岡崎乾二郎の『歴史とよばれる絵画』について、あるいは『A.I』再び

●作品とよばれるものは基本的に、(いわゆる複製芸術に限らず)一回的で唯一の出来事ではなくて、それ自身が反復としてある。例えばある絵画が、この世に2つとない唯一のオリジナルであり、どのような再現的な対象をもたない抽象的なものであったとしても、その絵画が物質として存続していることによって、何度も同じ「その作品」を観直すことができる。ドゥルーズが芸術とは保存するものであると言い、ある日の少女の微笑みはその場で消えてしまうとしても、像として刻まれた微笑みは、もはやその少女には左右されず、その像が物質として持ちこたえている限り存続する、と言う時に意味しているのはおそらくそういう事である。作品とは「ある状態」を反復して出現させるための装置であり、作品としての物質は、物質それ自身として存在するだけではなく、媒介となって自らとは別の「何ものか」を指し示すものであるのだ。そして、作品が物質として存続している限りにおいて、我々はそれを観直すことで、我々が生きている今こことしての現在とは「別種の現在」としての「ある状態」を何度でも反復して想起することができる。(少なくともその権利が確保される。)

●「批評空間」第3期1号に掲載されている岡崎乾二郎の『歴史とよばれる絵画』は、一方に浄土宗的な「念仏」が置かれ、もう一方にスピルバーグの『A.I』が置かれ、この2つの一見無関係にみえる異質のものが、複雑なヒネリを加えられた上で交錯させれることで、不思議な空間性をもった多面体として構築されているという意味で、岡崎氏が制作する立体作品とほぼ同じようにして組み立てられていると言ってよいだろう。一方の要素がもう一方の要素に複雑にネジレながら接続されているこの空間的なテキストは、だからある空間的な配置によって意味をなすようなテキストであって、始めから丁寧に論旨を追ってゆくだけでは意味が掴み切れないように書かれている。岡崎氏の書くものには大かれ少なかれこのような感じがあって、それが氏のテキストを独自の難解さを持ったものにしているように思われる。(ぼくの個人的な評価として、岡崎氏の立体作品は素晴らしいと思うのだが、絵画作品はイマイチだと感じる。それは恐らく、絵画においては、あらかじめ「平面」として一元化されてしまっている舞台の上でまず(抽象的な)空間を立ち上げ、その内部で複数の「異質」なものを交錯させて構築しなければならないので、岡崎的な、異質な複数の要素をいきなり(現実の)空間上で交錯させるような方法が有効ではないからではないだろうか。絵画はまず次元を一つ差し引くという抽象化を経なければならない。そしてその上で再び3次元の空間と関係し直すという複雑な行程を必要とする。)

●『歴史とよばれる絵画』は、とても複雑に構築されたテキストではあるのだが、実際に『A.I』を観た人がこれを読むならば、このテキストが『A.I』という何とも奇妙な映画からの多くの刺激によって書かれているのだろうということが、すんなり理解できるのではないだろうか。『A.I』とは、一度成立してまった「回路」が(デビッドと言う「物質」が存続する限り)ただひたすらに作動しつづける、という話であった。たとえデビッドに書き込まれた「愛情」というプログラムが人為的なものに過ぎなかったとしても、それが一度動きだしてしまえば誰もそれをとめることは出来ず、もはや人間の都合などとは無関係にどこまでも(人類が滅亡した後までも)作動しつづけるのだ。デビッドという身体=物質は、それ自身として存在するのではなく、「愛情」というプログラムを媒介するものとしてのみ存在しているかのようだ。しかもその時、デビッドという身体=物質の唯一性(このもの性)は、彼が媒介している「愛情」の唯一性を保障するものでない。彼に書き込まれている「愛情」というプログラムは人為的なものであり、大量につくられている彼と同型の「メカ」と全く同一のものの反復でしかないのだ。つまり、その「愛情」というプログラムにはあらかじめ、自らが求める「愛」が他にはありえない唯一の「ユニーク」なものであることを望むように書き込まれてしまっているという訳だ。《大量に生産された無数のデビッドがその数と同じだけ無数の、同じ唯一の物語を想起し、同じく無数の観客も上映された数だけの特異性を反復する。だがその無数性を数えることも比べることも取り替えることも出来ない。》(『歴史とよばれる絵画』)それ自体としては全く陳腐で凡庸なものであり、しかも一回的な出来事ではなく、既に無数に反復されたものの反復でしかないにも関わらず、それらの出来事(=経験)は《数えることも比べることも取り替えることも出来ない》ものとして経験されるしかない。『A.I』という映画が我々に突き付けてくる何とも後味の悪い奇妙にザラザラした感触とは、恐らくこのようなことに関わっている。