●夕方、展覧会の会場にふらっと立ち寄ったら、画家の小林良一さんがいらっしゃったので、いろいろと話した。小林さんは何年か前、奨学金を得て一年間ニューヨークに滞在していたのだが、その時、(その一年間は生活が保証されているので)時間的な余裕が割とあって、それまであまりしなかった「本を読む」ということをはじめたそうだ。英語が駄目なので、身近にいる日本人から借りられるものを(だから自分の判断や好みで「選ぶ」というのではなく)片っ端から読んでいったらしい。そこではじめてドストエフスキーに出会ったそうで、「いやー、『カラマーゾフの兄弟』って面白いよねえ」と、目を輝かせて言うのだった。(帰国後も本を読むという習慣は続いているそうで、その他、何人かの作家についても話した。)小林さんはぼくとちょうど10歳離れていて、だからその時は既に40代半ばで、その年齢まで本をあまり読まなかったという人に、そのように言わせ、かつ、その後もいろいろと本を読むようにさせてしまうドストエフスキーというのはやはり凄い作家で、そして、小説という表現形式は凄い力を持ったものなのだなあ、と改めて感じるのだった。
あと、絵について話したことで印象に残っているのは、自分で作品をつくっていく時にぶつかる様々な「問題」についての話で、その「問題」が、本当に自分の制作にとっての根本的で重要な問題なのか、それとも、絵を学んでゆく過程で、「学習」によって「刷り込まれて」しまった問題に過ぎないのかを峻別するのはとても難しくて、それを選り分け、必要のない問題(あるいは「抑圧」のようなもの)を捨ててゆくのには、(制作を持続しながらの)長い時間がどうしても必要になる、という話だ。これは凄く重要な話で、特に、おそらく小林さんもぼくと同様に、モダニズム美術の行き着く果てのような、アメリカ型フォーマリスム絵画の強い影響のもとで絵を描きはじめたと思われ、だからこそ、どのようにモダニズム(の作品の)の重要な核を継承し、かつ、モダニズム(的な言説)の呪縛から逃れて突き抜けるのか、という問題とも重なるこのような話は、重要な「問題」なのだった。