も、打ち合わせの時にかなりしつこく確認したにもかかわらず、一点、間違って印刷されていた。すぐに訂正を要請するメールを出したのだけど、ど…
●『グリーンバーグ批評選集』の第3部は、マネ、セザンヌ、ピカソ、マティスといった、モダニズムの巨匠たちについてのテキストが収録されている。だが、ここではこれらの巨匠たちはあくまで、抽象表現主義との関係によって記述されている(つまり抽象表現主義…
●『グリーンバーグ批評選集』を買って、パラパラと読んだ。全てをきちんと読んだわけではないが、思ったのは、やはりグリーンバーグは理論家でもフォーマリストでもなく、あくまで「目利き」としての批評家なのだということで、だから第一部にまとめられてい…
●その人のことを全く知らなくても、その絵を観てちょっといい感じだなあと思う絵を描いた人と話すと、申し合わせたわけでもないのに、ジョットとかティツィアーノとかマティスとかいう話になる。ジョット(1267-1337)とティツィアーノ(1488-1567)とマティス(1…
●昼間、ある方と初めてお会いし、夜、知り合いの展覧会のオープニングに顔を出す。普段、ほとんど籠りがちな生活をしているので、一日のうちに大勢の人と会うと、頭がクラクラする。 ●昼間お会いした方に、古谷さん全然喋らないねえ、と言われてしまったのだ…
●展覧会では、ドローイングは基本的に裸のままで壁にピンで刺して展示するのだが、今回は、試しに何点か額に入れてみようと前々から思っていて、その相談のために額屋へ行く。こういうことは(前々から思っていたのだから)当然もっと余裕をもってはやめに相談…
●展覧会が近づいているからと言って、制作に関しては何も変わりはないのだけど、いろいろと雑用が忙しくなってくる。今日は一日で、展覧会の案内状の宛先・宛名を200通以上書いた。(ぼくはもともと左利きで、「字は右手で書きなさい」と矯正されたので、左右…
●ぽかぽかと暖かい陽気のせいでか、身体がだるくてぼーっとする。薄ら眠いのに、なんとなく上気していて、寝ようとすると眠れない。テレビのゴッホ(新日曜美術館)を横目で見つつ制作する。 手数が少ない段階で、作品が、これで出来上がっているのではないか…
●いま、制作している作品は、ちょっといい感じで描けているので、これが展覧会までに完成するといいなと思う。「月刊ギャラリー」という雑誌の編集部に新作の写真を月曜必着で送る必要があったので、休日受付をしている郵便局まで自転車で行く。郵便局の向か…
●新宿で人に会う。その帰りに、シェーバーの替え刃を買いに寄った家電量販店でDVDのコーナーを覗いたら、ヒッチコックのものが1本千円程度で売っていて、思わず4本も買ってしまう。(『間謀最後の日』『レベッカ』『疑惑の影』『逃走迷路』)帰って、スコセッ…
●「新潮」5月号の蓮實・浅田対談で言われていることは、乱暴に要約すれば、「見ることの出来ないもの(見えていないもの)」が常にあるのだということに対する畏れや緊張を、そこからくる慎みを、見ることの出来るもの(イメージ)を具体的に「見ること」から学…
●ゴッホを観るために上野まで行ったのだが、ゴッホは上野ではなく竹橋でやっているのだった。上野駅は、平日の午前中なのに改札を出る前から人でごった返していた。間違いと分かったのだが、せっかく上野まで来たのだから、引き返す前に桜を見ていこうと思い…
●エレベーターホールのガラス面いっぱいに、向かいのビルの屋上に設置された巨大な電光看板の点滅が貼り付いたように見える。アルファベットの大文字5つが青く点滅し、その白い背景が右から左へと流れる。向かいのビルよりもこちらの方が高い。ガラス面に近…
●保坂和志が、自身のHP(http://www.k-hosaka.com/)の掲示板にミシェル・レリスの日記から引用した書き込みをしていて、そこで次のような凄い文にぶつかった。 1929年6月8日 子供の頃によくあるように、泣きたいほど退屈している。退屈が嵩じ、自分が空…
●夢に出てくる場所は大抵、知っている場所か、それが変形され、あるいは複数合成されたものであり、夢に出てくる人物は大抵、知っている人物か有名人、またはそれらが複数合成されたような人物であって、つまり、夢には未知のものはほとんどあらわれない。今…
●いまさらながらという感じで、フィリップ・ド・ブロカ『まぼろしの市街戦』(1967年)をDVDで初めて観た。こういうものは、とても強く反応する人と、全く反応しない人とにはっきり分かれるのだろう。そして、強く反応してしまう人は、どこか甘っちょろさの消…
●ジェームズ・アンソール展が、4月の終わりから東京都庭園美術館で始まるそうだ。(情報は「http://www.bloc.jp/nagase/」で知った。)アンソールと言えば、仮面をつけた人物やグロテスクな顔の人物たちが、カーニバル的に描かれる、白っぽい調子に不安定なナ…