2001-01-01から1年間の記事一覧

文房堂ギャラリーで『流れとよどみ』(富田瑞穂・中川絵梨・馬場健太郎・堀由樹子)

●神田の文房堂ギャラリーで『流れとよどみ』(富田瑞穂・中川絵梨・馬場健太郎・堀由樹子)。何かを考える時に、すぐにそれの「起源」に遡って考えてしまうのは、今現在、それがそのようにしてそこにある、ということの複雑さ(や必然性)を見ないで単純化してし…

01/10/8(月)

●アメリカ(+イギリス)によるアフガニスタンへの空爆が開始された。そんなの時間の問題だって分かってたじゃん、と言われても、そうは冷静ではいられない。ブッシュによる、子供の手紙なんかを引用したおぞましいスピーチなんかを聞かせられるもんだから、な…

死者の目/完全過去/表現の現在(『サザエさん』と古井由吉)

●日曜、午後6時半と言えば『サザエさん』。しかし『サザエさん』なんて観たのは凄く久しぶりだ。久しぶりに観た『サザエさん』ではあるが、あいも変わらずこの季節の『サザエさん』は「マツタケネタ」をやっている。1年経てばまた同じ季節がやってくるように…

ある日のこと。

●いくつも団地が建ち並ぶなかに、ポツンとそこだけ放置されてある空き地。(こんもりと、かなり高く盛り土がしてあって、雑草が茂っている。年に何度か業者がはいって、チェーンソーみたいな道具をうならせて、青臭いにおいをまき散らして、草を刈るのたけど…

小島信夫/保坂和志(往復書簡)『小説修業』を読んだ

●それにしても小島信夫の文章は読みにくい。何が書いてあるのか分らない訳ではないし、特別難しいことが書かれている訳でもないのだが、何故、そのようなことがそのような順番で書かれるのか、何故ある問いかけに関して、そのような応対が出てくるのか、がよ…

小島信夫/保坂和志(往復書簡)『小説修業』を読んだ

●小島信夫/保坂和志(往復書簡)『小説修業』を読んだ。 ●アトリエからの帰り、午後10時半過ぎ、建物の2階にある喫茶店の窓際の席でコーヒーを飲みながら、昼間読んだ『小説修業』をパラパラとめくり返していたら、窓から見える細い道を、駅から出てくるバスが…

岡崎乾二郎の『歴史とよばれる絵画』について、あるいは『A.I』再び

●『歴史とよばれる絵画』という文章は、絶妙な配置と接続によって成り立っている。だから、この文章が『A.I』という具体的な映画作品と切り離されて読まれてしまうと、とても危ういことになる。文章の前半、小林秀雄が引用されている場面においては、岡崎氏…

岡崎乾二郎の『歴史とよばれる絵画』について、あるいは『A.I』再び

●確かに「はじめて映画を見る人間」(と言うのは抽象的な概念なのだが)は、そこから何を見たらいいのかわからずに混乱するだけかもしれない。たとえば子供は、実写よりも何を見るべきかがはっきりしているアニメーションを好むだろう。人が映画を観て混乱しな…

岡崎乾二郎の『歴史とよばれる絵画』について、あるいは『A.I』再び

(昨日からのつづき。) ●岡崎氏は『歴史とよばれる絵画』を、小林秀雄の『無常という事』の冒頭に引用されている『一言芳談抄』の一節から始めている。それは中世、「比叡の御社」でひとりの若い女が巫女になりすまして、深夜一心に「どうだろうとこうだろう…

岡崎乾二郎の『歴史とよばれる絵画』について、あるいは『A.I』再び

●作品とよばれるものは基本的に、(いわゆる複製芸術に限らず)一回的で唯一の出来事ではなくて、それ自身が反復としてある。例えばある絵画が、この世に2つとない唯一のオリジナルであり、どのような再現的な対象をもたない抽象的なものであったとしても、そ…

ある日のこと。

アトリエからの帰り。空いた電車から、夜遅い、人気のないホームに降りる。誰も乗っていないエスカレーターが、音もたてずに動いているのを、下から見上げる。いや、電車が行ってしまって静かになると、微かにジーッという音が聞こえる。でもそれは、自動販…

 01/9/23(日)

日曜日の朝から、テレビをつけていると本当に気が滅入るばかりだ。アメリカが戦争をするのは当然のことであり、それに対して日本が協力するのもまた当然で、それに反対する奴は、平和ボケした、国際感覚の欠如した常識知らずだ、ということがごく平然と、「…

新宿ピット・インで、Evan Parker

連日の新宿ピット・イン。今日は Evan Parker(ソプラノ・サックス)。 Evan Parkerの演奏は、昨日のカン・テーファンのような「聞こえてこない感じ」というか「聞きづらい」感じは全く無くて、分り易すぎるほど分り易くて、明解である。しかしその明解さは、…

新宿ピット・インで、カン・テーファン

新宿ピット・インで、カン・テーファン(アルト・サックス)。今回は、ピアノの佐藤允彦、ボーカルのさがゆき、とのトリオ。ぼくはただのカン・テーファン好きで、いわゆるフリー・ミュージックに明るい訳ではないので、的外れな感想かも分らないのだけど、即…

01/9/19(水)

代表(表象)するものと代表(表象)されるものとの間には、必然的で安定した関係がある訳ではなく、それは常に危うくて、ズレや亀裂とともにあるしかない。シニフィアンとシニフィエの関係は、恣意的なものでしかない。または、本来何の関係もないはずの2つの…

ある日のこと。

日射しの強い午前中。大きな木の上の方から、太い枝がバサッと落下し、しばらくしてまたバサッと落ちた。見上げると、高い所で植木屋が枝を切り落としているのだった。木の近く(地面の上)にはさらに別の2人がいて、1人は小刀のようなものを振り上げて落ち…

01/9/17(月)

これはあくまでウワサに過ぎず、ウワサというのはどこまでも無責任なものなのだから、こんな時期にはウワサをどう扱うのかとても難しいところなのだが、アメリカではアラブ系の人たちへの嫌がらせや暴力が頻発していて、それがあまりに酷いので、報道はそれ…

 01/9/16(日)

批評空間Webでの柄谷行人の発言は、やはり、多くの人の指針になるような重要なものだった。柄谷氏の発言をおおまかに要約すると、(1)既に人々は「発狂」しており、戦争は避けられないし、混乱は3、4年は続くだろう。しかもこの戦争に「勝者」はいないだろう…

『庭園の会話・3』展(菊池敏直・是枝開・馬場恵・松浦寿夫)を観に行く

お茶の水にある文房堂ギャラリーに『庭園の会話・3』展(菊池敏直・是枝開・馬場恵・松浦寿夫)を観に行く。この4人の作家の絵画作品で、観る価値があると思われるのは松浦寿夫(松浦寿輝ではないです。念のため。)の作品だけだった。(まあ、始めから松浦氏の作…

01/9/15(土)

それを観ていた時は疲れていたせいか流してしまったのだけど、後から思いだして恐ろしいと感じたのは、テレビでハイジャックの実行犯の1人が通っていたという航空学校の近くの人々へのインタビューをやっていて、そこで多くの人が、「彼らが笑っているとこ…

01/9/14(金)

●テロリストたちを、「理解不能な他者」として、そのような他者と「主体」はどのように関係することが出来るのか、といった倫理的というか哲学的な問題として今回の事件をみようとする人がいるが、しかしこれは、そのような抽象的な問題とは違うのではないだ…

01/9/13(木)

●飛行機がビルに突っ込んでゆく、あれらの映像は、様々な立場の人、恐らく報道カメラマンや現地の人や観光客などによって、様々な偶然や必然から撮影され、その映像が報道機関へ回収されてゆく道筋もそれぞれ違うものであったはずだ。テレビを観ていたら、そ…

01/9/12(水)

●1日じゅうテレビを観ていた。まるでハリウッド映画を思わせるような映像に、どうしてもリアリティーを感じられない、みたいな話があるけど、目に見えるだけの映像だけからリアリティーなどそうそう感じられるはずなど始めからないのであって、起きてしまっ…

01/9/11(火)

とんでもないことが起こってしまった。と言うか、起こりつつある、というべきだろうけど。これからもいろいろと最悪な展開が予想される。世界はどうなってしまうのだろうか。今は、できるだけ冷静に事態の推移を見ておくしかないのだが。

天気の話/相米慎二の死

●不安定な天気。割合明るい曇り空から、いきなり多量の水が落ちてくる。しかしそれはほどなく小雨にかわり、サラリとやんでしまう。湿って乱れた風が空気中に混じり込み、目には見えないマーブリング模様をつくる。吹き荒れる風が木々の枝や葉を不均一に揺り…

松田聖子の『青いフォトグラフ』/80年代は彼方へ

黒いワゴン車が道端で止り、ドアが開いてオッサンが降りてきた。開いたドアの中から松田聖子の『青いフォトグラフ』(たしかこんなタイトルだったと思う)が聞こえてきた。♪今一瞬あなたが好きよ/明日になれば分らないわ/港の引き込み線を/渡る時そう呟いた...…

『世界の始まりへの旅』について、その4

『世界の始まりへの旅』を構成するショットは無人称的であり、主観性は排されているのだが、その無人称の視線は基本的に「旅する人物」たちの傍らにいて、彼らとともに移動しているような視線である。しかし時おり、いきなりという感じでそれとは「異質のシ…

『世界の始まりへの旅』について、その3

オリヴェイラの映画においては、視線は容易には交わらない。人々は大概向かい合わずに並んでいるし、切り返しはギクシャクする。誰かがある人物を見つめていたとしても、その視線は一方的なものであって、相手からは見返されない。(例えば『アブラハム渓谷』…

『世界の始まりへの旅』について、その2

浅田彰氏の「i-critique」によると、オリヴェイラの『クレーヴの奥方』は古典的なテクストを悠然としたテンポで完璧に映画化したものだが、大時代的で紙芝居のようなものでもあり、そのことに自覚的なオリヴェイラは、映画のラストにブルジョアたちの世界の…

『nobody』の雑誌版への違和感/クレール・ドゥニへの違和感

昨日、BOX東中野で『nobody』の雑誌版を手に入れた。大絶賛という訳にはいかないけど、それなりに興味深い内容だった。「佐藤公美インタビュー」が載っているというだけでもコアなファンは必見だろうし、まだ公開されていない(近日公開という話も聞かない…