京都芸術センターの岡崎乾二郎について、うだうだつづく話

(補遺、京都芸術センターの「岡崎乾二郎・岡田修二」展についての。)

展示されていた岡崎氏の4点の彫刻作品のうち、3点まではセラミックによるものだったのだが、1点だけ石膏の作品があった。このことについて、少し深読みしてみたい。セラミックというのは、「焼き物」なのだから、自分の手でこねた粘土が釜で焼かれて、それがそのまま作品となる訳だけど、石膏の場合は、まず粘土で形をつくり、そこから型がつくられて、その型のなかに石膏が流し込まれて作品となる。つまり、まず原形がつくられ、そこからそれを反転させた「空虚」な形である型が製作され、その空虚に、オリジナルとは別の物質が注入されて作品となるのだ。だからここで作品は、原形が型という媒介によって同じ形のまま異なる物質へと変換されたもの、なのだ。しかも、他の作品がセラミックという頑丈で保存がききそうな物質でできているのに、その1点だけは、ブロンズのように強い物質ではなくて、石膏という、著しく保存性の良くない物質が選ばれている。このことの意味は無視できない。(ここで、絵画作品においてもおそらく「型紙」が使用されているであろう、ということが想起される。)

ここであらわれているのは、たんに頑丈な物質ともろい物質の対比などではない。ただ1点だけ石膏を紛れ込ませているのは、これらの彫刻が示しているのが「物質」ではなくて、形、つまり「形式」であるということを示すためだと思われる。(物質は、交換可能な「項」のひとつであるにすぎない。)しかしここで、だから「形式」こそが作品なのだと言ってしまうのは間違いだろう。物質が交換可能な項のひとつだとしたら、同じように形式もまた、交換可能な項にすぎない。形と物質は、ともに決定的な何かではなく、どのようにも組み合わせることのできる要素のひとつなのだから、実際に展示してある作品も決定的なものではなく、形と物質のあり得べきいくつもの組合わせの可能性のうちのいくつかであるにすぎない、ということになる。そのとき、実際に展示されている4点ばかりの彫刻が、潜在的に宿している無数の彫刻作品の可能性が知覚を超えたものとして圧倒的に迫ってくるのだ。(それは必ずしも、展示を見ているその場で起こるとは限らない。展示されていた作品について考えている時に、いきなり起こったりする。)

しかしたんにこれだけで留まっているのなら、ポストモダン的な相対主義の徹底されたものにすぎないとも言える。問題なのはここでも、それが起こっている時に感じる、知覚を知覚として成立させている「地盤」が、ズルズルッと動いてしまうような感覚であり、そのような感覚のなかで新たに組み替えられ、産み出される「知覚」の姿なのだ、と思う。(例えば、たんに石膏という物質は崩れ去ってしまっても、型による形が残っていれば、異なる物質へとそれは受け継がれてゆく、ということだったら、それは、80年ごとに同一の形式が新たな素材でつくり直される伊勢神宮だとか、個人は死んでも天皇霊は相続されるという天皇制のようなものと、同じようなものだということになってしまう。事実、岡崎氏のポリウレタンやベニア合版などの貧しい素材による彫刻作品は、そのようなものとの強い親和性があると読まれてしまいかねない感じもない訳ではない。しかし勿論、岡崎氏の考えはそんなところにある訳ではなく、物質の同一性も、形式の反復性も、ともに「経験」の固有性によって切断してしまおう、という事であり、そしてそれは決して目指されるべき困難な課題というものではなく、そのような「経験」は実際に我々の身の回りで頻繁に起きている事柄であって、そのような「経験」を可視化することで意識化する装置としての作品、ということであるのだろう。)