⚫︎楳図かずおの実質的に最後の作品と言える『14歳』が連載されていたのが90年から95年で、だから漫画家としては90年代に終わっているのだが、その後も楳図かずおは楳図かずおとして強く存在し続けていた。楳図かずおが存在している限り、『わたしは真悟』や『14歳』を熱中して読んでいた(80年代末を含む)90年代はまだ終わっていないと錯覚することができた。しかし、90年代が完全に終わってしまったということか。
(『14歳』にかんしては、熱中して読むというより「なんだこれは」と唖然としていたという方が正確だが。)
⚫︎八王子に住んで、高尾にアトリエがあった時、中央線の高尾駅からアトリエまで歩く道の途中に、吉祥寺に引っ越す前の楳図かずおの「黄色い家」があった(映画『MOTHER』が撮影されたのが、あの家だ)。黄色い家はいつもカーテンが開けっぱなしで通りからでもリビングが丸見えだった(クリスマスツリーに飾るような電飾がいつもピカピカ光っていた)。黄色い家の向かいには中学の校門があって、校門の脇の紫陽花はなぜかいつまでも枯れずに長く長く花を咲かせていた。吉祥寺にスタジオがあって、家は高尾にあった時代。高尾駅の近くですれ違うことも何度もあった。90年代の終わりからゼロ年代はじめくらいのことで、あれからもう20年以上経つのか。楳図かずおが存在していてくれる限り、あの頃のあの時間が、あの場所にはまだあるような気がしていた。
(あの家は今、どうなっているのだろうか。)
⚫︎80年代末はぼくにとって浪人時代で、いがらしみきおの『ぼのぼの』と楳図かずおの『わたしは真悟』はその頃の記憶と密接に結びついていて、密接すぎるが故に簡単には読み返すことができないでいる。
(ふと思い出した、関係ないこと。90年代初頭は吉田戦車の『伝染るんです。』や中川いさみの『クマのプー太郎』などが大ヒットした「不条理ギャグ」の時代でもあって、ダウンタウンの台頭などもそのような時代背景と不可分だろう。ダウンタウンにおいては「ヤンキー要素(マッチョ)」と「不条理ギャグ成分(非マッチョ)」という、どう考えても両立し難い二つの要素が両立したという奇跡が起きていたのではないか。しかし次第に、「不条理ギャグ」成分が希薄になって「ヤンキー要素」ばかりが目立つようになってしまったように思う。不条理ネタをやる芸人が馬鹿にされるというような風潮が、ダウンタウンの存在によって強化されてしまった感じすらある。不条理ネタが許されるのは天才松本だけで、それ以外は恥ずかしい亜流だ、みたいな空気。「わたしごときが不条理をやれると思ったことがそもそも思い上がった勘違いでした…」みたいな抑圧。そして、もともとあった「不条理成分」が「天才松本人志の(偉そうな)気難しさ」みたいなところに吸収されてしまった感じはある。)
⚫︎唐突に思い出した話。以前、確か『14歳』だったと思うけど、新装版を全巻買うと、複写された『漂流教室』の構想ノートがもらえるという企画があった。キャラクター設定の下絵とか、未来世界の荒廃した風景や怪物のスケッチとかが描かれているのかと予想したのだが、手にしてみると、設定やシノプシスがすべて「文字(言葉)」で描かれていて「絵」はひとつもなかった。そうか、そういう人なのか、と、妙に納得した。
⚫︎高尾の黄色い家が写っている動画。
(楳図かずおの家があったのはJR、および京王線の高尾駅の近くで、動画の中で楳図かずおが乗っている電車は、京王線の高尾山口駅行きの電車だろう。高尾駅からでは高尾山に登れない。歩けないわけではないが結構遠い。)