●吉祥寺のA-thingsで岡粼展、二度目。その後、渋谷の桑沢デザイン研究所で、筒井宏樹×組立《オルタナティブ・アート・セオリーに向けて》。これは遅れてしまって途中から。
おかざき乾じろの作品は、彫刻を基底材とした絵画、ととりあえず見ることができるだろうか。二枚以上の罫線入りのトレーシングペーパーを重ね合わせ、切ったりまるめたりして貼りつけたものに、パステルで絵が描かれている。
二枚以上の紙の組み合わせとして一つのレリーフ状の彫刻になっているとも言えるが、例えば二枚の紙によってできている作品では、互いが互いに別の紙に対する台座になっているという関係もあるように思えた(もっと枚数の多い作品でもほぼ同様だと思う)。つまり、一枚の紙は、自分自身としては一つの彫刻であるが、もう一枚の紙に対しては台座である、というような関係。それぞれ、自ら主張するものであり、同時に他を支える条件でもある、という風に。
そして、そのような彫刻が、絵が描かれる条件としての基底材になる。だがここで、彫刻の上に絵が描かれるのではなく、絵は、彫刻的な空間生成と共に描かれている。彫刻は、絵画空間(絵画イメージ)の条件をかたちづくっているが、それは結果としてそうなっているのであって、彫刻によって決定された空間がまず先にあって、それに合わせて絵が描かれるのでない、ということ。
つまりここでは、基底材(作品を支える物質的なもの)がつくられることと、三次元的な作品がつくられることと、二次元的なイリュージョンがつくられることとの三つが、互いに緊密に作用し合いながら同時に立ち上がることになる。彫刻(三次元)としては、それ自身が彫刻(作品)であり、同時に相手の台座(条件)であるものが同時につくられ、絵画としては、基底材(彫刻)の部分の生成と同時に、イメージ(作品)が生成する。
絵画は、彫刻を条件とし、彫刻は、三次元空間を条件とする。彫刻が三次元空間のなかに、ある偏りや動きやねじりをつくりだし、そのようにして歪んだ空間を条件として平面によるイメージやイリュージョンがたちあがる。
この時、絵画(二次元)と彫刻(三次元)との関係は、われわれが知覚する三次元(空間)と、知覚の条件であるが知覚し切れない四次元(時空間)との関係とパラレルであるように思われる。時間は空間とともに一体となって既にあり、そして空間は均質ではなくそれ自体に既に偏り(重力)がある。作品においても、二次元的なイメージの生成する空間は均質ではなくあらかじめ歪んでおり、複数の層(多時間、多世界)がそこに織り込まれている。イメージのなかに、空間の歪みと多世界(多時間)が織り込まれており、あるいは、そのイメージこそが空間の歪みや世界の複数化を要請している(双方向的)。
特に素晴らしいのが猫や犬を描いた作品だと思った。例えば、猫がもつ動きの可能性やその傾向が、未だ動いていない猫の周囲の空間を既に波立たせており、その空間の波立ちが猫のフォルムや佇まいを複数化させる。あるいは、猫の毛並みの触覚性が猫の周囲の空間を揺るがせ、あるいは空間の揺らぎの表現が、猫の毛並みの触覚的感触として顕在化される。そこに、とても複雑で多層的であるのと同時に、とても明快なイメージがたちあがっている。
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