●東京ステーションギャラリーの「植田正治のつくりかた」がとても充実していた。とにかく楽しかった。植田正治については有名な砂丘の作品しか知らなかったのだけど、最初に展示してあった『童暦』のシリーズが素晴らしくて、砂丘の作品に対する見方が改められた。
(ファッション写真のようなコマーシャルな仕事になるととたんにつまらなくなるところとかも、アマチュアリズムに徹している感じで、アマチュアであることこそが芸術家足り得ることなのではないかとか思った。)
●日本のモダニズムにおけるアマチュアリズムの重要性というのがあるのかもしれない。日本にはそもそもアバンギャルドとキッチュの対立(というか、その緊張関係)というものがない。あらかじめすべてキッチュであると言える。故に、メディウムスペシフィックな前衛的近代絵画や、マネのようにアバンギャルドとキッチュとの緊張関係そのものが作品化されたような作品はあまり受容されない。あるいは、カウンターカルチャーとして意識的(批評的)にキッチュであろうとしても、そこにカウンターとしての意味は生じない。だから、ことさらアマチュア=キッチュということもない。
シュルレアリスムはメディウムスペシフィックなモダニズムとは真逆のあり様をしているもう一つのモダニズムだと言える。そこで重要なのは、文脈から切り離されて諸メディウム間を横断してゆくような流動的なイメージ(前イメージ)を捕まえ、再編成することであり、各メディウムはそれを仮どめする仮の器でしかない。他メディウムからの借り受けや流用も積極的に行われる。だから、シュルレアリストは作家‐職人という意味では基本としてアマチュアであり、例えば、シュルレアリスムの画家の多くは技量的にもアマチュア的である(あるいは、意図的にアマチュア的な絵を描く)。
写真は、二十世紀半ばにはまだ比較的新しいメディアであり、その時点では芸術として十分な認知はなかった。新しいメディアであるが故に、アマチュアにも技術的、表現的な工夫の余地が多分にひらかれていて、権威も比較的に弱く、正統な「玄人」(商業的な意味でのプロではなく、芸術家としての玄人)とされるために経るべきとされる経路(画家だったら芸大出身とか)というような障壁も低かったのではないか(ここは推測、よく知らない)。要するに「画壇」のような中央集権的なシステム‐権威がまだ弱く、(地方やアマチュアを下位に置かないような)自由で拡散的なネットワークがあり得たのではないか(推測)。
だとすれば、日本の二十世紀半ばくらいまでの時期において、モダニズム・アマチュアリズム・シュルレアリスム・写真(+地方主義)という組み合わせの間に、(それぞれの本来のあり様からはズレるとしても)幸福な相互作用が生じ得るような環境があったと言えるのではないか。
植田正治の作品は、そのような幸福そのものなのではないか、と思った。