松田聖子の『青いフォトグラフ』/80年代は彼方へ

黒いワゴン車が道端で止り、ドアが開いてオッサンが降りてきた。開いたドアの中から松田聖子の『青いフォトグラフ』(たしかこんなタイトルだったと思う)が聞こえてきた。♪今一瞬あなたが好きよ/明日になれば分らないわ/港の引き込み線を/渡る時そう呟いた...。いきなり聞こえてきた松田聖子。オッサンと松田聖子との取り合わせも妙にそぐわないのだが、今、この場所に、この曲が流れているというそのことが、妙にそぐわない、と言うか、妙に空々しいことのように思えてしまうのだった。たしかこの曲は、どれくらい前だったか忘れたけど、石黒賢と二谷由里恵が主演で原作が宮本輝のドラマの主題歌だった。(この2人が大学生の役をやっても不自然ではないくらい前という事だ。大学のテニスサークルの話で、川上麻衣子のテニスウェア姿が妙にエロだった、という印象以外のことはあまり憶えてはいないのだが。)とくに好きでハマッていた訳ではないけど、割とよく観ていたと思う。特に好きではないと言っても、よく観てはいたのだから、当時のぼくの「感情」を惹きつけるようなものが何かしらあったのだと思う。それで、いきなり聞こえてきた松田聖子の曲によって、このドラマを観ていたであろう当時のことを生々しく細部までくっきりと思い出したかと言えばそうではなくて、逆に、ふいに聞こえてきたこの曲の、妙にそぐわないと言うか、古惚けて焦点の結ばない、何か遠くて白々しい感じが、そのまま当時の出来事の記憶や、当時のぼくの抱いていた「感情」のようなものの記憶と重なってしまい、それが霞んでしまうほど遠くにある、白々しくて嘘臭い違和感のあるもののように感じられてしまったのだった。当時のぼくを取り巻いていた空気感のようなものや、ぼくを支配していた「感情」のようなものから、今のぼくはなんて遠く離れているのだろうか、という感覚というのか。

ぼくは一体何を言いたいのか。つまり、道端に停まったワゴン車から不意に聞こえてきた松田聖子の曲が、聞き覚えのある、懐かしいと言ってもよいようなものであるはずなのに、それがまるで異次元から聞こえてくる音楽であるかと思えるくらいに、遠くて空々しい違和感のあるものとして聞こえてきて、特に好きだったという訳ではないにしても、そういうものを普通に受け入れていたであろう当時の自分との間に、決定的とも言えるような感覚の断絶を感じた、という訳なのだった。ただ、インターフェイス-データベース型世界観ではないけど、これはあくまで松田聖子(の『青いフォトグラフ』)というワードで記憶が検索された時の結果であって、全く同じ時期のものでも、もし全然別の曲が聞こえてきたのだとしたら、当時に対する感覚はまた別のものになっていたのだろうとは思うのだし、同じ松田聖子でも、曲が例えば『青い珊瑚礁』だったら、記憶はもっと生々しいものであったと思うのだ。