2001-01-01から1年間の記事一覧
何という名前の木か知らないけど、オレンジ色から朱色にきれいに染まった葉っぱが落ちもせずに枝じゅうにびっしりとついていて、ちょうど向こう側の空に照っている太陽の光 がそれらの葉に射していて、葉の裏側からあたっている光が葉を通過してこちら側まで…
(補遺、京都芸術センターの「岡崎乾二郎・岡田修二」展についての。) 展示されていた岡崎氏の4点の彫刻作品のうち、3点まではセラミックによるものだったのだが、1点だけ石膏の作品があった。このことについて、少し深読みしてみたい。セラミックというのは…
テレビをつけたら中森明菜が出ていて、子供の頃ドナ・サマーが大好きだったと言っていたのでへえーっとか思ったのだった。中森明菜はぼくと2つ3つしか違わないいと思うのだけど、何か1世代違うという感じなのだろうか、と思ったりするのだが、でも、実は小…
(つづき、京都芸術センターの「岡崎乾二郎・岡田修二」展について。) ●岡崎氏の彫刻について。展示されていた、リテラルに見れば大きな「うんち」のように見える4点の彫刻作品は、全て、2つの部分に分けられる基本的な要素(2つのマッス)が、ねじれをくわえ…
(昨日からのつづき、京都芸術センターの「岡崎乾二郎・岡田修二」展について。) 岡崎氏の絵画作品の構造は、そのタイトルによってある程度は示されている。例えば、今回展示されている作品中で最もシンプルなタイトルは、3つの文によって構成されている。『…
●14日に、京都芸術センターの「岡崎乾二郎・岡田修二」展を観てきた。 ●先日、友人(画家)と話をしていて、松浦寿夫の作品の話になり、松浦氏の作品を印刷された図版でしか観たことがないという友人が、図版で観ると結構いいように見えるんだけどどうなの、と…
●多少なりとも評価できる「質」をもっていると思われた作品について、書いてみる。 ●まずピピロッティ・リストの作品。薄暗く設定された部屋のなかを、上から垂らされた微妙に織りの異なる数種類の半透明のレースの布によって複雑に折り重なるように仕切って…
●空白の3日間は、弟の結婚式に主席するために実家に帰っていた。10日、ちょうど帰り道の途中に位置しているので、寄り道して横浜トリエンナーレを観た。寄り道とはいっても、そのために朝早く起きて、開始早々の午前10時頃から、午後4時過ぎまで、たっぷりと…
朝から冷たい雨になる。随分と寒くなった。毎年、今頃の季節になると、何故か無性にアイスクリームが食べたくなる。駅前のスーパーと、電話料金を支払うための近くのコンビニと、延滞ビデオの返却へ行ったほかは、(雨に閉じ込められたみたいに)ほとんど部屋…
●上野の森美術館で「MOMA」展。 ●やはりマティスは圧巻だった。図版などで知っている作品ばかりだとはいえ、改めて観てみると、少なからぬショックを受けた。有名な「ダンス」の第1作が傑作であることは言うまでもないのだが、今回改めて感じたのは、か…
(昨日からのつづき) コーリン・ロウは有名な『透明性・虚と実』において、透明性を、実の(リテラルな)透明性と虚の(フェノメナルな)透明性に分けている。(この論文は、基本的にコルビュジェについて書かれたものなのだ、「透明性」につい説明するために、セ…
「作品」というものに対する時の態度として、二つの態度の対立という古くさい図式がある。作品を、完成されたものとしてみるのか、それとも、それが生成しつつある時のプロセスを重視するのか、という対立だ。あくまで作品の完成度を重視する古典的な作品に…
中庭にある卵型の小さな人工の池。深さが20センチほどしかないこの池には、晴れた日射しが当っていて、底に敷いてあるタイルの模様までが薄い水の透明な層を通過した光でくっきりと照らされて見えている。まわりに立っている木の葉が落ちて水面に浮かび、そ…
95年に出た『批評空間』の別冊「モダニズムのハード・コア」の冒頭に載っている座談会に、現代の美術の状況を的確に現した発言があったので引用する。例によって岡崎乾二郎の発言。 《つまり内容規定のないことが芸術の自由だということで、その証明のために…
晴れた空にひこうき雲が幾く筋もはしる。くっきりとしているものや、すこしバラけ気味のもの。パラパラと音をたてて飛んでゆくヘリコプター。ややくすんだ、不透明な感じのする水色の空を背景に、黄金色の葉っぱが、花火が散るように(重ならないで隙間をもっ…
ちょっと思う所があって、1990年に青山の東高現代美術館という場所で行われ、大学時代のぼくに少なからず影響を与えた、『絵画/日本・断層からの出現』という展覧会の図録をパラパラとめくっていた。これは、明らかにモダニズムの流れのなかにいる中村一美、…
『ユリイカ』10月号の椹木野衣の文章をパラパラ見返しながら、ぼくは何故椹木氏の書くものに対して、こんなに感情的に反発してしまうのだろうか(かなり鋭いことも言ってるのに)と考えてみたのだけど、それは多分、椹木氏には、「モダニズム」への通路がない…
濡れたアスファルト。雨。ずっとまっすぐにつづいている道の両側に茂る、青々と葉をつけている常緑樹に混じって、まだら模様をつくるように真っ赤に染まったもみじの木がところどころにみられる。しかしそれは、実はもみじではなくて、「アメリカフウ」(別名…
美容院で美容師(女性)が、「床屋さんって行ったことありまか?」と言うので、「子供の頃とかは行ってましたけど」と答えると、「この前、友達になった人がたまたま床屋さんだったんですよ、で、マッサージしてやるからちょっと寄っていきなよ、とか言われて…
蛍光色にさえ見えるほどだった黄緑色の勢いがやや弱まって、少量の黄土色を混ぜ込んだような色彩になってやわらかく拡がってる芝生。その芝生を取り囲むようにして立っている桂の木々。ハート型をした桂の葉も、黄緑色から黄土色、黄土色から赤味の強いオレ…
●日比谷シャンテ・シネでデプレシャンの『エスター・カーン めざめの時』。この映画については、ちょっと別の場所に書くかもしれないので、ここでは少ししか触れない。(でも、こんな言い方が、あまり増えてしまうと、この日記の意味が無くなってしまうのだけ…
1階のロビーは、内側(中庭側)に向いた一面がガラス張りになっている。常緑樹の濃い緑の葉の一枚一枚が、上から降ってくる光を眩しく反射して、キラキラしながら風に揺られている。タイル敷きの地面も、強い光で露出オーヴァーみたいに真っ白くて、そこに木の…
●しかし、何よりも凄いのは、ギャラリーGANの今井俊満だった。昨年、ガンで余命数ヶ月と宣告され、すでに「サヨナラ」と題された展覧会や「フィナーレ」と題されたイヴェントが行われてしまっているのだが、その後も、身体の器官の多くを摘出されながらも…
●『ユリイカ』10月号「村上隆VS奈良美智」にさっと目を通した。ひどくつまらない。なかで唯一、知性のまともな使用を感じさせるのがサドッホ(後藤浩子・澤野雅樹・矢作征男)というユニットによる、『子どもノート』という文章だった。これはたんにドゥルー…
アトリエからの帰り、ガラガラに空いた電車に乗り込み、どかっと腰を下ろす。発車までは、まだ数分ある。視線を上げると、丁度すぐ上にある蛍光灯が、チッ、カッ、...チッ、カッ、と点滅している。疲れた頭で、惚けたようにしばらくそれをぼんやり見上げてい…
●ここ1ヶ月以上全く映画を観ていなかった。1ヶ月ぶりの映画はビデオで観た。『正門前行』の佐藤信介のメジャーデビュー作である『LOVE SONG』。明らかにレコード会社主導の企画モノで、しかも題材が「尾崎豊」という、何ともリスキーな仕事を、佐藤信介がど…
水色の空。うすい鱗雲。強い光。赤茶色が目立ってきた木の葉に、光が跳ねる。5、6歳の女の子を連れた家族連れ。短い坂道を上ってゆく。女の子がはしゃいで先頭を走りながら、地面を指さして、「上り」「下り」と大きな声をあげる。その後を父親がつづく。最…
風邪をひいたらしい。皮膚の内側に熱が籠っている。節々が痛む。アルミ箔を噛んだときのような寒気が時々ジーンと背筋を駆け抜ける。鈍い痛みが後頭部からコメカミにかけて重く響く。脱力している。ボーッとしている。外を歩いている人のかん高い笑い声。子…
用事があって、みなとみらい21地区へ行った。(横浜トリエンナーレは観られなかった。)ちょうどあれから一ヶ月ということもあって、ランドマークタワーの下からタワーを見上げて、そこに飛行機が突っ込んでくる姿と、タワーが崩れ落ちる鎔をなるべくリアルに…
●昨日の日記に書いた『流れとよどみ』展のオープニングでの挨拶で、企画者である批評家の早見さんは、「最近流行りの、村上隆や奈良美智みたいな、《異化効果》によって成立するような作品とは違った、もっとオーソドックスな意味でのペインティングの作家を…