●10/31と11/01にゴーキーについて書いたのだが、ぼくのもっているゴーキーの画集のうちの一冊の最後のページに、『Armenian Plows』というタイトルの木材による立体作品のモノクロ写真が載っている。辞書をひくと「 Plow」とは「すき」または「除雪機」と書いてあって、まさにそういう形をしているのだが、これがまるでアンソニー・カロのテーブル・ピースの作品を思わせるような面白いものなのだ。(テーブル・ピースの名作http://www.barford.org/Gallery-Pic.asp?WorkID=22。)ゴーキーはおそらくこれを、アルメニア時代に実際に使用した工具の記憶を頼りに、しかしそれだけでなく、ゴーキーのイメージするノスタルジックな故郷としての「アルメニア的なもの」の記憶を加え、混ぜ合わせて制作したのだろう。多分、作品という意識はほとんどなく、ただつくる手の歓びのためだけに、ほとんど工作のように。それがまるでカロの作品のように見えるのは、カロもまた、これと言って特定出来る訳ではないにしろ、日常的によく見るような物(道具や日用品のような物)の形態を一捻りし、実際に使用する物としての文脈を外すことでひとつのパーツをつくり、そうしてつくった複数のパーツをさらに捻って接続させることで作品を作っているからだろう。
ところで、カロと言えばやはり一番面白いのは60年代の作品(例えば、こんなhttp://www.barford.org/Gallery-Pic.asp?WorkID=903、もの、とか、こんなhttp://www.barford.org/Gallery-Pic.asp?WorkID=822、もの)だと思うけど、最近知ったのだが80年代に具象的な人物のブロンズ彫刻をつくっていて(こんなものhttp://www.barford.org/Gallery-Pic.asp?WorkID=2627)、これが(60年代の作品よりは落ちるにしても)なかなか面白いのだ。人体という具象的な形態をつくっているとはいっても、人体を構成する各パーツを一度バラバラにして、それらを人体を形作っている文法とは別の文法によって再構成しているような感じのもので、だから出来上がった作品の表面的な印象は違っていても、基本的にはつくりかたそのものは変わっていないように思う。(例えばこのページhttp://www.acquagal.com/01-20.shtmlの下の方にある「Beguiled 」や「Table edge nude」を参照のこと。)で、これらの作品を観てすぐに思い出すのは、何と言っても岡崎乾二郎のセラミックや石膏の彫刻だろう。(あまりいい写真がみつからないが、例えばこのページhttp://www.dnp.co.jp/artscape/view/focus/0210/amano.htmlに載っている石膏彫刻「ハンバウとそむきにぐるものを ホクワクととらえたり」の写真とか。)これはもう、似ていると言うよりも、ほとんど「元ネタ」と言って良いのではないだろうかと思う。台座のユニークな使い方など、カロの作品から随分と刺激を受けたのではないかと推測出来る。